近況はこんな感情

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冷酒と親の小言はあとで効く

2015年12月24日 13時40分32秒 | お気に入り
▽慢心しておりました。

近頃は調子に乗って「酒との付き合いに慣れてきた」みたいなことを書いていましたが

まだまだ酒に呑まれることも多々あるわけです。

この度はその失敗談についてお話しさせていただければと思います。



▽先日はアルバイト先の忘年会でした。

先に「酒づきあい」で記したようにアルコール耐性をつけるべく、前日に家で熱燗をこさえて、一合弱ほど飲んで臨んだのですが、

呑まれてしまいました。


▽なんなら家を出る前からその日はおかしかった。

大学関係者での飲み会というのは遠くからわざわざいらしていただく人の便利を考えて駅前で開催されることが多く、

私が幹事を務めさせていただいたその日も駅前での開催でした。

今まで飲み会といえばお店まで自転車で移動していたのですが、今回は会がお開きになった後の飲酒状態での帰路について危険を改めて思い起こし、

歩いて行くことにしたのです。

思い返せばその「正しい選択」が失敗の一因でありました。

普段なら、歩いて行くなど頭に浮かばず、浮かんでも面倒を考えて実行には移さない人であったのに、

その日は歩きやすい運動靴を選んで徒歩で飲み会会場へと向かったのです。


▽忘年会自体は、大きな失敗もなく、かといって大きな成功もなく、

つまりは可もなく不可もなくといった体で進行しました。

宴もたけなわ、お開きの合図をして会場を出たところ、

ポツリポツリと雨が降ってきていました。

もし、自転車で来ていたのならそれしきの雨は意にも介さない様に濡れながら帰っていたのでしょうが、

今日は何を思ったか徒歩で来ています。

何を思ったかと問われれば危険を、実のところ飲酒運転で事故を起こす危険というより検問をやっているかもしれない警察官に二枚目の黄色い警告用紙を渡される危険を回避したいと思ったからなのですが、とにかく歩いて帰るとするならば小雨と言えど冬の雨は看過できない。

少しでも雨に濡れる時間を短くするため、列車で帰ることにしたのです。

幸いわたくしの住まいは津山線の沿線上。

岡山駅から一駅分だけにしろ、歩いて帰るのに比べれば15分は濡れる時間が減ると考えられたのであります。

この雨に濡れないための選択も、今思えば失敗の一因でありました。



▽列車で寝てしまいました。

なにかの拍子にハッと気づき、どうやら降りるはずであった法界院駅を下りすごしていたことを知りました。

その時はまだ事の重大さに気づいておりません。

とりあえず次の駅で降りて、また反対方向である岡山行きの列車に乗れば帰れると思っていたのです。

列車を降りようと140円の切符を車掌さんに見せて、

「足りませんが。」

と言われた時も、まだわたくしは落ち着いていて、事も無げに寝過ごしてしまったことを伝えたのです。

我ながらのん気な言い方でした。

「もう岡山行きの列車はないですよ。」

この言葉を聞いた時、ようやく初めて「あ、これはやべぇ」と思うに至りました。

とにかく、これ以上津山方向に向かっても仕方ありません。

とり急ぎ追加料金の360円を車掌にわたし、列車を降りて現在地の確認をしました。

建部駅。

聞いたことのない駅です。

そもそも法界院駅より先の駅に用事も興味も持ったことがありませんでしたから、当然と言えば当然なのですが。

聞いたことのない駅での下車に失望するのがまっとうな人間というものかもしれません。

しかし、酒のせいもあるのでしょうが、もともと楽天的な思考のわたくしです。

「ここから歩いても明日の朝には家に着くだろう」

と、駅前に停まるタクシーには目もくれず歩いて帰る決心をしたのです。

歩きやすい運動靴。

雨を通しにくいジャンパーに手袋。

さらにタバコが入っている腰袋には懐中電灯。

街灯がなくなっても大丈夫、歩いて帰れるだろうという判断でした。

このいわば「用意周到さ」も判断を誤らせた大きな原因です。

しかし、より大きな原因は、かつて飲み会後に10キロ程歩いて帰ったことがあるという経験と、自分の体力に対する過信だったように思います。

とはいえすべては結果論。

当時のわたくしはそれが最善の策であると確信し、さっきまで乗っていた列車が走って行った方向をもとに岡山のだいたいの方角を定め、雨の中を線路沿いに歩きはじめたのです。




