8:00起床 昨日の塾 食べすぎで朝食はパス
COFFEE SHOPでボブ・グリーン読んで 昼から 兵庫県看護協会に講義聴きに行く
~かがやいて生きる~
神経難病療養者の在宅生活を考える
講師:関西学院大学 准教授 藤井 美和 氏
生死学の視点から難病者の在宅生活を考える内容です。
死にのぞむ患者に対して 看護者は
どのようなメンタリティを持ってのぞめば良いのか。
藤井先生は 自らの神経難病の闘病生活での体験をもとに
自分が死に直面した時どのような看護、アテンドが 心に残ったかを話して下さった。
もっとも感動したのは 何をするでもなく ただ自分のそばにいてくれた人だったり
全身麻痺で動けない自分に 鏡を使って外の世界を反射で見せてくれた
同室の患者の行動だったり。
従来の処置やテクニックではない 全人的な態度で臨むことが重要だ。
(全人:身体的、心理的、社会的存在、スピリチュアルな存在)
死にのぞむ患者は 自分の人生を振り返って多くのことを振り返る
○自己の人生の価値:大切なものは何か、出来なくなった時に他に代わるものが見つかるか
○苦しみの意味:なぜ自分に?今?このタイミングで 苦が訪れるのかについての理解
○罪責感:自分がやってきた事への叱責 また他人を許すことができるか
○死と死後の世界への問い:まっこうから受け入れることができるか
このような通常ではない精神の患者に対する時、患者の最後の人生に踏み入る時
自分の生死観が構築されていなくては 入ってゆけない。
普通に健常者として生活していると 生死について考えることは
なかなかない と思う。
しかしながら 私たちは看護、介護に従事するものとして
まずは かっこたる自分の生死観の構築が必要だ。
何かしてあげようと思えば思うほど される側はしんどいのだそうだ。
かかわる相手の人生に踏み込むという事を”深く”考えないと
相手との距離はいつまでたっても 縮まらない。
人はいずれ みな 死ぬ
これだけは絶対に避けられないし
その日を設定したり 予約することも出来ない。
それは突然に あまりに あっけなく やってくるのだ。
生まれた瞬間から 死にむかって日めくりカレンダーをめくり続けるのだ。
人生は短い あとでいいや は 許されないような気がする。
自分の生死観を再確認するのに 良い時間をすごした。
週明けからのアテンドに 活かせれるかな?matsunoridaくん
ココロにとめて 積み重ね。
終わって てくてく モトマチ歩いて 四興樓
磯上通りにはフラれたので 花隈戻ってPIT IN
しっかりした皿達にうなる ふむぅ
野菜達は自分ちで作ってるのか ふんむぅ
花隈公園の東向い 紺の染め抜きのれんくぐれば ほんわか夫婦の昭和赤提灯
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