<八木沢マタギを語る!> 後世に語り伝えたい「八木澤 又鬼」二百年の歴史

【自然への畏れ】先祖を敬い自然に感謝したマタギ文化消滅!10月15日八木沢マタギの日 ※写真:火縄銃の背負袋(村文化財)

<鷹とマタギ>は何か共通をしているような気がする

2016年12月15日 | 八木沢マタギ

筆者  八木沢マタギの猟場「天上倉山(888)」にて(1998.4.18)


 平成11年(1999)4月18日 旭又登山口(06:10)~天上倉(12:45)~旭又(17:00) 11時間にわたり、マタギたちの足跡を追い求めた。すべてを万全をきし,天にすべてを託した。
 この日、私は秋田市仁別 旭又登山口~赤倉沢源流~赤倉岳(1093)~萩形沢源流~天上倉山(888)を歩いた。赤倉岳源流、標高700㍍地点は大きな雪崩の割れ目があった。急斜面の雪崩を横切る時は恐かった。山は深い眠りから目を覚ます寸前、山を起こしてはいけないと慎重に急斜面をアイゼンとピッケルを巧みに使い分け、1100㍍級の稜線にでた。稜線直下、雪崩の隙間に鮮やかな黄色の花「マンサク」が咲いていたのを思いだす。ここで「アイゼン」から「ワカン」に換え萩形沢源流を横切り、笹森岳の稜線に出る。この一帯、八木沢マタギの狩猟地。ブナの巨木に当時の狩りの様子が彫り刻まれていた。 


      

 

写真左:マタギの調査記録地図(作成 佐藤良美) 写真右:ブナの巨木に山刀(ナガサ)で彫り刻んだ狩りの記録:天上倉山(888)「11:30クマ二日目一ト男 昭二八・四・二八 山金外二十人 右側に熊の手形が彫られている」1999年4月18日 撮影 

 

 1978年春、『山田家先祖代々記』を最後まで書き綴った、山田運治郎氏(故人)を尋ねて話を聞いた。運治郎氏は「明治期、この山で雪崩にのみ込まれ、帰らぬマタギがいた」といっていた。父良蔵マタギにそのことを話をしたら父は知らないといった。語り継がれないことがある。山を歩いていつも思うことは「山はつねに畏敬をたもつ」。人間の存在なんか大自然のなかではチッポケな存在だと思う。同じ山道を何百と歩いても同じと思うことはない。山は雄大で脈々と生き続けている・・・。その山にマタギたちの姿があったと思うからである。

 昨年、4月上旬、八木沢集落を歩いた。肇マタギの家が壊されていた。肇は戦後のマタギだが先祖代々からの受け継がれた伝統マタギの継承者でもあった。何もかもが消えていく。わずかでもいい。集落の歴史を後世に残そうと思う。

【自己紹介】
 秋田市手形山 在住 1954年12月 上小阿仁村八木沢に生れる 78年3月 秋田経済大学 経済学部卒(現ノースアジア大学)、 元日本自然保護協会及び日本鳥学会会員
幼少期から山の奥地を歩く。国の天然記念物「クマゲラ」を太平山北面で初めて棲息の確認(平成09年07月24日太平山北面でクマゲラ生息確認「秋田魁新報社」)するなど、クマタカ、オオタカ、ハヤブサ等などの棲息調査や営巣の確認は十数巣におよぶ。また、30代のころ、12月、1.2.3.4月と前岳から中岳、鶴ケ岳(1002)、剣岳(1054)、宝蔵岳(1036)、太平山(1171)までの単独往復の縦走や2月、秋田市仁別から太平山系の尾根を歩き八木沢集落まで歩いた。


 2009年春, 集落最後のマタギ、父良蔵が鉄砲を返納し集落からマタギが姿を消した。八木沢マタギは江戸後期、マタギの発祥とされる、秋田・ 根子村(現北秋田市)から移住・定着した集落で、その歴史を後世に語り継ぐとして同年「八木澤マタギを語る会」を発足。年に一度「10月15日」を八木沢マタギを語る日として公民館などで開催をしている。

