地球時代の生き方

地球という生命体の視点から物事を眺めてみる異色ブログ

カタカムナ文献について⑤(超古代文明と賀茂神道)

2023-10-15 22:54:00 | 歴史

続きです。


(注)以下、文章のリズムを重視して文末表現を断言口調にしていますが、基本的には、仮説・推察であることを予めお断りします。



〈「1万2千年以上前」の本当の意味〉

ここで、私の仮説自体に一見矛盾が生じていることに気づかれた方もおられると思います。

①1万2千年以上前の「カタカムナ文明」は存在しなかった。縄文文明と関連付けるのも間違い。

と前述している一方、

②日本に超古代文明は存在し、世界に文明を伝えた。

というのは、明らかに矛盾しているのではないかということです。


カタカムナファンが主張するような「カタカムナ文明」は存在しません。なぜなら、「カタカムナ文明」は、賀茂神道の伝承を元にした楢崎の創作だからです。楢崎の頭の中にしか存在しません。


また、「1万2千年以上前」だから、縄文文明と関連づけるのは間違いです。また、縄文文明の中心は、青森県周辺、関東平野、諏訪・八ヶ岳山麓、南九州(〜約7千年前)であり、六甲山系どころか、近畿地方には、縄文文明のセンターはありませんでした。


一方で、「1万2千年以上前」というのは引っかかる年数です。ノアの洪水伝承、ホピ族の伝承の水で滅んだと言われる文明、「オアスペ」のパン大陸の水没、ピラミッドやスフィンクスの建造、ムー大陸・アトランティス大陸の水没、これらは全て「1万2千年前」ではないかと言われています。(聖書上の記述は違いますが。)

日本近海の海底遺跡(与那国島、出雲沖、青森沖、和歌山沖など)も、この時期、氷河期の終焉によって海面上昇が起こって水没した文明の痕跡ではないかと考えられます。

『カタカムナ文献』の元ネタであろう賀茂神道の伝承にある?超古代文明は、水没した文明の伝承だと推察できます。


仮に、賀茂神道に1万2千年以上前に水没した文明の伝承があったとすれば、シュメール ・ヘブライ伝承(ノアの洪水)、ホピ族伝承やナーカル文書(ムー大陸)、プラトンの伝承(アトランティス大陸)と同じく、滅亡した文明の伝承が日本にも残っていたということです。


日本には、他にも、竹内文書のように太古に超文明があって世界に伝えたという伝承があります。

さらには、その文明の姿が書き残されているのは特殊です。仮に『カタカムナ文献』が賀茂神道の伝承の深部を再現できているのであれば、それは、極めて貴重なものだと言わざるを得ません。


水没した文明は、波動次元の科学を持ち、これに基づいた文明を構築していたことになります。これは、地球(ガイア生命体。集合的無意識の深部)の波動が変わり、これからの人類文明が発達させる科学だとずっと私が直感していることと合致します。



〈超古代文明滅亡後〉


ただ、それでも滅亡したことをどう捉えるかは重要です。

結局、(地球の波動がダウンして)心の問題というか、人類が傲慢で利己的になり、愛や感謝を失って異民族との対立を深めて滅亡したというのが世界各地の伝承が伝えるところですが、この点は『カタカムナ文献』には皆無です。そもそも、同文献には、愛や感謝、逆に利己心についての言及はなく、その点は物足りなく見えます。


1万2千年前に滅亡したのであれば、その原因に言及するのは当然のことですから、賀茂神道には、滅亡原因やそれを避けるための修養方法についての伝承はあったのでしょう。

だから、『カタカムナ文献』に記載がないのは楢崎の関心になかったからか、そこまでは教えてもらえなかったのだろうと思います。


縄文文明は、超古代文明の生き残りが作った文明だと考えられます。水没後の人類文明では最古です。

滅亡を繰り返さないように、愛や地球・自然への感謝を最重要にした文明で1万年という長きにわたり持続し、戦争が起こらなかった驚異の文明です。この点、他の大陸文明(管理と規制中心)とは全く異なる点で、今に至るまで影響を与えています。


