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天狗の悪戯

2025-05-18 05:56:50 | 
 天狗も格の高い天狗や大天狗と呼ばれる神格を持った存在はほとんど悪さなどはしないのですが、カラス天狗や木っ端天狗と呼ばれる修験道の闇に落ちた人もどきの天狗は人に悪戯を仕掛けたりします。これを封じるものは勝軍地蔵菩薩の守りになります。勝軍地蔵は本来は愛宕権現という神仏で愛宕太郎坊という天狗の中でも最も偉い大天狗の坐すお山の守護仏でもあります。そこから愛宕権現には天狗の為すことを止める力があるということになったようです。狐には大口真神、蛇にはカヤノ姫の尊、とどんな障りにも鎮める役割のものが決められているようです。

鑑真和上

2025-05-16 05:59:52 | 
 鑑真は何度も失敗を繰り返すも5度目の渡海で唐から日本へ渡り、今でいう尼僧の戒律を伝え、天台宗の祖ともなった僧侶で奈良の唐招提寺も創建された方です。
 お客様の氣視をさせていただいていたら、その方のもとに北欧から仕事上の関係もあって北欧女性が来られることがあり、その方との因縁を視ていたら鑑真和上が出てこられました。日本への愛着、日本との深いご縁を感じました。来国はこの方にとっては驚きだったようですが、あちらの方にとっては必然だったようです。災禍が吉兆となるとは皮肉なものですが、先年の能登の地震のせいで欧州との地脈が繋がったようで現在石川県には欧米の観光客が激増しています。これもこの繋がりを生んだ一因かもしれません。もちろん鑑真和上の生まれ変わりは分霊になります。

ボブ・ディラン

2025-05-14 05:48:31 | 
 以前にEテレで特集を見たことがありました。彼はフォークの神様と呼ばれていましたが、ある時期にその音楽が一変しました。ロック・ミュージックに変わっていったのです。そのためにそれまでのファンやら音楽評論家やら世間全体にくそみそに叩かれました。「裏切者」と呼ばれるわけです。
 だけど彼は一切言い訳をしなかった。ただ歌で答えました。「ただ俺の歌を聴いていろ。」というわけです。そして徐々にその評価は変化し、また彼は音楽で認められる存在になっていきました。あれだけ音楽では主張の激しい人が音楽以外では一切主張をしないというのは何というか凄いなぁと思います。信念の人と言えるかもしれません。

天橋立再訪

2025-05-12 05:27:06 | 
 先日の土日は一泊で国内旅行に行ってきました。京都の天橋立は何度か訪れていたのですが、南側の新しい展望地ばかりに行っていたので今度は元々の古くから眺められている傘松公園のほうに上がってみました。こちらからの天橋立は古くからの絵図などに描かれている構図であぁこうだったのかと納得する感じがありました。それから籠神社に寄り御朱印と守り札を頂き、次の目的地へ向かいました。傘松公園の上り下りはリフトで面白かったです。娘はそのリフトで一台しかない金色のリフトに乗れてご満悦でした。我が子ながらこいつは中々の強運の持ち主なのです。
 それから下道を走って城崎マリンワールドへ。ここは以前に城崎温泉に宿泊した時に来たことがある水族館です。展示物がとても綺麗でスタッフさんもよく教育がされていて気持ちの良い施設です。エビとクラゲが奇麗でした。
 そして兵庫県の豊岡市にある竹野海岸の休暇村に一泊。オーシャンビューに癒されコシアカツバメの乱舞に癒され、もちろん温泉にもグルメにも癒されて一泊しました。
 翌日は近くの「玄武洞」という柱状節理の奇岩群が見れる天然記念物の場所を訪れて奇岩の数々を見て堪能し帰宅の途に就きました。何事もなく無事に帰宅できたことに感謝でした。

百万石の闇

2025-05-09 06:01:20 | 
 加賀百万石と言いますが、お城も天守閣もありません。何度か築城したのですが、度重なる落雷で炎上してしまい建てることを諦めたとか、幕府に対して深謀遠慮して築城しなかったとか諸説あります。本丸跡を見に行ったことがあったのですが、綺麗に浄化されていてでも何だか何かが隠されているような気もしていました。
 先日市内にある九万坊という寺院の由来を調べていたら、何だか不思議な由来がわかりました。加賀は一向宗が全盛で数多くの宗徒が居ましたが、前田家が支配を強めたときに数多くの信者が抵抗して打ち滅ぼされました。その数多くの宗徒の怨念が残っていて本丸炎上もそのためだったとか、それで怨念をまとめて集めて封印して九万坊というこの寺院に収めたというのです。そう言えばここは金沢城からすると北東の鬼門に当たる場所。
 百万石の城下町は繁栄を極めましたが、その裏には封じ込められた一向宗徒の怨念があったのかもしれません。尾山神社や白山ヒメ神社にもそれらの宗徒が数多く立てこもって滅ぼされたという逸話が残っています。今はこの土地は浄土真宗の王国となっていますが、歴史の影には数多くの犠牲者が居たのかもしれません。