何度手術をしたって大丈夫!
そのたびに
新しい命をまたもらうのだから
この一本桜のように
輝ける生命力を
持ち続けるあなたへ
頑張れ!
頑張れ!
頑張れ!
(田屋の一本桜)
何度手術をしたって大丈夫!
そのたびに
新しい命をまたもらうのだから
この一本桜のように
輝ける生命力を
持ち続けるあなたへ
頑張れ!
頑張れ!
頑張れ!
(田屋の一本桜)
つつまれていたんだな。 温かな大きな心に。ず~っと
私が結婚するとき
母が毎日つけていた育児日記を
一冊の本にしてくれた。
父が
表紙の字を書き、祖母と私の写真を版画に彫ってくれた。
書き溜めていた育児日記を
ひとつひとつ手書きで書いて。
結婚式のとき手渡された最高の贈り物。
父の字をそっと指でなぞってみる。
彫られた版画のやわらかな線に何度も触れてみる。
父のぬくもりがあった。
----------------------------------------------------------
父は
短歌と版画の年賀状を毎年出していました。
(この写真の少年のことを知り、一気に彫っていました。)
父の生き方、そのまま。
書ききれないほどの想いが
溢れます。
山のようにある父の短歌と版画の年賀状を
一周忌までひとつの形にまとめようと
家族で話しています
父さん
「病気が治ったら、もう一度登りたい」と言っていた月山に
みんなで登ったよ。(8月)
胸に抱いて一緒に登った写真の父さん、笑ってた。
見えますか、父さん。
感じますか、心地よい風。
父さんは
月山を吹き渡る風になったんだね。
そして、優しい光になった。
腹水も溜まってきていたのに
一言も苦しいとは言わず
今までほんとによく頑張ったね。
大きな愛をありがとう。
私は
父さんの娘で
ほんとに良かった!
人は月山に入ると一度死者になり
また再び蘇るという。
自然とひとつになった父さんの命。
またいつでも会えるね。
----------------------------------------------------------------
光と風になりました。
(コメ欄お休みしています)
3月11日
この日を忘れないために
辛いけど、ここに書かなくてはと思いました。
釜石に住んでいるhanaちゃんに、去年連れて行ってもらった
釜石鵜住居防災センター。
ここに逃げ込んだ200人以上の多くの人たちが
ここで津波の犠牲になりました。
中に入った途端、
手を合わせたら涙があふれ、胸がおしつぶされそうに辛かった・・・
(この防災センターは去年の暮れに撤去されて、今はもうありません。)
防災センターの側で
この日、祈るように花が咲いていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少し長くなりますが、読んでください。
震災の二日早朝
妻を亡くされた男性がここを訪れ
壁に言葉を残しました。
<メッセージ全文>
忘れないでほしい
ここで多くの命が失われたことを
忘れないでほしい
生きたかった命がここで絶たれたことを
忘れないでほしい
ここで亡くなった多くの遺族がいることを
忘れないでほしい
津波はまたくるのだということを
忘れないでほしい
ここであった現実を
伝えてほしい
生きるために今 自分がどうすべきかを
伝えてほしい
失った命を守れず悔しい思いの人間がいることを
伝えてほしい
今は そして今日は 今日しかない
明日は 数分後はなにもわからないという現実を
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(コメ欄お休みします)
子供達が小さい頃(息子が3歳)
手作り絵本を作って、それを読み聞かせしていました
その大切な本が、いくら探しても見当たらなくなって
そしたら、本棚の後ろに落っこちていたのを、つい最近見つけました
良かった~~
記録のために、ここにそれを載せて残しておこうと思いました
(本が真ん中から開くように作りました)
下手だけど、大切な思い出です
大分古くなっているけど
何度も子供達と一緒に本を開いて読んだ、大切な手作り絵本です(*^.^*)