昭和57年浦和市発行『新しい時代の幕あけ 浦和駅前市街地改造事業史』所載の昭和47年の空中写真を見る。白線で囲まれているところは再開発エリアだと思う。
そのエリアをヤフー地図に黄線で示すとこのようになると思う。
昭和44年の中山道側から撮った鳥瞰写真を見る。
同じ頃、浦和駅側から撮った鳥瞰写真を見る。
丸印の建物は空中写真のこの建物(丸印)だと思う。
その場所は大正11年の地図に浦和商業銀行と表示されているところだと思う。
平成5年浦和市発行『図説 浦和のあゆみ』所載の浦和商業銀行。
浦和商業銀行があった交差点の浦和駅よりの交差点を北に入ったところに三角波の屋根(黄で示す)が見える。
中山道側からの写真。
『新しい時代の幕あけ 浦和駅前市街地改造事業史』所載のこの写真の奥にその屋根が見える。
三角波屋根の手前に「スズキ洋品店」「もつやき」「もつ焼」の看板が見える。
昭和51年10月の鳥瞰写真を見る。三角波屋根の建物は解体されている。この看板はスズキ洋品店ではないだろうか。そして左の袖看板は「もつやき」と「もつ焼」ではないだろうか。
今の路地を昭和47年空中写真に黄で示すとこの道だと思う。
昭和47年3月鳥瞰写真にその道(路面が見える部分)を黄で示す。
『浦和市史 第五巻』に浦和駅西口改造計画の記事(昭和39年)として改造地域の略図が掲載されている。A棟ビルとB棟ビルがコルソ・伊勢丹になったのだと思う。
オリンピア映画劇場は昭和47年空中写真のここ(赤丸)だと思う。
そして昭和47年3月鳥瞰写真のここ(赤丸)だと思う。
『新しい時代の幕あけ 浦和駅前市街地改造事業史』所載の浦和オリンピア劇場の写真。
この窓(青枠)は、昭和47年3月鳥瞰写真のここ(青枠)だと思う。
平成12年浦和市立郷土博物館発行『記憶の中の風景 - 写された20世紀の浦和-』所載の浦和オリンピア劇場。
そのエリアをヤフー地図に黄線で示すとこのようになると思う。
昭和44年の中山道側から撮った鳥瞰写真を見る。
同じ頃、浦和駅側から撮った鳥瞰写真を見る。
丸印の建物は空中写真のこの建物(丸印)だと思う。
その場所は大正11年の地図に浦和商業銀行と表示されているところだと思う。
平成5年浦和市発行『図説 浦和のあゆみ』所載の浦和商業銀行。
浦和商業銀行があった交差点の浦和駅よりの交差点を北に入ったところに三角波の屋根(黄で示す)が見える。
中山道側からの写真。
『新しい時代の幕あけ 浦和駅前市街地改造事業史』所載のこの写真の奥にその屋根が見える。
三角波屋根の手前に「スズキ洋品店」「もつやき」「もつ焼」の看板が見える。
昭和51年10月の鳥瞰写真を見る。三角波屋根の建物は解体されている。この看板はスズキ洋品店ではないだろうか。そして左の袖看板は「もつやき」と「もつ焼」ではないだろうか。
今の路地を昭和47年空中写真に黄で示すとこの道だと思う。
昭和47年3月鳥瞰写真にその道(路面が見える部分)を黄で示す。
『浦和市史 第五巻』に浦和駅西口改造計画の記事(昭和39年)として改造地域の略図が掲載されている。A棟ビルとB棟ビルがコルソ・伊勢丹になったのだと思う。
オリンピア映画劇場は昭和47年空中写真のここ(赤丸)だと思う。
そして昭和47年3月鳥瞰写真のここ(赤丸)だと思う。
『新しい時代の幕あけ 浦和駅前市街地改造事業史』所載の浦和オリンピア劇場の写真。
この窓(青枠)は、昭和47年3月鳥瞰写真のここ(青枠)だと思う。
平成12年浦和市立郷土博物館発行『記憶の中の風景 - 写された20世紀の浦和-』所載の浦和オリンピア劇場。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます