◆生麦
江戸時代初めから、江戸幕府の直轄地(天領)であった。村の南は海で、漁業も盛んで月に三度将軍に魚を献上する「幕府の御用」を務めていた。その見返りとして、江戸湾のどこでも自由に漁が出来る権限を与えられていた。
生麦は貝の名産地で、生の貝をむく「生むき」がなまって生麦になったとも、また徳川二代将軍秀忠がこの辺りを通った時、道がぬかるんでいたので、名主が機転を利かせ畑の麦を刈り取って敷き、、行列を無事に通過させたので生麦と呼ぶようになったとも言われている。
◆生麦事件
文久2年旧暦8月(1862年)東海道沿いの武蔵野国生麦村で起こった外国人殺傷事件。京都に向けて江戸を出発した薩摩藩島津久光一行の行列と、横浜からやってきた騎乗の4名の英国人が遭遇し、行列の進行を妨げたとし3名が殺傷された。この事件で英国から賠償金を要求され、それを拒んだため薩英戦争となる。
旧東海道 生麦事件発生現場
◆生麦事件碑
4名の英国人の1人、リチャードソンが落命した地に立つ事件碑
現在、高速道路工事のため200メートルほど手前に仮設置されている。平成28年には本来の場所に復帰する予定。
◆生麦事件参考館
平成6年(1994)、地元の酒類販売商、浅海武夫氏が創った私設資料館。英国の古書店で手に入れたという事件を報じた新聞、古地図、錦絵、写真、文献書籍等、160点ほどの展示物がある。解説用のビデオ60分は、劇画のような迫力で思わず引き込まれ、時を忘れてしまう。
参考館館長 浅海武夫氏
併設されている酒の記念館
◆キリン横浜ビアビレッジ
キリンビールは明治3年(1870)、アメリカ人ウイリアム・コープランドが、日本で初めて大衆向けにビールを醸造・販売した企業「スプリング・バレー・ブルワリ」を起源とする、日本のビール事業の草分け的企業。幾多の変遷を経て、明治40年(1907)麒麟麦酒株式会社として創立する。
◆工場見学
ビールの製造過程〔原料 仕込み 発酵 貯蔵 ろ過 パッケージング〕をガイドが映像、展示物で案内する。見学後はビールの無料試飲が出来る。
麦芽 ホップ
仕込み釜 ろ過機
ミュンヘン醸造所ジョッキの展示
一番搾り フローズンビールの試飲
シャリシャリの泡
◆よね饅頭
「お江戸日本橋」の歌詞にも登場するよね饅頭は、17世紀後半に江戸の浅草待乳山の下、鶴屋の娘よねが売り始めたものといわれ、元禄から享保年間までは江戸の銘菓とされたそうだ。
鶴見のよね饅頭がお土産として有名になったのは18世紀に入ったころで、このころのものは、塩餡の餅を俵型に小さく作ったものに、焼きごてで焼き目をつけ竹篭に入れて売っていた。江戸の人々の小旅行として行われた、夏の大山詣の頃には特に売れたという。しかし明治5年(1872)の鉄道開通とともに姿を消していった。
◆お菓子司 清月
鶴見名物「よねまんじゅう」を復活させた和菓子屋
よねまんじゅう 薄い羽二重餅で包んだ小さな俵型 白餡 こし餡 梅餡の三種類
なまむぎ最中 刀の鍔の形をした皮と袋入りの餡
歴史に疎い私も 事件に興味がわきました
浅海さん ありがとうございます
もう一度 おじゃまして 資料をゆっくり拝見したい
どうやって イギリスの古書店で生麦事件の資料を探すことができたのか…というお話も伺いたいです
今を見て、歴史を知り、その土地が3Dで頭の中で立体的に整理されて、ますます興味がわいてきます。
ボランティアの皆様、いつも素敵な企画をありがとうございます。
事件の生々しさが伝わってくるお話でした。
事件の背景なども興味津津です。
サンポスキーさん、ありがとうございます。
これからも、楽しいコメントよろしくおねがいいたします。