筆者  昭和50年代のころ 厳冬の出羽丘陵・太平山(1170)山頂にて


【主なマタギの調査】近世、マタギの発祥とされる秋田マタギの根子村(根子マタギ)「現北秋田市」から移住・定着した「村田徳助、山田三之助、佐藤七左衛門」の裏付け調査。集落に残された狩猟用具の検証で八木沢の「旅マタギ」の親族、阿仁マタギ関係者、鍛冶屋、岩手県・碧祥寺、信州・秋山郷などで昔の旅マタギや現役の猟師などを尋ね歩き、近世「八木沢マタギ」の歴史や狩猟具の検証。山田家先祖代々記の記述「第十三 明治43年冬 南秋田郡上新城村のマタギの調査。文献、鈴木牧之 秋山紀行・夜職草「天保年間、清津峡沿の二居には秋田から長松・長吉という兄弟がきて猟を伝授したという」ことについて、八木沢集落にも「長吉・長松兄弟」がいたことから新潟県・三面や信州・秋山郷を尋ね、その関連性についての裏付け調査や近世から八木沢マタギと共同で狩りをした萩形マタギ(離村)たちの、その後の様子などの調査もしながら集落の歴史を後世に残そうとしている。

 

文献:鈴木牧之「秋山紀行」・「夜職草」  宮本常一「山に生きる人々」 千葉徳爾「狩猟伝承」より

 文政11年(1828)、越後塩沢の文人・鈴木牧之(1770-1842)は、58歳の時、町内の桶屋と秘境・秋山郷を旅し、1831年「秋山紀行」を書き上げる。この紀行によると、鈴木牧之が現在の切明(湯本)で秋田マタギと出会い、草津温泉を市場に狩猟や山漁を行っていた様子が詳細に記されています。牧之が秋山郷を訪れた目的の一つは、秋田の旅マタギに会うことだった。大赤沢では天保年間に親子二人の秋田マタギが狩を伝え、親は石沢家に、子は藤ノ木家に納まったという。清津峡の二居には秋田から長松・長吉という兄弟がきて猟を伝授したという。 (鈴木牧之:夜職草)
  大赤沢を出て、わずか二軒だけの甘酒村でのこと「雪に降りこめられたなら、さぞかしさびしいでしょう」と聞いてみた。女は答える「雪の間は里の人は一人もやってきません。ただ秋田のマタギが時々やってくるだけでございます」(鈴木牧之:秋山紀行)
 
 「夜になると、約束を違わず、狩人二人のうちの一人が訪ねてきた。年は三十ほどと見え、いかにも勇猛そう。背中には熊の皮を着、同じ毛皮で作った煙草入れ、鉄製の大煙管で煙を吹き出す様子は、あっぱれな狩人と見えた・・・「お国は羽州の秋田の辺りですか」と尋ねると、「城下から三里も離れた山里だ」と答えた。牧之は「秋田在の訛も交わらず言葉鮮なれば、一つも繰返して聞直すこともなく」と記している。
  民俗学者の宮本常一著書「山に生きる人びと」によれば、「お国は秋田のあたりかと聞くと、城下から三里へだてた山里だと答えた。上小阿仁村あたりであろうか」とある。 
 
 山の中ではやくからくらしをたててきた人びとには、野獣をとろうとして住みついた者、山にある木や草を生活用具として利用しようとした人、胴・鉄のようなものを帆って歩いた人たちなどいろいろある。そうした仲間のうち、野獣を追うて歩いた人びとの山住いの歴史がもっとも古いのではないかと思われる。今日、狩猟を主として生活をたてている村はなくなっているが、かつて狩猟によって生きていたという村ならばいくつか見かけることができる。北からいって青森県下北半島恐山の西にある川内畑、津軽の黒石市大川原・黒森・二庄内・沖浦・板留、中津軽郡西目屋村、西津軽郡鯵ヵ沢町赤石川の谷、秋田県北秋田郡の阿仁町露熊・根子、上小阿仁村八木沢・萩形、仙北郡檜木内村戸沢、福島県南会津郡檜枝岐村、新潟県岩船郡朝日村三面、北魚沼郡湯之谷村など東北地方日本海斜面の山中に点々として見かけるのであるが、さらに古くさかのぼれば吉野・熊野の山中にも狩猟の村は多かったし、四国山中にもそうした村がみられた。(山に生きる人びと:宮本常一)
  
 古来、鷹とマタギは兄弟だとされ、マタギは鷹を射たない。射ってはならないとされる。マタギは鷹使いの流れをひく伝承をもっていたらしいことである。この人たちの口伝えでは、マタギと鷹は同じ仲間だから、捕ってはならぬというのであった。そして、万一鷹を撃ったならそれを往生させるための儀式というものが、巻物中に記されているのである。(文献: 千葉徳爾「狩猟伝承」)

 

 ≪鷹の調査:撮影 佐藤良美≫

 森のなかで一人、営巣中の鷹を観察する。生き物との調査は一対一を基本とし静かに見守り続ける。つらい調査のなかでヒナが巣立つ一瞬で苦労が感動へと変わるが、巣立ったヒナには厳しい自然界が待ち構えていることを忘れない。

