これも私が以前から気になっていたことなのですが。
二人とも天武天皇の夫人になっている、藤原鎌足の娘の氷上娘と五百重娘は同母姉妹なのか?ということです。
私としては、何となく、この二人は同母姉妹だったのではないのか?という気がするのですが。
あえて私がそう感じる根拠を挙げるとすれば、もしも先に入内させた姉の方が子供を生まなかった場合に念のために妹の方も入内させる場合、同母姉妹の方が都合が良い所があるのではないのかというか。
しかし、この点については具体的に検証できそうな文献や記録などもなく。
ところが竹嶋麻衣氏の彼女達は同母姉妹だとする以下の論文を見つけ。
「雪をめぐる相聞 天武天皇と藤原夫人の贈答歌の位置付け」
http://rp-kumakendai.pu kumamoto.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/1652/1/105_takeshima_77_101.pdf」
ただ、竹嶋麻衣氏がそのように判断した具体的な根拠までは示されてはおらず。
しかし、そう彼女が判断するからにはそれなりの根拠があってのことだとも思いますし。
それからもしも氷上娘と五百重娘が同母姉妹だったとしたら、幼くして母の氷上娘を失った但馬皇女は叔母である五百重娘の許に引き取られて育てられたことも考えられますね。
そして不比等の三人の息子武智麻呂、房前、宇合の母は石川娼子です。
つまり、穂積皇子と不比等の三人の息子達は母方が同じ蘇我氏ということになります。
そして「藤氏家伝」の武智麻呂伝によると既に武智麻呂は幼い頃から穂積皇子にその優れた才能を認められたといいます。
ただ、後に高い地位に就いた人物を持ち上げる意図により、こうした既に子供の頃から周囲に只者ではないと言われていた逸話が書かれるのもよくあることなので。
だからこの話もそのまま事実としていいかは疑問が残ります。
ただ、このように母方が同じ蘇我氏であることから穂積皇子と不比等の三人の息子達には親しい関係が生じやすい背景があったことは事実でしょう。
二人とも天武天皇の夫人になっている、藤原鎌足の娘の氷上娘と五百重娘は同母姉妹なのか?ということです。
私としては、何となく、この二人は同母姉妹だったのではないのか?という気がするのですが。
あえて私がそう感じる根拠を挙げるとすれば、もしも先に入内させた姉の方が子供を生まなかった場合に念のために妹の方も入内させる場合、同母姉妹の方が都合が良い所があるのではないのかというか。
しかし、この点については具体的に検証できそうな文献や記録などもなく。
ところが竹嶋麻衣氏の彼女達は同母姉妹だとする以下の論文を見つけ。
「雪をめぐる相聞 天武天皇と藤原夫人の贈答歌の位置付け」
http://rp-kumakendai.pu kumamoto.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/1652/1/105_takeshima_77_101.pdf」
ただ、竹嶋麻衣氏がそのように判断した具体的な根拠までは示されてはおらず。
しかし、そう彼女が判断するからにはそれなりの根拠があってのことだとも思いますし。
それからもしも氷上娘と五百重娘が同母姉妹だったとしたら、幼くして母の氷上娘を失った但馬皇女は叔母である五百重娘の許に引き取られて育てられたことも考えられますね。
そして不比等の三人の息子武智麻呂、房前、宇合の母は石川娼子です。
つまり、穂積皇子と不比等の三人の息子達は母方が同じ蘇我氏ということになります。
そして「藤氏家伝」の武智麻呂伝によると既に武智麻呂は幼い頃から穂積皇子にその優れた才能を認められたといいます。
ただ、後に高い地位に就いた人物を持ち上げる意図により、こうした既に子供の頃から周囲に只者ではないと言われていた逸話が書かれるのもよくあることなので。
だからこの話もそのまま事実としていいかは疑問が残ります。
ただ、このように母方が同じ蘇我氏であることから穂積皇子と不比等の三人の息子達には親しい関係が生じやすい背景があったことは事実でしょう。