東大構内にて原佑一先生より説明をうける。(写真まんなかが原先生)
原先生のご案内で、東大浅野キャンパスの弥生二丁目遺跡、方形周溝墓の跡、ほか東大に
残る古代の面影をしのびながら、みなさんと歩きました。
詳しいレポートが「さわらび通信」にアップされていました。
私が書くより、詳しく内容も充実しています。^^
⇒『さわらび考古学教室「向ヶ岡弥生町」の史跡探索』
上の写真の左下に方形周溝墓とある。といっても、にわかにピンとこなかったのだが、ここにお墓があったとのこと。
「方形周溝墓」という言葉も知らなかったので、イメージできないなぁと思っていたら
足元のモザイクタイルが、まさにその跡を型どっているという。ナイスアイディア!!
昔の人々の歴史の上に今があるという感じ。
うまく言えないけど、遺跡をすべてよけて生活などできないだろうから、せめてなんらかの形で場所の記憶が残せたら素敵だと思う。
東大病院の工事現場で発見された砲弾について、地図を用いて綿密に検証されたお話を伺いました。
弥生坂(鉄砲坂)を歩きながら、また東大構内を歩きながら、この地が幕末から明治にかけての動乱の時代、
官軍と彰義軍がぶつかった上野戦争の舞台であったとのことです。
明治17年発見され、弥生土器の命名の由来にもなったつぼの発見場所が、後に不明になるといった謎もあり
不明な点もあるようですが、その後1975年に東大構内で環濠の一部が、さらに1995年に方形周溝墓が
発見されるなど解明が進んでいるらしいです。
史跡の地図ですが、さわらびさんのサイトのリンクをたどり、東京大学埋蔵文化財調査室サイト内にわかりやすい地図が載っていました。
こちらです⇒http://www.aru.u-tokyo.ac.jp/asano_map.pdf
今回資料をみながら書いたのですが、知らないことばかり。。
なんか間違ったこと書いてないかな・・とか気になっていますが、とりあえずアップしちゃいます。
次回は「修復のお仕事展~伝えるもの・想い~」の見学とお昼などアップ予定です。
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