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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

さいたま市緑区にあった尾間木村 (下)

2021年01月12日 | 日記
本題ブログ(上)で私は埼玉県立図書館ウェブサイトの(デジタルライブラリー)(埼玉県立図書館デジタル化資料一覧)(絵図)から明治22年4月改正埼玉県管内全図(1889刊)を開き、尾間木村を見た。
明治22年埼玉県管内全図の符号例で道路を見るとこのようで、国県道は2本線、里道は1本線で描かれている。
尾間木村を通過する道路に国・県道はないが里道はある。
ウィキペディア里道によれば、明治9年(1876年)の太政官達第60号によって、道路はその重要度によって国道・県道・里道の3種類に分けられた。
明治22年埼玉県管内全図の尾間木村付近を私が市内の図書館でコピーしたもので見ると少しクリアーになる。尾間木村を通過する里道を、国・県道に繋がるまで赤で示すとこのようになった。

AとBを結ぶ道を日文研データーベース所蔵地図の大宮でみてみようと思う。
内容年代は大正3年(1914)とあるが、地図の左上(符号の右)に明治39年測図と書かれている。埼玉県管内全図から17年経っている。
尾間木村から東西に延びる道はAとBでそれぞれ2本線の道と交差する。2本線の道を東京の方に辿っていくとAは中仙道、Bは岩槻道と表示されている。岩槻道は江戸時代の日光御成道だと思う。
明治39年測大宮地図にAとBの交差点を赤で示すとこのようになると思う。
埼玉県管内全図のA~B間の道を明治39年測大宮地図に赤で示すとこのようになると思う。
尾間木村付近を拡大してその道を赤で示す
現在の地図にその道を概ね継承していると思われるところを赤で示すとこのようになると思う。
東浦和駅付近には昔の道は残っていないと思う。
2020年12月26日ブログのこの写真緑丸から緑矢印方向を見た。そして2020年12月28日ブログのこの写真青丸から青矢印方向を見た。


次に、明治22年埼玉県管内全図のCとDを結ぶ道を明治39年測大宮地図でみてみよう。
まず、A~Bの道を赤で示す
埼玉県管内全図の見沼代用水東縁を青で示す
大宮地図に青で示す
埼玉県管内全図のC~Dの道を明治39年測大宮地図に示すとこのようになった。C~Dのような曲がり方の道は大宮地図になかった。

続いて、E~Fの道をみてみよう。
Eのところの2本線の道を黄で示す
明治39年測大宮地図にその道を黄で示す
A~BおよびC~Dの道を赤で示す
埼玉県管内全図のE~Fを明治39年測大宮地図に示すとこのようになった。

最後に、埼玉県管内全図のG~Hの道を明治39年測大宮地図でみてみよう。
このような道になるのではないかと思う。
その道(G~Hの道)の南よりを拡大して赤で示す
赤で示したその道は現在の地図(ヤフー)のどの辺りになるのだろうか。ヤフー地図を次のように南北2面に分けて検討する。南面北面
明治39年測大宮地図に赤で示した道を概ね継承していると思われる道を南面に示すとこのようになった。
北面に示すとこのようになった。
明治39年測大宮地図には赤丸のところに寺院と学校がある。
現在地図のここ(赤丸)だと思う。東漸寺(とうぜんじ)さんがある。2019年11月02日ブログの東漸寺さん。

さいたま市立三室小学校ホームページから学校紹介の三室小の歴史を開くと、明治6年4月1日に馬場東漸寺を仮校舎として開校 とあり、明治22年に三室尋常小学校となる とある。明治39年測大宮地図にあった学校だと思う。
ヤフー地図を1面に縮小し、明治39年測大宮地図に赤で示した道を概ね継承していると思われる道を赤で示すとこのようになった。

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