縄文時代、いくつかの部族の中には、超古代文明の叡智を継承した部族がいて、それが賀茂神道に継承されたのかも知れません。

あるいは、賀茂氏や秦氏の祖先は、いったん海外に移住したのかも知れません。(日本列島からなのか、日本列島周辺や太平洋の水没地域からなのかは分かりませんが。)


https://blog.goo.ne.jp/meedai/e/53069ca46086b5cd4802cdc228c83ee8


つづく


カタカムナ文献について④(楢崎が創作した背景)

2023-10-02 19:29:00 | 歴史

続きです。


〈周辺ストーリーも賀茂神道の伝承をアレンジした創作?〉

また、彼は満洲で蘆有三道士に会ったと主張していますが、ここにも[蘆]屋道満の言葉遊びが隠れています。そもそも道士とは陰陽道のチャイナ版である道教の僧侶です。つまり、「陰陽道」も隠れています。蘆有三道士も創作でしょう。

おそらく、賀茂神道に、太古の日本人が世界各地に文明を伝えたが、陰陽道や風水などもそのうちの一つに過ぎないといった伝承があったのでしょう。


『カタカムナ文献』自体が創作なのですから、もちろん平十字と会ってカタカムナ神社で文献を書写させてもらったというのも創作です。

そもそも平十字という人物もカタカムナ神社という神社も探索不可能です。元々ないのですから当然です。


創作したのは、そうせざるを得ない事情があったからで、秘伝を教えてもらったと言えないからです。



〈楢崎の「創作」の背景に、物質文明への強い危機感〉

ではなぜ、楢崎は膨大な労力のかかる「創作」などまでして、秘伝を伝えようとしたのでしょう。


創作してまで楢崎が伝えたかったのは、

現代の物質文明とは違う、自然と調和した文明の在り方があり、日本人は本来その文明に相応しい、

ということであろうと思います。いわば、日本人の使命、役割です。


楢崎が『カタカムナ文献』について語り出すのは1966年のことですが、物質文明に染まって平気で自然破壊する日本人のことをどう見ていたのでしょう。この傾向は東日本大震災まで変わりません。

彼が禁忌スレスレのところで「創作」を後世に伝えようとしたのは、当時の日本人を見て強い危機感を感じたからだろうと思います。


つづき



カタカムナ文献について③(賀茂神道の秘伝?))

2023-10-01 20:14:00 | 歴史

続きです。


〈陰陽道蘆屋道満賀茂神道〉

また、『カタカムナ文献』の科学的知見は、潜象界と現象界、正反による運動の出現といった点がベースになります。


潜象界は量子論から広がる知見です。このブログでも度々触れていますが、存在の本体は波動です。波動は情報であり、思念と感情です。つまり、この世は突き詰めれば、思念と感情の産物です。思念と感情の住居である潜象界を抜きには何も解明できません。

そして、陰陽道も古神道も、潜象界ベースの学問です。


で、次の根本原理である「正反」です。これは陰陽のことだと考えられます。

陰陽道の根幹は、この世界のあらゆる現象は陰陽原理が背景にあるということです。


なぜ、カタカムナウタヒの第一首に「アシアトウアン ウツシマツル カタカムナウタヒ」と安倍晴明のライバルとされた蘆屋道満を想起させるアシアトウアンが出てくるのか。。


『カタカムナ文献』が伝承されていたと楢崎が主張する六甲山系を含む播磨国は、古来、陰陽道が発達した地です。

蘆屋道満は、天文博士の賀茂保憲(陰陽道の第一人者)の高弟だったとされています。この賀茂保憲は安倍晴明の師匠でもあり、御前で両者はほぼ互角の闘いをしています。安倍晴明と互角と言えるほどの力量を持っていたのが蘆屋道満でした。


