まちとも こころのおもむくままに

障害者に普通に接するということ

前の投稿に、とても大切な視点でコメントをいただきました。
障害者が社会的な経験が乏しいのは、障害のない人たちがナチュラルに接していないからではないかというもの。
普通に接するということが大切なことですが、なかなかそれができないというのも実際だろうと思います。
そこで、改めて普通に接するということについて書きます。

知り合いの脳性マヒの方がこんなことを話していました。
ある時、車イスで近所の公園に行った時のこと。
小さな子どもが興味を持ったのか近寄ってきました。
ところが、一緒にいた母親が近寄らないように子どもを止めました。
そのことがとても悲しかったと。
母親の意図はわかりませんが、車イスに乗った自分の姿を子どもたちにも知ってほしかったと話されました。

まちともは、20年余にわたって保健所で精神障害者支援に携わっていました。
保健所には、看護学生が実習に来ます。
スケジュールが許す限り、精神障害者の社会復帰活動に参加してもらいました。
精神科の疾患について学び、中には精神科病院での実習を終わっている学生もいますが、障害者と接する時に最初は腰が引けています。
しかし、障害者から声をかけられ、交流ができていく中で、自然に会話ができていくようになります。
多くの学生が、先入観を持たないで普通に接することができる人たちだと学んでいきました。

NPO法人“T”の事業所では、社会的な経験の乏しさを補うため様々な行事を行っています。
レストランでの会食も年に2回ほど行っています。
ほとんどバイキングです。
慣れない人は、何をどのくらい取ってよいのかわからずに困惑することがあります。
また、同じ物を山と盛ってくる人もいます。
仲間同士で声をかけたり、助言したりしながら回数を重ねるたびに、スムーズに取れるようになります。
社会的な経験を重ねるとは、そのようなことではないでしょうか。

障害者といっても様々な障害特性があります。
専門的な支援を行うためには、特性を理解して対応することが求められます。
しかし、日常の地域生活の中では、普通にあいさつし、困っていることがあるようなら声掛けをするということではないでしょうか。
特別に障害特性を理解していなくてもできることです。
機会があれば、障害を持った人たちと交流することも大切です。
障害があるからといって近寄らないということではなく、障害があってもなくても、あいさつし声掛けをするということが大切です。
そんな社会になっていってほしいものです。

城北公園のなんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)が若葉をつけてきました。
その内に白い花で覆われる時が来ます。


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