 鷹の調査には多くの危険を伴う。「奥地だから危険だとか低地だから危険ではない」とは限らない。むしろ低地が最も危険だと思う。調査で心がけていることは「種の保存」である。生態系をこわしてはならないこと。生態系の頂点に位置する鷹は最も警戒心が強い。営巣地は外敵から狙われにくく、なおかつ「子育て」ができる環境にあるが、その域は極めて限定される。調査で心がけていることは「して良いことダメな事」だ。マタギの世界も同じことがいえると思う。

 

 《クマタカ:絶滅危惧種》
 クマタカの営巣地を確認するのに7年近い歳月が過ぎた。調査は春夏秋冬の四季を通す。調査で最も大切な季節は酷寒の冬。風雪が舞う1月から2月、上空を飛翔するタカの姿を追いもとめた。この頃、タカの活動が最も活発になるからだ。

 

 

写真左:クマタカの親(メス) 写真右:ヒナに餌をあたえる親(メス)

 

 写真左:巣内に餌を運んだ直前のメス親(メス) 写真右:巣内に餌のヘビを運ぶ


 

写真左:親(メス)が運んだ餌を奪いとるヒナ 写真右:餌をくわえるヒナ


 

写真左:リスをくわえたヒナ 写真右:ウサギが運ばれた

 
 

写真左:ヘビを巣に運ぶ親(メス) 写真右:親はヒナの成長度合いによって餌を変える


 

写真左:このヒナは大きさからメスのようだ 写真右:巣立ち直前のヒナ


 

写真左:ヒナは巣立つ頃、親と同じぐらいの大きさに成長する 写真右:クマタカの親子


 

写真左:営巣木に西日が照らす 写真右:巣立ちが目前のヒナ

 



《オオタカ》


 

写真左:オオタカのヒナ 写真右:餌をくわえるヒナ


ヒナとはいえどども獲物に飛びつく様子はすさまじい



ハヤブサ(絶滅危惧種)のヒナ巣立ち 大空へ

標高約二百八十㍍の断崖絶壁のくぼみに作られた巣から、四羽のヒナが先に飛んだ親鳥の後を追うようにつぎつぎと飛び立つ。感動の一瞬だが、そのうちの一羽がすぐに巣にひきかえした。そのヒナは再び飛ぶことはなかった。



 

   大空舞う ハヤブサのヒナ

 鷹の調査でまれに貴重な植物をみかける。サルメンエビネは断崖絶壁に営巣する「ハヤブサ」の観察場所付近にひっそりと咲いていた。また、キエビネとアカエビネはミサゴの営巣地付近で咲いていた。カメラ機材を背負い急斜面を登っていく。偶然足元を見たらエビネが咲いているのに驚き。いまごろ咲き、しかも、黄色エビネと鮮やかな紅紫色のエビネが同じところに咲いている。驚きと、あまりの美しさに圧倒され、しばし足を止めてしまった。山からのプレゼントだと思った。


 

写真左:サルメンエビネ(猿面海老根)ラン科 右側:キエビネとアカエビネ


 


《一属一種 ミサゴ 準絶滅危惧種(NT)環境省》

 

 写真左:ミサゴ2001年5月13日  写真右:巣材をはこぶ親(メス)2006年6月22日


 

写真左:2006年7月7日 ミサゴは一属一種 準絶滅危惧種 写真右:巣に降りる寸前の親(オス) 

 

写真左:平成16年7月30日 巣立つヒナ 秋田市仁別 写真右:巣立ち直前のミサゴのヒナ

ミサゴの親(オス)餌の魚をつかまえて巣に降りる瞬間

 

 迷彩テントの中でクマタカの子育ての様子を見守る。カメラ機材と三脚、テントを背負い急斜面を登って観察場所につくだけでも一苦労。撮影は一瞬をとらえようとするがテント内は狭く蒸し暑い。鷹はとても警戒心がつよく、たとえ迷彩テントのなかでもすぐに気がつく。だから親(雌)は一瞬で巣に入り、一瞬で巣から離れてしまう。

  

対岸から鷹の子育ての様子を観察する まんなかは巣立ったクマタカのヒナの卵殻


【クマタカ】
 絶滅危惧IB類(EN)(環境省レッドリスト)食物連鎖の頂点に位置する希少な猛禽類。1989年のレッドデータブックでは絶滅危惧種とされ、種の保存法(「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」では政令指定種となっています。また、1993年にできた「種の保存法」でも、トキやライチョウ、ヤンバルクイナなどと同じランクで絶滅の危機に瀕している鳥のリストに入っている。ノウサギ、リスなどの小型哺乳類やヤマドリ、キジバトなどの中・小型鳥類を主食として生きている。クマタカの生息する環境は広く自然林が残され、バランスのとれたエサが供給される自然環境が不可欠で採餌できる場所や繁殖に適した場所が必要である。しかし、森林の伐採などにより餌となる小動物が減り、巣をかける大木もなくなった。クマタカを絶滅の危機から救うためには、クマタカが正常に繁殖を続けていくことのできる環境を守らなければならない。

