前日ブログでマルキユー(株)さんの会社沿革を拝見したところ、事業の始まりは “ 明治43年(1910)10月 マルニ小口製肥合資会社(長野県岡谷市)のマルキユー大宮支店として開業 ” という記事だった。
大宮市史の年表に、明治44年(1911)11月 大宮町に小口製肥大宮支店設立 とあり、大宮の歴史のひとコマに記録されている。
大正3年埼玉時事新聞社出版『大宮案内』の目次を見る。
下段「産業 金融」の中に「其他の工場」がある。
其他の工場の中の肥料製造所に小口製肥会社が載っている。「製糸場の挽屑を精製して屑糸真綿及び蛹肥料を製出す」とあるから製糸業の関連業種のようである。
『大宮案内』には巻末に広告ページがあり、そこに小口製肥合資会社の広告が載っている。
右の写真を90度回転する。
広告によれば、製造元の本店は信州諏訪郡平野村、支店は中山道大宮町の大宮支店である。諏訪郡平野村は現在の長野県岡谷市になる(ウィキペディア「岡谷市」)。
大宮支店の商標マークを片仮名にすると「マルキュー」である。
本店の商標マークを片仮名にすると「マルニ」である。マルキユー(株)さんの会社沿革の最初に「マルニ小口製肥合資会社(長野県岡谷市)」とあったが、マルニは本店の商標マークだと思う。
昭和12年発行埼玉県総務部統計課編『埼玉県工場通覧(昭和10年12月末日現在)』には、
(工場名) 小口製肥合資会社大宮支店
(工場所在地) 大宮町大字大宮47
(事業開始年月) 明治45年2月
(主要事業) 動物質肥料製造
(主ナル生産品目) 蛹絞糟・蛹油
と記載されている。
工場所在地の「大宮町大字大宮47」というのはどこなのかわからないのだか、昭和8年8月発行大宮町全図で現在のマルキユービルあたりを見ると、小口製肥合資会社(赤丸)がある。
現在の地図を90度回転して大宮町全図と比べて見る。
大宮町全図に赤で示した道は現在のこの道と大体同じだと思う。
大宮町大字大宮47は現在のマルキユービルのところかその近く(隣接)だと思う。
小口製肥の主ナル生産品目は蛹絞糟・蛹油とあるように、その事業は製糸業と関連していたと思う。
小口製肥の中山道を挟んだ向かい側は片倉製糸紡績株式会社大宮製糸所である。
大宮市史の年表には、マルキユー大宮支店開業の10年ほど前、明治34年(1901)5月2日 大宮町に片倉組大宮製糸場設立 という記事がある。
そして、マルキユー大宮支店開業の6年後、大正5年(1916)6月 片倉大宮製糸所が大宮町仲町から吉敷町の現在地に移転 という記事がある。
小口製肥合資会社と片倉製糸は目と鼻の先になったのである。
大宮市史の年表に、明治44年(1911)11月 大宮町に小口製肥大宮支店設立 とあり、大宮の歴史のひとコマに記録されている。
大正3年埼玉時事新聞社出版『大宮案内』の目次を見る。
下段「産業 金融」の中に「其他の工場」がある。
其他の工場の中の肥料製造所に小口製肥会社が載っている。「製糸場の挽屑を精製して屑糸真綿及び蛹肥料を製出す」とあるから製糸業の関連業種のようである。
『大宮案内』には巻末に広告ページがあり、そこに小口製肥合資会社の広告が載っている。
右の写真を90度回転する。
広告によれば、製造元の本店は信州諏訪郡平野村、支店は中山道大宮町の大宮支店である。諏訪郡平野村は現在の長野県岡谷市になる(ウィキペディア「岡谷市」)。
大宮支店の商標マークを片仮名にすると「マルキュー」である。
本店の商標マークを片仮名にすると「マルニ」である。マルキユー(株)さんの会社沿革の最初に「マルニ小口製肥合資会社(長野県岡谷市)」とあったが、マルニは本店の商標マークだと思う。
昭和12年発行埼玉県総務部統計課編『埼玉県工場通覧(昭和10年12月末日現在)』には、
(工場名) 小口製肥合資会社大宮支店
(工場所在地) 大宮町大字大宮47
(事業開始年月) 明治45年2月
(主要事業) 動物質肥料製造
(主ナル生産品目) 蛹絞糟・蛹油
と記載されている。
工場所在地の「大宮町大字大宮47」というのはどこなのかわからないのだか、昭和8年8月発行大宮町全図で現在のマルキユービルあたりを見ると、小口製肥合資会社(赤丸)がある。
現在の地図を90度回転して大宮町全図と比べて見る。
大宮町全図に赤で示した道は現在のこの道と大体同じだと思う。
大宮町大字大宮47は現在のマルキユービルのところかその近く(隣接)だと思う。
小口製肥の主ナル生産品目は蛹絞糟・蛹油とあるように、その事業は製糸業と関連していたと思う。
小口製肥の中山道を挟んだ向かい側は片倉製糸紡績株式会社大宮製糸所である。
大宮市史の年表には、マルキユー大宮支店開業の10年ほど前、明治34年(1901)5月2日 大宮町に片倉組大宮製糸場設立 という記事がある。
そして、マルキユー大宮支店開業の6年後、大正5年(1916)6月 片倉大宮製糸所が大宮町仲町から吉敷町の現在地に移転 という記事がある。
小口製肥合資会社と片倉製糸は目と鼻の先になったのである。
「コクーン」という名称は歴史を反映していて、なるほどと感心してますが、浦和の「コルソ」もなかなか良いネーミングだなと思っております。あそこは浦和駅が開設された時、駅と中山道を結ぶ停車場通りがあった場所で、コルソというのはイタリア語で「道」のことだそうです。
マルキューさんしかり、片倉さんしかりと本来の母屋が姿を消しても、しっかり名前だけビルやショッピングセンターの名称とかで、今なお継承されてる以上、未来永劫ずっと後世に語り継がれれば幸いです。
それはさておき、コクーンさんの由来(英語で「繭」のこと)を知るまで、昔あったアメリカ映画の『コクーン』の事がアタマに浮かんでたから、実際その由来を知るや成る程だなと納得した次第です。
以上をもちまして、失礼します。