今日の棋盤井は晴れ。
朝方の気温は-11℃、日中の気温はナンと+9℃迄上昇。
う~ん、コレはココ棋盤井にも本格的な春が訪れつつある、っちゅうコトでありますなぁ。
今日は南風が吹いて、日中はホントに暖かかった。
ダウンじゃ暑い位でした。さて、
司馬遼太郎大先生の「草原の記」であります。

超有名な司馬さんのコトなので、皆さんはご存知だと思いますが、このお方は大阪外国語大学でモンゴル語を専攻されていたのであります。
「空想につきあっていただきたい。
モンゴル高原が、天にちかいということについてである。」
と言う出だしから始まるこの物語は(流石に、ツカミはバッチリです)、司馬さん自身のモンゴルに対する個人的な強い思い入れ、憧憬から書かれている部分と、第二次大戦当時、自身が兵役で当時の満州国の四平と言うトコロで軍事訓練を受け、後に東満州の石頭と言うトコロに駐屯していた久留米戦車第一連隊に赴任していた時の部分、1973年(当時司馬さん50歳)とその17年後の1990年(当時67歳、亡くなる6年前)の二度、憧れのモンゴル高原(外モンゴル)を訪れた際に接待係として案内してくれた「ツェベクマさん」(当時、名門のウランバートル・ホテルに渉外係として勤務)と言う一人の女性の数奇な運命を辿った人生のコトを中心に書かれている部分から成っています。
流石に偉大なる歴史小説家のセンセイでいらっしゃいますので、その様々な場面でモンゴルの歴史、出来事、エピソードが散りばめられており(特に、寡欲で実にモンゴル的なオゴタイ・ハーンのおハナシは誠にオモシロい!)、非常に読み易く、ナニやらご本人に語り掛けられているかの如く感じる読み物であります。
ヒトに拠っては、この作品を叙情詩と迄言う人もいるほどであります。
この物語の中心人物であるツェベクマさんの人生は非常に数奇でありまして、元々はロシア領のブリヤート共和国に生まれ、幼くしてロシア革命の争乱を避ける為に避難したと思われる当時の満州国のハイラル近辺にあるソロン旗と言うトコロで青春を過ごし、結婚・一児を儲けた後にフフホトで文化大革命の荒波に揉まれ、最後は中国から子供だけを連れて逃亡し、一旦ブリヤートの親戚を頼むものの最終的には当時のモンゴル人民共和国に落ち着くと言う、モンゴル高原の中での4つの草原を転々とし、歴史と各国の政権交代等に翻弄された壮絶で、そして波乱万丈の人生だったのであります。
先に触れた、このモンゴル人を代表する寡欲な大ハーンでもあるオゴタイ・ハーンが、どこ迄ホントに言ったのかは良く分からないけれども、司馬さんはオゴタイの言として、以下を紹介しています。
ナニやら随分と哲学者めいた無常観を語っていますが、真実を語っているようにも思います。
「財宝がなんであろう。金銭がなんであるか。この世にあるものはすべて過ぎゆく」
「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である」
「なぜあなたは財産をたくわえているのです。人間はよく生き、よく死なねばならぬ。それだけが肝要で、他は何の価値もない。あなたは、財産が人間を死から守ってくれるとおおもいになっているのか」
そして、この物語の主役のツェベクマさんは、歴史に翻弄され乍ら辿り着いた4番目の草原ウランバートルの地で、中国からモンゴルに「北帰」(?)し、26年振りに再会を果たした旦那さんを自らの腕の中で看取り、最後は郊外の草原に戻ってゲルで牛二頭と共に暮らしたと書かれています。
まるでオゴタイ・ハーンの言うモンゴル人の寡欲さを体現したような生き様であり、物欲のカタマリである日本人や中国人にはとても真似出来る生き方ではないのかも知れません。
司馬さんの願いを聞き入れてツェベクマさんが彼女の半生を語った後に、司馬さんが彼女に対して「ツェベクマさんの人生は、大きいですね」と言うと、彼女は「私のは、希望だけの人生です」と切りかえすように答えたのだそうです。
