明治13年測の地図で浦和宿から北に延びる中山道を黄で示す。
中山道から分岐して左上に延びる川越道の文字表示を赤丸で示す。
大正13年測の地図に中山道を黄で示す。
明治13年測の地図に中山道から川越道が分岐する交差点を青丸で示す。
大正13年測の地図に中山道から川越道が分岐する交差点を青丸で示す。
明治の地図を拡大して分岐点の三差路を赤で示す。
大正の地図を拡大して分岐点の三差路を赤で示す。
明治の地図に赤で示した道は大正の地図に赤で示した道に引き継がれていると思う。
明治の川越道分岐点は大正の川越道分岐点より南にあったように見える。
さいたま市ホームページの与野郷土資料館 展示Web解説から与野郷土資料館展示web解説(その28)を開く。
そこには中山道と与野道の分岐点が写真入りで案内されている。川越道は与野町を経由する道なので与野道の分岐点は川越道の分岐点でもある。
2022年05月12日ブログで私はその分岐点を見た。

2022年05月12日ブログはこのような道筋を綴ったのだが、分岐点の場所はここ(青丸)になる。
大正3年発行の浦和町明細全図(成就院以北)を見る。中山道から分かれた川越道を赤で示し、成就院さんを赤枠で示す。この地図の分岐点は明治のものと同じ場所だと思う。
現在の道をBing地図で見る。成就院さんを赤枠で示す。
大正13年の分岐点の道はこのようであるが、現在はこのようである。
大正3年の浦和町明細全図に赤で示した道は「旧浦和川越道」と表示されており、江戸時代からの道だと思う。
現在の地図に旧浦和川越道を引き継いだ道を描くとこのようになるのではないかと思う。
2022年05月12日ブログで緑丸の交差点から北を見た。北に見える新浦和橋陸橋下の駐車場から北を見た。
青丸の交差点から南を見た。川越方面を見た。
中山道から分岐して左上に延びる川越道の文字表示を赤丸で示す。
大正13年測の地図に中山道を黄で示す。
明治13年測の地図に中山道から川越道が分岐する交差点を青丸で示す。
大正13年測の地図に中山道から川越道が分岐する交差点を青丸で示す。
明治の地図を拡大して分岐点の三差路を赤で示す。
大正の地図を拡大して分岐点の三差路を赤で示す。
明治の地図に赤で示した道は大正の地図に赤で示した道に引き継がれていると思う。
明治の川越道分岐点は大正の川越道分岐点より南にあったように見える。
さいたま市ホームページの与野郷土資料館 展示Web解説から与野郷土資料館展示web解説(その28)を開く。
そこには中山道と与野道の分岐点が写真入りで案内されている。川越道は与野町を経由する道なので与野道の分岐点は川越道の分岐点でもある。
2022年05月12日ブログで私はその分岐点を見た。

2022年05月12日ブログはこのような道筋を綴ったのだが、分岐点の場所はここ(青丸)になる。
大正3年発行の浦和町明細全図(成就院以北)を見る。中山道から分かれた川越道を赤で示し、成就院さんを赤枠で示す。この地図の分岐点は明治のものと同じ場所だと思う。
現在の道をBing地図で見る。成就院さんを赤枠で示す。
大正13年の分岐点の道はこのようであるが、現在はこのようである。
大正3年の浦和町明細全図に赤で示した道は「旧浦和川越道」と表示されており、江戸時代からの道だと思う。
現在の地図に旧浦和川越道を引き継いだ道を描くとこのようになるのではないかと思う。
2022年05月12日ブログで緑丸の交差点から北を見た。北に見える新浦和橋陸橋下の駐車場から北を見た。
青丸の交差点から南を見た。川越方面を見た。

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