1・17希望の灯り 2010年01月17日 | (-”- ) ちょっと真剣なコト 震災で失われた命と、人と人とのつながりを語り継ぐため、震災から5年目の2000年、被災した10市10町と 全国から寄せられた種火をひとつにしたガス灯。ガラスケースで覆われていて、昼夜を問わず点灯しています。 亡くなられた たくさんの方のご冥福をお祈りいたします。 « (´▽)q~♪ ぼへみあ~ん | トップ | ヽ(゜▽ ゜)ノ あったー! »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 もう15年経ったんだね。 (いなひこ) 2010-01-18 12:29:12 あの日の事は、今でも覚えています。主人が、韓国出張で、早朝に起きていたんです。テレビをつけたら、なんだか関西で、大事な事が起きたようだ。まだ、このくらいの報道でした。四国の弟が、こちらに来ていて、この日帰る予定でした。すぐに電話して、まだ寝ている弟を起してもらい、すぐに飛行機で帰るように言いました。弟は、バスで帰る予定でした。あの時に、素早く弟に知らせて正解だったね、って今でも言ってます。テレビでもシュミレーションで、再現してたけど、ホントにあっと言う間の出来事で、逃げようが無い。亡くなられた方と助かった方の差なんて、紙一重です。地震の時の家族の連絡方とか、日頃から確かめておかないといけないですね。 返信する Unknown (ふわり) 2010-01-18 20:48:55 TVのドキュメンタリーなどを見ていると、本当の意味での復興はまだ終わっていと思うのですが、それでも15年間、よくここまで頑張って来られたなぁ、と胸が熱くなります。日本は地震大国なので、いなひこさんが仰るように、日ごろの心構えは大切ですね。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り致します。合掌。 返信する いなひこさんへ (まっちゃん★) 2010-01-23 13:42:57 地震が起こる前、ゴーーーって地鳴りがしたんです。その後、すぐ・・・街は復興したって言いますが小さいところではまだまだ空き地のままのところもあります。今でも地震の時の映像やドラマを見ると思い出して涙が出ます。災害は本当に紙一重です。ワタシの実家のあるマンションは半壊でしたが向かいは全壊でした。建ち方の方向の関係です。連絡方法はいくつか決めて順番を付けておいた方がいいと思います。集合場所を一か所しか決めてなかったらそこが壊滅状態の場合があるので。あの頃はそんなもん決めているはずもなく、当面の食糧のカップメンを買い出しに行ってる最中にマンションの裏のペンキ屋さんが燃えて爆発(とても小規模でした)たんですが、マンション住人に避難勧告が出たので、戻ってからもなかなか家族に会えなくて本当に困りました。当時は携帯がまだまだ普及していなかったので今はそこまで困らないと思います。※通話じゃなくてメールはつながり易いそうです。それにテレビが壊れても情報収集しやすいですね。 返信する ふわりさんへ (まっちゃん★) 2010-01-23 13:53:05 地震が起きて玄関のドアを開ける時、母が「廊下無くなってるかもしれへんで!」と言ったのを覚えています。廊下はありましたが、周りの景色が一変していて、もう本当にえげつなかったです。どうなるんやろう・・・そう思うと涙が止まりませんでしたが母が「ロサンゼルスも元に戻ったから大丈夫や!」って言ったんです。地震を無くすことはできないけど、母のようなポジティブ(のんき?)な気持ちが無いと早い復興にはつながらないような気がします。あとは、やっぱり人と人のつながりですね。日本もまだまだ捨てたもんじゃないと思いました。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
主人が、韓国出張で、早朝に起きていたんです。テレビをつけたら、なんだか関西で、大事な事が起きたようだ。まだ、このくらいの報道でした。四国の弟が、こちらに来ていて、この日帰る予定でした。すぐに電話して、まだ寝ている弟を起してもらい、すぐに飛行機で帰るように言いました。弟は、バスで帰る予定でした。あの時に、素早く弟に知らせて正解だったね、って今でも言ってます。
テレビでもシュミレーションで、再現してたけど、ホントにあっと言う間の出来事で、逃げようが無い。亡くなられた方と助かった方の差なんて、紙一重です。
地震の時の家族の連絡方とか、日頃から確かめておかないといけないですね。
本当の意味での復興はまだ終わっていと思うのですが、
それでも15年間、よくここまで頑張って来られたなぁ、
と胸が熱くなります。
日本は地震大国なので、いなひこさんが仰るように、
日ごろの心構えは大切ですね。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り致します。合掌。
街は復興したって言いますが小さいところではまだまだ空き地のままのところもあります。
今でも地震の時の映像やドラマを見ると思い出して涙が出ます。
災害は本当に紙一重です。ワタシの実家のあるマンションは半壊でしたが向かいは全壊でした。建ち方の方向の関係です。
連絡方法はいくつか決めて順番を付けておいた方がいいと思います。
集合場所を一か所しか決めてなかったらそこが壊滅状態の場合があるので。
あの頃はそんなもん決めているはずもなく、当面の食糧のカップメンを買い出しに行ってる最中にマンションの裏のペンキ屋さんが燃えて爆発(とても小規模でした)たんですが、マンション住人に避難勧告が出たので、戻ってからもなかなか家族に会えなくて本当に困りました。
当時は携帯がまだまだ普及していなかったので今はそこまで困らないと思います。
※通話じゃなくてメールはつながり易いそうです。それにテレビが壊れても情報収集しやすいですね。
廊下はありましたが、周りの景色が一変していて、もう本当にえげつなかったです。
どうなるんやろう・・・
そう思うと涙が止まりませんでしたが母が「ロサンゼルスも元に戻ったから大丈夫や!」って言ったんです。
地震を無くすことはできないけど、母のようなポジティブ(のんき?
早い復興にはつながらないような気がします。
あとは、やっぱり人と人のつながりですね。
日本もまだまだ捨てたもんじゃないと思いました。