蘆屋道満は、賀茂家の秘伝書を騙し取ったとされていますから(安倍晴明アゲのためのディスり?)、「賀茂神道」を実質的に継承していったと言っても過言ではないです。

その後も、賀茂神道と交流はあっただろうと推察できます。


アシアトウアンが写したとされる『カタカムナ文献』が、風水や陰陽道の知見をベースに置いている理由が見えてきたように思います。

蘆屋道満が写した賀茂神道の秘伝書と関係があるのでしょう。


竹内睦泰氏(第七十三世竹内宿禰を自称し、日本史の裏側に通暁)によれば、「『カタカムナ文献』は賀茂神道と関係がある」と断言していますが、上記の考察でも、やはり賀茂神道です。


賀茂神道の賀茂家とは、

京都盆地に古くから秦氏とともに住んでいた氏族で、土御門家(安倍晴明の子孫)と並んで陰陽道の権威です。

上賀茂神社、下鴨神社をはじめとして日本全国に賀茂氏に関わりの深い神社がありますから、もちろん言霊のテクノロジーをはじめとした古神道も継承しているのは当然でしょう。

その祖先には、神武天皇を導いた八咫烏がいます。

なお、秦氏と同族とも見られ、ユダヤ人との関係も深いため、カバラの哲学も受け継いでいると推察されます。


ある意味、日本史の深奥部にいて天皇制を背後で支えている特殊な集団です。当然、日本全国にネットワークがあります。



〈カタカムナ文献=賀茂神道の秘伝がベース?〉

直前のブログ記事で、楢崎がカタカムナ文献を大々的に公表できなかったのには「重大な理由」があると書きましたが、

この文献が賀茂神道と関わりが深いことと関係しています。


つまり、楢崎は、賀茂神道サイドによって見込まれ、その秘伝を教えられたのだろうと思います。


神道・陰陽道では時々そうしたことをしているようで、

保江邦夫氏も、伯家神道の伝承者のおばあさんから見込まれ、継承を受けたそうです。保江氏が選ばれた理由は、宇宙の真理を探究している物理学者だからだったそうです。楢崎と同じです。


楢崎は、秘伝を「時が来るまで明かすな」という禁忌を条件に伝承され、

公表できない代わりに、秘伝を彼なりに深く考察し、実用技術にして、世のため人のために使ったのではないかと思います。


『カタカムナ文献』は、直前のブログ記事で書きましたように、1万2千年前の文献である訳がありません。笑

しかし、そうでも言ってケムに巻くしかなかったのでしょう。


〈補足(元素転換について)〉

カタカムナ文献では最後に元素が低温低圧で転換すると、錬金術のようなことが述べられています。

これは、賀茂神道というよりは、マクロビオテックの桜沢如一との交流の中で、体内での元素転換が行われ得るとの考えを強くしたことで盛り込まれたものではないかと思います。


つづく


カタカムナ文献について②

2023-10-01 18:36:00 | 歴史

続きです。


では、何故、楢崎は『カタカムナ文献』を「創作」したのでしょうか?

まったくのデタラメでしょうか。この不思議な文献を書くヒラメキの元になったのは何でしょうか?


キーワードは、

天才科学者、量子論、

蘆屋道満、蘆有三道士、陰陽道、言霊学、賀茂神道

になります。


ここからは推察です。ジャーナリストや研究者ではないですので、事実関係は精査できていません。あくまでも、『カタカムナ文献』について多くの書籍で主張されていることを別の視点で眺め直すとどうなるかという考察になります。

