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~ナースえいや三十にして立つ~
アメリカでCNA→ICU RN→NP

アメリカ USCISとの闘い(F1-EAD)~おまけ~

2008-10-16 11:42:20 | 【アメリカ】F1(OPT)のEAD
前回(アメリカ USCISとの闘い(F1-EAD)⑥)の続きです。

EAD取得奔走記にまつわるエピソードで紹介していないものをここで披露します

1.電話切られた事件
 2005年1月初旬にUSCISへ電話で問い合わせをした時のこと
 相変わらず担当者は

 「後日また連絡して

 と同じ対応でした。今までの経緯を説明し、何度連絡しても何も進展がないこと
 せめて上司に当たる人とでも話をしたいと食い下がりました。
 しかし担当者は

 「上司とは話せない
 「後日連絡するように

 と取り合って貰えませんでした
 それでもえいやは必死に食い下がり
 
 「私は何度も同じことを言われて何か月も待っています。
  何度も「後日連絡すれば回答出来ると思う」とそちらに言われ続けているのに
  情報を全くいただけないのはなぜでしょうか?
  約束をしっかり履行してください

 と何度も何度もしつこく迫ったところ、その担当者の取った行動は
 電話を一方的に切る
 という事でした。
 切られたえいやは呆然と同時に激怒
 電話を切られた怒りももちろんありますが
 それ以上に

 一方的に電話を切るのは人としてやってはいけないこと
 それが政府機関のコールセンター担当者であれば尚更でしょーーー

 というのが強かったですね。
 いやー、USCISコールセンターも担当者によっては恐ろしいです

2.H1b取得チャレンジ
 2005年1月に弁護士に会い、H1bビザ(就労ビザ)の取得に動き始めました
 H1bには様々な申請基準があるのですが
 当時のえいやがクリアしなければいけない基準は下記でした。

 A. 学士号を保有していること
 B. 学士号と職務内容が関連していること
 C. 同業同種の平均給与額より高い水準の給与を支払われていること
 D. 職種内容が専門的であること

 AとBは難なくクリア
 Cに関しては雇用関係機関等で平均額を割り出すという作業があった為
 その費用も含めた初期費用として弁護士さんに$500支払いました
 Dに関しては弁護士さんとは話さなかったのですが
 えいやの職種は高卒であれば就ける職であったため
 日本語を必要とする、などの特別な事情がない限り
 条件をクリアするのは難しいと感じていました
 
 最終的にCの調査には1-2か月ほど要し、
 弁護士さんから連絡があった頃には、えいやはすでに日本に帰国していました
 EADで戦闘意欲ゼロに陥っていたというのとその他諸々の理由により
 H1bの道は進まない旨を伝え、えいやのH1b取得チャレンジは終了しました

3.当時の日記
  OPTのEAD取得に関しては、サイドにあるカテゴリーの
  【アメリカ】過去の日記(留学時代)
  にも多少記述があるので参照してみてください。
  具体的には下記エントリーです

  ・2004年 6月11日 国葬>公共機関
  ・2004年 6月14日 仮労働許可




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