NHKの「チコちゃんに叱られる!」という番組の決めゼリフですね。
雑学を紹介するなかで、正解が出ないと、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られます。
この決めゼリフがNHKらしくないということで話題になり、視聴率も10%を超えているようです。
ボーっと生きているまちともにとっては、この決めゼリフはいやな感じに響きます。
番組で面白おかしく演出しているのだから、目くじらを立てることでもないと思う方もいると思いますが、この言葉の意味を考えるとそうも言っていられません。
問題として出される雑学そのものが、知っていても知らなくてもどうでもよい問題ですが、それを知らないことに対して「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と生きることを否定するような演出でいいのでしょうか?
たとえば、牛乳瓶で牛乳を飲むときに腰に手を当てるのはなぜか?という問題、知らないからといって人格を否定せれるような問題でもないでしょう。
そんな番組を見なければよい、という意見もあると思います。
見たくなければ見なくてよいのですが、そこそこ視聴率があるということは、多くの人たちが見ています。
問題に感じるのは、番組から離れて、決めゼリフが一人歩きすることです。
大相撲の今場所で、横綱、大関に対して「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱咤激励するような使い方、政府、与党の多くの国民の声に耳を傾けないような政治姿勢に対して「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と批判する、そんな使い方なら歓迎します。
しかし、障害者の中には危険回避できずに赤信号でも渡ろうとする人がいますが、その行為に対して「ボーっと生きてんじゃねえよ!」という声が飛ばないとも限りません。高齢者や認知症の人たちの行為に対しても同様です。
さらに、学校で正答を言えなかった子に対して、そんな声が出ないとも限りません。まさにいじめにつながる言葉です。
そのような危険性を持った言い回しを番組で垂れ流すことに、障害者や高齢者の支援にあたる者として大きな危惧を感じます。
番組の看板なのでしょうが、大きな影響力のある番組であるからこそ、再考してほしいものです。
雑学を紹介するなかで、正解が出ないと、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られます。
この決めゼリフがNHKらしくないということで話題になり、視聴率も10%を超えているようです。
ボーっと生きているまちともにとっては、この決めゼリフはいやな感じに響きます。
番組で面白おかしく演出しているのだから、目くじらを立てることでもないと思う方もいると思いますが、この言葉の意味を考えるとそうも言っていられません。
問題として出される雑学そのものが、知っていても知らなくてもどうでもよい問題ですが、それを知らないことに対して「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と生きることを否定するような演出でいいのでしょうか?
たとえば、牛乳瓶で牛乳を飲むときに腰に手を当てるのはなぜか?という問題、知らないからといって人格を否定せれるような問題でもないでしょう。
そんな番組を見なければよい、という意見もあると思います。
見たくなければ見なくてよいのですが、そこそこ視聴率があるということは、多くの人たちが見ています。
問題に感じるのは、番組から離れて、決めゼリフが一人歩きすることです。
大相撲の今場所で、横綱、大関に対して「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱咤激励するような使い方、政府、与党の多くの国民の声に耳を傾けないような政治姿勢に対して「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と批判する、そんな使い方なら歓迎します。
しかし、障害者の中には危険回避できずに赤信号でも渡ろうとする人がいますが、その行為に対して「ボーっと生きてんじゃねえよ!」という声が飛ばないとも限りません。高齢者や認知症の人たちの行為に対しても同様です。
さらに、学校で正答を言えなかった子に対して、そんな声が出ないとも限りません。まさにいじめにつながる言葉です。
そのような危険性を持った言い回しを番組で垂れ流すことに、障害者や高齢者の支援にあたる者として大きな危惧を感じます。
番組の看板なのでしょうが、大きな影響力のある番組であるからこそ、再考してほしいものです。