この「別の視点」というのは、直前のブログ記事で書きましたように、この文書は決して1万2千年以上前のものではないということです。


〈イヤシロチ、ケカレチと風水〉

さて本題です。

楢崎は満洲での製鉄を通じて、大地にはイヤシロチとケカレチがあって、イヤシロチでの製鉄は品質が良く、ケカレチでは不良品が出やすいことを発見したとされています。

そして、イヤシロチは大地の高いところを結んだ線上、ケカレチは大地の低いところを結んだ線上にあることを発見したばかりか、

これが電位と関係していることも発見したとされています。


これは、おそらく彼の「発見」ではなく風水です。

楢崎の特徴は、風水などの「古代科学」に知恵を見出してヒントを得て、現代の科学的な知見で捉え直し、仮説を立てた点です。

物質に囚われた近代以降の科学者とは全く違うところにベースを置いていたと考えられます。ここに彼の探究者としての良心を見ます。


〈潜象界(波動次元)への転換〉

また、「古代科学」は、風水にしても、陰陽道にしても、(楢崎は扱ってませんが)仏教やインド哲学にしても、

物質次元の奥にある「波動次元」抜きには、理性的に扱うのは難しい学問です。

「量子論」は1920年代に始まりますが、物質科学の罠に陥って、人類は、その可能性の1割も使えていません。「量子論」は簡単に言えば、思念が現象に影響を与えるエネルギーを持っていることを実証したという点で近代科学の方向性を大きく転換させるべき力を持ったものでした。

デカルト以降、近代は「物質」と「精神」を区別して、「精神」はよく分からないからこれは置いておいて、自然科学では「物質」だけを研究すればいいという選択をしたのでした。

「量子論」は、このデカルト以来の選択を捨てるべきことを告げるものでしたが、なぜか、それは為されていません。


楢崎ほどの頭脳がこの文明の大転換点に気づいてない訳がありません。

彼が『カタカムナ文献』をしたためた根本的な理由は、ここにあると思います。


この時代、ノーベル賞学者の湯川秀樹も、量子論に取り組み、その解明のために東洋の知の体系である仏教からビジョンを得ようとしたのは知る人ぞ知る話。

真っ当な探求者は、科学の大転換点を察知していました。湯川と親交の深かった天才数学者、岡清氏も、同じく仏教の力を借りて物質科学の誤りを指摘しています。


しかし、なぜか、量子論が出て100年経っても物質科学は軌道修正されることなく、今に至ります。

不思議なことです。何らかの力が働いているとしか思えません。大日月地神示では「魔物が波動次元での悪事を見破られないように、物質にばかり目を向けさせるようにした」と啓示しています。


〈古代科学科学的考察実用技術化〉

話をイヤシロチ、ケカレチに戻します。

ここからが天才的な技術者の面目躍如なのですが、このイヤシロチ、ケカレチと大地電位の理論は、

イヤシロチに家を建てれば、繁栄するし、子供の教育にもいい、

ケカレチに学校を作ってはいけない、

大地電位を操作すれば農作物の収穫を上げることが可能になる。

例えば、地下に炭を埋めたり、地上にポールを立てるなどによって、イヤシロチ化することができる。

といった異分野への応用を発明し、実績を上げました。


〈言霊学〉

カタカムナ文字(八鏡文字)も同じです。古代科学からヒントを得て、現代科学で追究し、実用可能な技術に高めていきました。

古神道には「言霊学」といって、

ア、イ、ウ、、、、の四十八音の一音一音にそれぞれ意味があってこれを解明して役立てるという学問があります。

カタカムナ文字も、一音一音に潜象界から現象界への現象発生などと関係する意味が解説され、それを具現化した形を与えられています。

その言霊の集まりであるカタカムナウタヒを唱えることで様々な現象が起きるとされています。

つまり、「言霊学」を波動科学的に解明した仮説と実用技術が、カタカムナ文字と考えられます。当然、唱える効果も計算済み、実験済みだろうと思います。


つづく


カタカムナ文献について①

2023-10-01 11:00:00 | 歴史

仕事が忙しく、しばらくブログをお休みしていましたが、徐々に再開したいと思います。


さて、唐突ですが、皆さんは『カタカムナ文献』というものをご存知でしょうか。


天才科学者である楢崎皐月という人物が六甲山系の金鳥山で平十字という猟師(カタカムナ神社の宮司の息子)から見せてもらった文献(80首からなる五七調の文章群)とされています。

