今さらですが、半年前に発売された柴田元幸氏の新訳を覗いてみました。
サリンジャーの『ナイン・ストリーズ』
(その1)らしき記事はここにあります。
「覗いた」とは言っても…第一話のA Perfect Day for Bananafishだけなんですけど、ちょっと気になっていた個所がありまして、新訳ではどうなっているのかな、と思いまして…
まず、従来の野崎孝訳では、ミュリエルのことを”girl”と称しているところが「女」または「娘」となっていましてね…これはちょっと違うんじゃないかと思っていましたが、新訳では「女の子」となっていました。不思議な感じがするかも知れませんが、これでいいんじゃないかと思います。
あと、シーモアがミュリエルのことを“Miss Spiritual Tramp of 1948”と呼んでいると、ミュリエルが母に話すところですけど、このtrampは旧訳では「ルン○ン」(敢えて伏せております)でしたが、新訳では「売※女」となっていまして(敢えて※を入れております)かなり、大胆な語を使っておりますが、このころのシーモアとミュリエルは、お互い、このような表現しかできなかった…つまり、自虐の世界でしか自分を解き放てなかったのだろうということは理解できます。これはこれでOKだと思います。
さて、一番気になっていたのは、終盤のシーモアの“Two snobs.”
幼いシビルとビーチで戯れるシーモアでしたが、「無垢な存在」だと信じていたシビルにも裏切られた思いが募ってきます。旧訳では「スノビズムといこうぜ」となっていましたが、これはその前の言葉…つまり、波が寄せてきて“We’ll ignore it. We’ll snub it.”(無視しよう。冷たくあしらってやろう)の“snub”と“snob”を掛けてあるんですよね。(発音は同じだし)でも、旧訳ではそこが表れていないわけで…
新訳では「俗物二人、波を無視」となっていて「俗物」「無視」にそれぞれ「スナッブ」とルビがふってあって、掛けてあることが分かるようになっていました。後は、どのような解釈をするか読者に任せるということか…
しかし、ここに新たな問題が(笑)
Twoというのは「人間」、つまり、ここではシビルとシーモアのことなのかな?「俗物二人」としてしまうと「人間」に限定してしか解釈できませんが…
これはシーモアのその直後の行動と、その後のストリーの中にも「足」が何かのシンボルになっていることを考え合わせると…以前に聞いた、ある研究者の先生の解釈が正しいのではないかと思うのですが、ここでは伏せます(何だよ!)
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