咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

中山道浦和宿と鳩ヶ谷町を結ぶ昔の道

2020年06月24日 | 日記
2020年06月04日ブログ(江戸時代の浦和鳩ヶ谷道の現在)で私は江戸時代の浦和宿から鳩ヶ谷へ向かう道と思われる道を浦和宿絵図に黄矢印線で示した。
本日のブログは浦和宿絵図の先、浦和宿から鳩ヶ谷へ向かう道はどのような道だったのかをみてみようと思う。
江戸時代の地図を私は知らないので明治13年の迅速測図でみることにする。迅速測図の道は幕末の頃の道とほとんど変わっていないと思う。
迅速測図を縮小して浦和から鳩ヶ谷までを1枚で見る。
左上の「浦和駅」と右下の「鳩ヶ谷町」を赤枠で囲む。

迅速測図の浦和から鳩ヶ谷までを次の3区間に分けて道筋を辿ることとする。
3-1の区間、3-2の区間、3-3の区間。
浦和から鳩ヶ谷まで赤で辿っていくと、各区間の道筋は次のようになった。
3-1区間、3-2区間、3-3区間。

迅速測図のその道は現在どのようになっているかを次にみる。
現在の地図(ヤフー)を次の3区間に分ける。
3-1の区間、3-2の区間、3-3の区間。
先ほど迅速測図に赤で辿った道を引き継いでいると思われる現在の道を赤で示すと次のようになった。引き継いでいる道が存在しないところは分断(空白)とした。
3-1区間、3-2区間、3-3区間。

赤丸の交差点(左の方)を拡大する
赤矢印方向を見た2016年9月の写真。

赤丸の三差路を東から見た2019年6月の写真
赤丸の三差路から東を見た2019年6月の写真。

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