2015年02月28日ブログで綴った岩槻区南辻あたりを国土地理院の地図で見る。
この地図に明治前期の低湿地を表示させる。
私が歩いた道をこの地図に赤で示す。
私は昔の元荒川を2ヶ所で渡ったということである。
ヤフー地図の空中写真に私が歩いた道を黄で示す。
昭和22年の空中写真を見ると昔の元荒川は残っている。
昭和50年の空中写真を見ても昔の元荒川は残っている。
昭和59年の空中写真になると元荒川の旧流路は緑地のようになっている。左に城北小学校が見えている。城北小学校HP学校のあゆみによれば、昭和51年の開校である。昭和59年9月運動場整備とある。(空中写真は昭和59年10月撮影)
昭和63年もあまり変化はない。
そして平成2年になると様変わりする。
私が歩いた道は開削中である。
先ほど見た昭和22年の空中写真に、私が歩いた日光御成道から東大宮岩槻線までの道を黄で描くとこのようになると思う。
岩槻区南辻付近の元荒川旧流路(埋立地)が大きく変化するのは昭和の終わりか平成の初めであることがわかる。
さいたま市のサイトから岩槻区内のまちづくり江川土地区画整理事業を見ると事業施行期間は昭和63年度から平成29年度となっている。
位置図を見ると岩槻区南辻が含まれている。
設計図に私が歩いた道を赤で示す。
2015年02月28日ブログで見た国有地の看板は64番に立っていた。昔の元荒川が流れていたあたりである。
この地図に明治前期の低湿地を表示させる。
私が歩いた道をこの地図に赤で示す。
私は昔の元荒川を2ヶ所で渡ったということである。
ヤフー地図の空中写真に私が歩いた道を黄で示す。
昭和22年の空中写真を見ると昔の元荒川は残っている。
昭和50年の空中写真を見ても昔の元荒川は残っている。
昭和59年の空中写真になると元荒川の旧流路は緑地のようになっている。左に城北小学校が見えている。城北小学校HP学校のあゆみによれば、昭和51年の開校である。昭和59年9月運動場整備とある。(空中写真は昭和59年10月撮影)
昭和63年もあまり変化はない。
そして平成2年になると様変わりする。
私が歩いた道は開削中である。
先ほど見た昭和22年の空中写真に、私が歩いた日光御成道から東大宮岩槻線までの道を黄で描くとこのようになると思う。
岩槻区南辻付近の元荒川旧流路(埋立地)が大きく変化するのは昭和の終わりか平成の初めであることがわかる。
さいたま市のサイトから岩槻区内のまちづくり江川土地区画整理事業を見ると事業施行期間は昭和63年度から平成29年度となっている。
位置図を見ると岩槻区南辻が含まれている。
設計図に私が歩いた道を赤で示す。
2015年02月28日ブログで見た国有地の看板は64番に立っていた。昔の元荒川が流れていたあたりである。
今は良好な環境の住宅地になっており、そのような時代があったとは想像できません。
地元の方でないとわからないことを教えていただきありがとうございます。
写真を見てもそれと教えられないとちょっとわかりません。
まさかゴミの埋め立てだったとは・・・。
有害物質の混入がないことを祈ります。
夏になると物凄い匂いで閉口しました。