 マタギの狩りは大自然と一体となって行われると思う。私は何度か熊狩りや巻狩り(ウサギ狩り)に同行したことがある。雪山を身軽に歩き、獲物を見つける鋭さ、鋭い目。マタギは世襲で秘伝を伝授し代々受け継がれてきた文化であった。大自然のなかで「古来」から棲息する生き物、特に鷹とマタギは何か共通をしているような気がする。

 

秋田さきがけ新聞 投稿 声の十字路 「八木沢マタギを語る」掲載記事より
 
 「投稿 声の十字路」へ「第一、第二、第三」とマタギ文化の心をつづった。このことは集落に生れ育ったものとして、どうしても後世に語り伝えたいと思ったからである。(佐藤良美)

平成22年03月08日記事 後世に伝えたい「八木沢マタギ」

平成22年09月22日記事 「八木沢マタギのルーツを探しに」


平成24年10月05日記事 「後世に伝えたい マタギの心、文化」

 

 幼少のころ集落のマタギが村田銃を背負い、狩りに行く様子をよくみかけた。友達の家に遊びに行くと奥から昔の「旅マタギ」が顔をのぞかせたが無言だった。大人はマタギのことを子供に話をすることはなかった。あるとき、親父(良蔵マタギ)に聞いた。「親父、先代はマタギのことを話したか」と。親父は「先代は何も話さなかった。ただ、ほかのマタギの口を通して伝えていたようだ。昔からマタギの物は、その家の家宝だ。」といった。

 奥地に入山、むかし歩いた「キッヤド(マタギ道)」を歩くこと、先祖代々、継承する狩猟用具を所持することは無言のマタギ魂が心に宿るような気がする。

  

《主な新聞掲載記事》
平成09年04月06日 ニホンザルとらえた「秋田魁新報社」
平成09年07月24日 太平山北面でクマゲラ生息確認「秋田魁新報社」
平成12年04月24日 太平山でイヌワシの写真撮影に成功「秋田魁新報社」
平成12年12月28日 太平山上空のクマタカ撮影「秋田魁新報社」
平成13年06月16日 営巣中のミサゴ撮影「秋田魁新報社」
平成15年08月22日 ミサゴの営巣を観察 巣立ちの瞬間など撮影「秋田魁新報社」
平成16年08月03日 仁別でミサゴの巣立ちの瞬間撮影に成功「秋田魁新報社」
平成16年09月08日 ミサゴのひな巣立つ 秋田市濁川「秋田魁新報社」
平成17年06月19日 仁別でクマタカ営巣地発見「秋田魁新報社」
平成17年08月09日 クマタカのひな巣立ち「秋田魁新報社
平成18年07月09日 ハヤブサのひな大空へ 岩見ダム周辺「秋田魁新報社
平成18年07月25日 秋田市添川でミサゴ 自然界の厳しさカメラにおさめる「秋田魁新報社」
平成19年08月14日 クマタカ巣立ち 2年ぶりに確認「秋田魁新報社」
平成20年08月28日 クマタカのひな巣立つ 絶滅危惧種 仁別で会社員確認「秋田魁新報社」
平成21年05月14日 山菜採りクマにご注意「秋田魁新報社」
平成21年07月24日 オオタカ2羽巣立つ 仁別で会社員が確認「秋田魁新報社」
平成21年08月18日 クマタカひな巣立つ 会社員が確認し撮影「秋田魁新報社」
平成22年07月28日 秋田市濁川 みさごひな巣立つ「秋田魁新報社」
平成22年08月06日 クマタカ巣立つ 仁別「秋田魁新報社」
平成23年07月14日 巣立ち間近い?オオタカのひな「朝日新聞 秋田」
平成25年06月19日 オオタカのひな すくすく育つ 河辺で営巣確認「秋田魁新報社」
平成25年06月23日 秋田さきがけ 週刊NIE 家族で読もう 注目2「オオタカのひな育つ」(P7)
平成270814日 秋田)クマタカのひなが巣立つ 秋田の山林から「朝日新聞 秋田総局」
平成290816日 クマタカ 巣立ちの季節「秋田魁新報社」 
平成290919日 地方点描 巣立ち「秋田魁新報社」

 

 

ー後世に語り伝えたい「八木沢マタギ」200年の歴史ー
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