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春の関口・目白台を散策

2016年04月22日 | 文京区

◆関口と目白台

神田上水は天正18年(1590)頃、井之頭池を水源とし 武蔵野の村々を経て下った水を、目白台下、現在の大滝橋付近に堰(大洗堰)を設けて取り入れ、神田や日本橋方面に給水した。この堰から関口の地名がうまれた。

目白台には3つの説があり、高台に目白不動、新長谷寺があったから。徳川3代将軍家光が目黒に対して目白と呼ぶべし。昔、白馬の名馬・白駒を馬白(めじろ)といい、その産地であった。

 

関口台は文京区の5つの台地のひとつで、台地の上下で最大30mの高低差があることから、急坂も多く、坂名には謂れも多い。

①鉄砲坂:坂下辺りに的場といわれる鉄砲の射撃場があった。

②鳥尾坂:私財を投じて坂道を開いた鳥尾小弥太の名前から名付けられた。

①鉄砲坂      ②鳥尾坂

  

連光寺

山門に竜の透かし彫りがみられる

◆関口フランスパン

明治21年(1888)、小石川関口教会(現カトリック関口教会)製パン部として創業。日本初の本格派フランスパンの誕生店。

◆和敬塾

昭和30(1955)年、実業家・前川喜作が、旧細川侯爵邸敷地約7千坪および本館を購入し、敷地内に男子学生のための学生寮を建設した。

◆永青文庫

昭和25年(1950)細川家伝来の文化財の散逸を防ぐため、16代細川護立により設立された財団法人〔平成22年に公益財団法人)。細川家伝来の資料や文化財を収蔵、年4回の会期に分けて美術品などが展示公開される。

 ◆新江戸川公園

 肥後熊本藩主細川家の下屋敷・抱え屋敷。その後、明治15年(1882)細川家の本邸となる。昭和34年(1959)東京都が買収して都立公園となり、昭和50年(1975)文京区に移管された。起伏に富んだ地形を利用し、目白台の湧水を池に引き込んだ、回遊式泉水庭園。江戸時代の大名庭園の面影をとどめている。

◆松聲閣

明治20年頃、細川家の学問所として建てられ、大正時代に改修を行い、細川家の住まいとして使用された。平成26年(2014)から過去の写真や図面を参考に整備を行い平成28年(2016)リニューアルオープンした。

二階からの眺望

幽霊坂

◆日本女子大

明治34年(1901)創立。「女子を人として、婦人として、国民として教育する」という教育方針のもと、成瀬仁蔵によって開校された日本で最初の組織的な女子大学校。

◆成瀬記念講堂

明治39(1906)年、日本女子大学校図書館兼講堂として建設。建設当時外壁は煉瓦だったが、関東大震災で大きな被害を受け、後に内部の造作を残して、外壁および間仕切りの煉瓦をすべて取り除き、木造建築として再建された。内部の木骨トラストやステンドグラスは創建時のまま。

 

◆成瀬記念館

創立80周年記念事業の一環として豊明幼・小学校の跡地に建設、1984(昭和59)年に開館。創立者の理念や学校の歴史などの資料が展示されている。

 



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