「匂う」とは、良い香りがすることをいいます。
くさい場合は、「臭う」(笑)と書きますので、
あくまで良い香りが、「匂う」です。
でもこの言葉は、例えば「紫が匂うよう…」と、
色彩を表現する際に使うことがあります。
「匂う」を辞書で引いても、
「色が美しく照りはえる」とあり、
「にほふ」は本来、色彩の美しさをいう言葉だったそうです。
先日、「日本文化を彩る香の文化史~四季とともに暮らしを楽しむ~」という講演会に行ってきました。
講師は畑正高さん、あの香老舗 「松栄堂 」の社長で、
五感のバランスの再構築こそが、現代人にとって大切だと考えていらっしゃる方です。
ですので話の内容も、「香」だけではなく「色」にまで広がり、
とても興味深く面白いものでした。
その中でも特に印象深かったのが、「匂う」の語源の話です。
「匂う」とは、にほふ…丹穂生だったそうです。
丹とは赤色、朱色のことですが、
この赤色が地面から穂のように生えている、その様を「にほふ」と表現したそうです。
この赤色は鉱物である硫化水銀、つまり辰砂のこと。
辰砂をネット上で調べてみると、灰白色の石にキラキラと輝く、辰砂の映像が見られました。
これが硫化水銀…?人工の朱である硫化水銀とは色が異なります。
大地に煌めく、赤い辰砂。
まさしく「にほふ」ように赤く美しく、透明な宝石のようです。
この辰砂は、古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていたそうで、
魏志倭人伝にも、倭人は朱で身体に化粧していると、記されています。
古代人にとって赤は、特別な意味を持つ大切な色だったのですね。
日本人は、花や美人を「匂うように美しい」と表現します。
「色香」という言葉からもみられるよう、
色と香りを同時に受け止める、感覚を持っています。
西洋のように嗅覚と視覚を、スッパリと切り離して考えなかったのです。
だからこそ生まれた言葉「にほふ」。
いい言葉だなぁ…と、あらためて思いました。
くさい場合は、「臭う」(笑)と書きますので、
あくまで良い香りが、「匂う」です。
でもこの言葉は、例えば「紫が匂うよう…」と、
色彩を表現する際に使うことがあります。
「匂う」を辞書で引いても、
「色が美しく照りはえる」とあり、
「にほふ」は本来、色彩の美しさをいう言葉だったそうです。
先日、「日本文化を彩る香の文化史~四季とともに暮らしを楽しむ~」という講演会に行ってきました。
講師は畑正高さん、あの香老舗 「松栄堂 」の社長で、
五感のバランスの再構築こそが、現代人にとって大切だと考えていらっしゃる方です。
ですので話の内容も、「香」だけではなく「色」にまで広がり、
とても興味深く面白いものでした。
その中でも特に印象深かったのが、「匂う」の語源の話です。
「匂う」とは、にほふ…丹穂生だったそうです。
丹とは赤色、朱色のことですが、
この赤色が地面から穂のように生えている、その様を「にほふ」と表現したそうです。
この赤色は鉱物である硫化水銀、つまり辰砂のこと。
辰砂をネット上で調べてみると、灰白色の石にキラキラと輝く、辰砂の映像が見られました。
これが硫化水銀…?人工の朱である硫化水銀とは色が異なります。
大地に煌めく、赤い辰砂。
まさしく「にほふ」ように赤く美しく、透明な宝石のようです。
この辰砂は、古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていたそうで、
魏志倭人伝にも、倭人は朱で身体に化粧していると、記されています。
古代人にとって赤は、特別な意味を持つ大切な色だったのですね。
日本人は、花や美人を「匂うように美しい」と表現します。
「色香」という言葉からもみられるよう、
色と香りを同時に受け止める、感覚を持っています。
西洋のように嗅覚と視覚を、スッパリと切り離して考えなかったのです。
だからこそ生まれた言葉「にほふ」。
いい言葉だなぁ…と、あらためて思いました。