この楢崎は物理学、製鉄、農業技術など多岐にわたって天才的な能力を発揮した人であり、軍部の依頼で満洲で製鉄技術の改良に取り組んだり、戦後は星新一の父である星一に支援されて科学研究に取り組んだりもしました。戦後は食糧難の時代でしたので、農業技術の改良にも取り組みました。

つまり、その高い能力を世のため人のために使った魅力的な人物であったと言えます。



カタカムナ文献は一部でディープな流行を見せており、波動次元科学の基礎となる可能性があるように感じています。


科学書としての価値以外にも、病気が治る、言霊の力が強まる(思念が実現しやすくなる)、松果体が活性化する、霊能力が強まる、といった効能があるとされています。

ここでは、これらの効能を否定するつもりはさらさらありません。金儲けのための釣りでなければ、それぞれの実体験を尊重する姿勢です。


ただ、カタカムナ信奉者の中には

「カタカムナ文明が1万2千年以上前にあってその叡智を書き残したのが「カタカムナのウタヒ」つまりカタカムナ文献だ」

「縄文人たちはカタカムナの高度な科学を用いていた」

と主張する人たちが多いです。


「他の発言の信憑性も疑わしくなるから、バカげた事を言うのはやめた方がいい」と思います。


しかも、「1万2千年以上前のカタカムナ文明」説が彼らの立論の根幹を成していることが多いです。

例えば、

縄文人はカタカムナで自然の直感力を磨いていた

これだけの高度な科学的知見があるのに、縄文人は敢えて自然の中で生きていた

1万2千年前から日本には文字があった

などです。


私は縄文人を大変尊敬する立場です。

それだけに、直感的に、縄文人とカタカムナを結びつけることに強い違和感を感じます。

もしカタカムナと縄文が少しでも関係あるのであれば、なぜ縄文土器に一文字もカタカムナ文字(八鏡文字)が刻まれていないのかを彼らは説明すべきでしょう。

縄文土器には、渦や流水、湧水、蛇、蛙などの図象はあっても、円や八、大円と小円というモチーフは見たことがありません。


また、私は超古代文明の存在は積極的に肯定している立場ですが、

カタカムナ文献に出てくる語彙の殆どが現代の日本語で理解できるものばかりで、また、古事記の神名や国名が多く、1万2千年近くも変わらないのは不自然です。(古事記の編纂時期を考慮しても1万1千年近く語彙が変わらない。)

超古代文明の匂いはしません。


言語は1000年で19%が変化するという研究があります。実際、古典の勉強で苦しんだ経験を殆どの人が持っているでしょう。


では、1万2千年でどのくらいの語彙が残るのでしょうか。

1000年が1回分で残る語彙は81%(100-19%)つまり、0.81です。

2千年ではどうなるかというと、1000年が2回分ですから、0.81残ったのが、さらに0.81になるので0.81×0.81で約66%が残ります。

1万2千年は1000年が12回ですから、0.8112回かければいいのですから、

0.81×0.81×0.81・・×0.810.08になります。

つまり、1万2千年前の単語はたったの8%しか残らないことになります。


実際、同じ縄文人から枝分かれしたと考えられるアイヌ語と大和語は殆どの語彙が違います。

これは大和語、アイヌ語それぞれに大陸の影響を受けている(大和語は長江人やタミル 人?、アイヌ語はオホーツク海沿岸の民族)ことも影響しているのでしょう。


しかし、大和語の語彙が大陸の諸言語の影響を受けているのであれば、尚更、カタカムナが殆ど大和語であるのは極めて不自然な現象であると言わざるを得ません。

いや、あり得ないと断言しても差し支えないでしょう。


カタカムナを六甲山系にて平十字という謎の猟師から継承したと主張する楢崎皐月氏は、弟子に、カタカムナを世に出すのを禁止していました。

これは「ある勢力によって悪用されるから」と陰謀論的な解釈がされていますが、

学者である楢崎は、カタカムナ文献が1万2千年前のものではないことが証明されることを危惧していたからというのが真相でしょう。


それともう一つ重大な理由があったと推察します。


つづく