▽5時間程歩きました。

歩いている間は地図もなく、とにかく夢中でした。かつ、文字通り霧中であります。

後日、自分の歩いた道程をグーグルマップでたどって見ました。

最近の機械は便利ですね。距離の計算までしてくれる。

出来るだけ自分が歩いた道路に沿うように印をつけ、正確な距離を測ってみたのです。

その地図をこちらに示します。


意味ありげに赤で丸をしている直線にお気づきになられると思います。

もちろん意味があります。

地図だとわかり辛いのでこの部分の航空写真を見てみましょう。


山です。

山越えをしました。

他の部分はいくつも自分の通った地点に印をつけて正確な距離を出そうとしているのに、

この2キロ程だけ印をつけることができなかったのは、どこをどう歩いたかわたくし自身わからないからです。

この直線区間、実際は紆余曲折、右へ行き左へ行きを繰り返しました。



▽後になれば地図で自分の選んだ道の間違いに気づけますが、

地図もなく歩いている当時はどの道が正解なのかなど見当がつきません。

建部駅を出たわたくしは線路に沿って歩くことにいたしました。

しかしながら人の通る道と線路は頻繁に分かれているもの。

その線路と道路の分かれていく地点で選んだ道が誤った道であったのです。

終電も通り過ぎた後なのでスタンドバイミーよろしく線路上を通ることもできたのかもしれませんが、

点検車両や貨物列車が通る可能性もあり、賠償責任を負う覚悟は出来ていませんでした。




▽道がアスファルトから砂利に変わった時に引き返すべきでした。

しかし雨が降っている中今来た道を帰るのは癪。

山の向こうには明かりも見える。

あの明かりこそが大都会岡山の町の灯に違いない。

砂利とはいえ車の轍があるということはいつかまたアスファルトの道へ戻れるはずだと、

愚かにもわたくしは山へ入っていきました。



▽途中から街灯がなくなりましたが懐中電灯のおかげで足元は見えます。

靴は登山にも耐えうるスニーカーです。

そしてなにより一本道です。

判断に迷う必要がない。


「フゴッ」

ガサガサガサ・・・

タヌキだかイノシシだかの野生動物がいた模様ですが、LEDライトの灯りのおかげで襲われる心配もない。


問題はいつまで上り坂が続くのか、だけです。

上り坂がいよいよ急になって、立ち止まって一息入れなければ歩くのが困難になってきたとき、

山道は下りへと転じていました。

道半ば、いや、山道半ばまで来たという証です。


▽しかし結果としてその推測も外れていたことに間もなく気づきます。

下りの斜面が急こう配で道が短かったから、というわけではありません。

突如道がなくなったからです。

前はもちろん、右も左も生い茂る木と草。

この状況が上りの途中であったのなら諦めて再び後ろの道を歩き引き返すという判断をしたのかもしれませんが、

山の半分は超えているはずだという実感と、

田舎での山仕事へ向かう山道への慣れと、

大学に入るまで毎年のようにしていた年始の冬山登山の経験とが、

「まぁ行けるやろ」という判断をさせました。


▽落ち葉が堆積しているおかげで、石がごつごつというような足場の悪さはありません。

雨に濡れているので何回か足を滑らせて転びましたが、それらの重なった落ち葉のおかげでお尻を強打するようなこともありませんでした。

丈夫な手袋でそのあたりに生えている木に掴まりながら、目の前の枝に掴まりながら、少しづつ降りていきます。



長年放っておかれた枝というのは簡単に折れます。

足を滑らせて、バランスを取るべく掴まった枝が折れて、尻餅をついても勢いは止まらず、尻下の落ち葉とともに数メートル滑り落ちました。

一瞬の出来事です。

擬態語で表すなら

ズルッ、ボキッ、ドシン、ズサー。

となります。スピード感が伝わるでしょうか。

感動詞と表すなら

ズルッ「うわっ。」ボキッ「うわっ。」ドシン「うわ。」ズサー「うわあぁ。」

です。



数メートル滑り落ちました。

幸運にも足をくじくでもなく、お尻を強打するでもなかったので、

「こうやって降りた方が楽だし早くね?」

という発見につながり、その後はあえて4、5回滑り降りました。


ジーパンは泥だらけでしたが、今更気にするようなことではありません。



▽しばらくの山間での彷徨。それにもやがて終わりが訪れます。

どこか資材置き場のようなところに出ました。

あぁ、足元がアスファルトだというだけでどれだけ安心できたことか。

これでとりあえず、遭難したら何番に電話をかければいいんだろうというような悩みはなくなります。

間もなく大きな通りにも出ることができ、「岡山市街→」という道路標示に従い再び歩き始めました。



▽上に示した地図を見てお気づきになった方もいらっしゃるかもしれませんが、

終着点は下宿先ではありません。

結局歩いてアパートへ帰り着くことはできませんでした。


下山後も相変わらずの雨の中、傘もささず3時間ほどの徒歩。

パトカーでも通りかかれば職務質問待ったなし。

けれどその後に家に連れて帰ってくれるかもしれない。

警察を避けての徒歩移動だったはずが、いつしか警察の登場を待ち始めている。


とぼとぼと歩いていたところ、午前4時過ぎ、通りすがりの軽トラのおじいさんに声をかけられました。

「お兄ちゃんどこまで行くんな。」

「法界院駅の方まで。」

全身濡れて、かつ滑り降りた代償で下半身の後ろ側は泥にもまみれていたためタクシーを呼ぶこともできなかったわたくしを、

その方は優しくも家の前まで送ってくださいました。

車から降ろしてもらう時、この有難さにお金を払うなら財布の中を全部渡しても足りないくらいだなと思っていました。

「本当にありがとうございます。正に地獄に仏でした。何もお礼できませんが・・・」

「これは気持ちです。」と、わたくしが言い終わるまでもなく、

「いらんいらん。あんたよりはようけゼニも持っとる。」

と、さっさと車で走り去られていきました。



▽家に帰って、酔いもさめて、あの日のことを思い出しますと、

よく元気に帰ってこられたなと我ながらあきれてしまいます。

睡眠不足と軽い風邪はありましたが大きく体調を崩すでもなく、

少し歩くのに違和感はありましたが激しい筋肉痛に悩まされるでもなく、

背中には滑り降りた時に出来たであろう擦り傷はありましたがそれ以外大きなけがをするでもなく、

警察や消防の方にお世話になるでもなく、わたくしはまた普段の生活へと戻って行ったのです。

運が悪ければ死んでいてもおかしくない状況だななどとも思います。

自分の幸運と、なにより名前も知らないあのおじいさんに感謝しながら、

これからもわたくしは生きていくのです。

あのおじいさんへのお返しは、誰か他の人が困っているときに助けることで成されるのだと、そう考えながらこれからの人生を過ごす所存でございます。

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