そして最後に、司馬さんが懇請して掲載されたと言われる、劇作家の山崎正和氏による毎日新聞の書評では、以下のように分析・解説されています。
「政治には裏切られつづけ、故郷も夫も奪われ、終生、不遇に甘んじながら、草原の天幕にもどった彼女はしたたかに明るい。彼女に苦痛はあっても絶望感がないのは、人間の歴史の真の支配者にありえず、この世にあるものはすべて過ぎゆくと、彼女の体内の血が教えているからにちがいない。」
「いうまでもなく、モンゴルは著者にとって年来のこころのふるさとである。それに満腔の感情移入を示して書かれたこの本は、著者のもっとも底深い歴史観を洩らしている、と見ることができる。平安朝から明治にわたって、日本の歴史を作りそのなかに生きる人間像を描きつづけた著者は、かつて、必死に生きる男を高所から俯瞰する感覚が好きだ、と述べたことがある。この言葉の真意が、けっして人間を小さく見る傲慢にあるのではなく、むしろ歴史そのものへの無常観、苦い諦念にあったことを『草原の記』ははしなくも告白しているように思われる。」
モンゴルの悲しい歴史、モンゴル人の思想・生き方、そして司馬遼太郎と言う人物及びその歴史観を知るには、大変良い本であると思います。
是非一度、読んでみて下さい(字も大きいし、ページ数も少なく、且つ平易な文章で分かり易く書かれておりますので、非常に読み易い本でありますよ)。
因みに、この書の中で度々登場する鯉渕信一教授と言うお方は、司馬さんと同じ大阪外国語大学モンゴル語学科出身で、開高健の「オーパ、オーパ!!」(モンゴル編)にも登場する鯉渕教授なのであります。
色んなトコロで繋がっていたんですねぇ。
また、この主人公であるツェベクマさんは「星の草原に帰らん」と言う本も出されていたのですね(鯉渕さんの日訳?)。
こりゃ、買わなきゃ。
おススメっ!
朝方の気温は-11℃、日中の気温はナンと+9℃迄上昇。
う~ん、コレはココ棋盤井にも本格的な春が訪れつつある、っちゅうコトでありますなぁ。
今日は南風が吹いて、日中はホントに暖かかった。
ダウンじゃ暑い位でした。さて、
司馬遼太郎大先生の「草原の記」であります。

超有名な司馬さんのコトなので、皆さんはご存知だと思いますが、このお方は大阪外国語大学でモンゴル語を専攻されていたのであります。
「空想につきあっていただきたい。
モンゴル高原が、天にちかいということについてである。」
と言う出だしから始まるこの物語は(流石に、ツカミはバッチリです)、司馬さん自身のモンゴルに対する個人的な強い思い入れ、憧憬から書かれている部分と、第二次大戦当時、自身が兵役で当時の満州国の四平と言うトコロで軍事訓練を受け、後に東満州の石頭と言うトコロに駐屯していた久留米戦車第一連隊に赴任していた時の部分、1973年(当時司馬さん50歳)とその17年後の1990年(当時67歳、亡くなる6年前)の二度、憧れのモンゴル高原(外モンゴル)を訪れた際に接待係として案内してくれた「ツェベクマさん」(当時、名門のウランバートル・ホテルに渉外係として勤務)と言う一人の女性の数奇な運命を辿った人生のコトを中心に書かれている部分から成っています。
流石に偉大なる歴史小説家のセンセイでいらっしゃいますので、その様々な場面でモンゴルの歴史、出来事、エピソードが散りばめられており(特に、寡欲で実にモンゴル的なオゴタイ・ハーンのおハナシは誠にオモシロい!)、非常に読み易く、ナニやらご本人に語り掛けられているかの如く感じる読み物であります。
ヒトに拠っては、この作品を叙情詩と迄言う人もいるほどであります。
