小諸市本町の竹内金物店の4代目として生を受け、日常雑貨の販売と建築板金の技術を学んだ。
初代はトタン板を加工しバケツやジョロを製作して、それをお店で販売するという事業と樋や煙突、屋根材を製作し建築関係も並行して商売を始めた。
2代目、3代目では鉄道の発展と共に駅舎の屋根工事を請け負ったり、市内の学校や農協などのストーブの設置工事を多く手掛けてきた。
本町に生まれたことで健速神社の例大祭で「お神輿」を担ぐことが出来た。
時代の流れで板金業は現在「ユニットハウス製造業」に変わったが、金属加工業として受け継がれている。
現在お店は金物屋からラーメン店の「中華そば やまさだ」に代わり、5代目がお店を守っている。
「やまさだ」は初代の定平が屋号として、山冠の下に定を設けた。
その小諸に今コロナ渦が吹き荒れている。
どうか小諸を愛する人達は非難や誹謗中傷ではなく、みんなで協力し合ってこの難局を乗り越えようではないでしょうか。
小諸をこよなく愛する私です。