この物語の中心人物であるツェベクマさんの人生は非常に数奇でありまして、元々はロシア領のブリヤート共和国に生まれ、幼くしてロシア革命の争乱を避ける為に避難したと思われる当時の満州国のハイラル近辺にあるソロン旗と言うトコロで青春を過ごし、結婚・一児を儲けた後にフフホトで文化大革命の荒波に揉まれ、最後は中国から子供だけを連れて逃亡し、一旦ブリヤートの親戚を頼むものの最終的には当時のモンゴル人民共和国に落ち着くと言う、モンゴル高原の中での4つの草原を転々とし、歴史と各国の政権交代等に翻弄された壮絶で、そして波乱万丈の人生だったのであります。
先に触れた、このモンゴル人を代表する寡欲な大ハーンでもあるオゴタイ・ハーンが、どこ迄ホントに言ったのかは良く分からないけれども、司馬さんはオゴタイの言として、以下を紹介しています。
ナニやら随分と哲学者めいた無常観を語っていますが、真実を語っているようにも思います。
「財宝がなんであろう。金銭がなんであるか。この世にあるものはすべて過ぎゆく」
「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である」
「なぜあなたは財産をたくわえているのです。人間はよく生き、よく死なねばならぬ。それだけが肝要で、他は何の価値もない。あなたは、財産が人間を死から守ってくれるとおおもいになっているのか」
そして、この物語の主役のツェベクマさんは、歴史に翻弄され乍ら辿り着いた4番目の草原ウランバートルの地で、中国からモンゴルに「北帰」(?)し、26年振りに再会を果たした旦那さんを自らの腕の中で看取り、最後は郊外の草原に戻ってゲルで牛二頭と共に暮らしたと書かれています。
まるでオゴタイ・ハーンの言うモンゴル人の寡欲さを体現したような生き様であり、物欲のカタマリである日本人や中国人にはとても真似出来る生き方ではないのかも知れません。
司馬さんの願いを聞き入れてツェベクマさんが彼女の半生を語った後に、司馬さんが彼女に対して「ツェベクマさんの人生は、大きいですね」と言うと、彼女は「私のは、希望だけの人生です」と切りかえすように答えたのだそうです。
そして最後に、司馬さんが懇請して掲載されたと言われる、劇作家の山崎正和氏による毎日新聞の書評では、以下のように分析・解説されています。
「政治には裏切られつづけ、故郷も夫も奪われ、終生、不遇に甘んじながら、草原の天幕にもどった彼女はしたたかに明るい。彼女に苦痛はあっても絶望感がないのは、人間の歴史の真の支配者にありえず、この世にあるものはすべて過ぎゆくと、彼女の体内の血が教えているからにちがいない。」
「いうまでもなく、モンゴルは著者にとって年来のこころのふるさとである。それに満腔の感情移入を示して書かれたこの本は、著者のもっとも底深い歴史観を洩らしている、と見ることができる。平安朝から明治にわたって、日本の歴史を作りそのなかに生きる人間像を描きつづけた著者は、かつて、必死に生きる男を高所から俯瞰する感覚が好きだ、と述べたことがある。この言葉の真意が、けっして人間を小さく見る傲慢にあるのではなく、むしろ歴史そのものへの無常観、苦い諦念にあったことを『草原の記』ははしなくも告白しているように思われる。」
モンゴルの悲しい歴史、モンゴル人の思想・生き方、そして司馬遼太郎と言う人物及びその歴史観を知るには、大変良い本であると思います。
是非一度、読んでみて下さい(字も大きいし、ページ数も少なく、且つ平易な文章で分かり易く書かれておりますので、非常に読み易い本でありますよ)。
因みに、この書の中で度々登場する鯉渕信一教授と言うお方は、司馬さんと同じ大阪外国語大学モンゴル語学科出身で、開高健の「オーパ、オーパ!!」(モンゴル編)にも登場する鯉渕教授なのであります。
色んなトコロで繋がっていたんですねぇ。
また、この主人公であるツェベクマさんは「星の草原に帰らん」と言う本も出されていたのですね(鯉渕さんの日訳?)。
こりゃ、買わなきゃ。
おススメっ!