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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

江戸時代「六国見」と呼ばれた所 (後)

2025年01月06日 | 日記
ウィキペディア大宮宿に掲載されている『木曾街道 大宮宿 冨士遠景』を見る。
昨日のブログでその浮世絵の解説を見た。そこには “ この風景は、現在、針ヶ谷の大橋陸橋交差点の小堂に納められている庚申塔あたりの、かつての様子である ” と記述されていたのだが、#東大成の庚申塔をクリックするとウィキペディア大宮宿の東大成の庚申塔に飛んだ。ここには木曾街道 大宮宿 冨士遠景の風景は “ 東大成の庚申塔近辺である ” と記述されている。
「針ヶ谷の庚申塔付近説」と「東大成の庚申塔付近説」の2説があるということだと思う。
2020年2月私は赤い鳥居の前でカメラを左に振って東大成の庚申塔案内板を見た。
正面から見た。小堂に祀られた庚申塔を見た

近付い見た

昭和52年発行秋山喜久夫著『中山道大宮宿』に掲載の中山道大宮宿麁絵図面には木曽路名所図会の大宮原六国見の案内文を紹介したのに続き(この六国見ヶ原には、大宮・土呂境説、大宮・上尾境説もある。ともに六国の山々の見える原だったのであろう)と書かれている。
平成2年発行『GUIDE BOOK 大宮をあるくⅢ ~川と街道~』には六国見ヶ原についてこのように記述されている。裏参道から大宮公園辺りを六国見ヶ原といっていたようである。
明治43年実業新聞社出版『大宮案内』にはこのように記述されている。
土手宿と大砂土村の間に六国見ヶ原はあったようである。昭和4年頃の地図で土手宿と大砂土村を見る。
ウィキペディア大宮宿には東大成の庚申塔付近は丹沢山地と富士山の眺望が素晴らしかったとあった。東大成のこの辺りも六国見ヶ原(大宮・上尾境説)と呼ばれていたかもしれない。
木曽路名所図会には大宮原の中程に立場の茶店がありこれを六国見というと書かれていると思う。そこはわずか三十歩余の所だとある。「三十歩」は面積だと思うが面積変換一覧表では(1畝=30坪=30歩)とある。60畳の大広間がその面積になると思う。「大宮原の六国見」と「六国見ヶ原」はそれぞれ異なる場所だと思う。

「大宮原の六国見」は大宮原の中程にあった立場茶店の辺りだと思うが、本題ブログ(前)でその場所を中山道分間延絵図で見た。立場の文字を緑丸で示す。立場の左に鳥居が描かれ、そこは稲荷と表示されていると思う。
2013年1月私は与野駅改札口前で大原の大ケヤキが展示されているのを見た
この部分を展示しているとのこと。

案内文(大原の大ケヤキ)を見た。 “ 浦和宿と大宮宿の一里塚のほぼ中間にあったので「半里塚のケヤキ」と伝承される ” とあり、さらに “ 街道の名所で「六国見の立場茶屋」の北隣の稲荷社のご神木として村人に大切にされ ” と案内されている。

2015年3月私は与野駅東口近くの大原稲荷社を訪れた。

境内案内板を見た。大原稲荷社の案内板には “ 江戸期には、浦和新田(現上木崎2丁目、中山道西高通交差点付近)にありかって参道入口に大欅があった稲荷社である。明治初期現在地に移転した ” と記述されていた。
私は「六国見の立場茶屋」北隣の稲荷社は移転する前の大原稲荷社だと思う。参道入口の大欅というのは与野駅改札口前にあった案内文のご神木のことだと思う。
大原の大ケヤキが伐採される前(2010年3月)の写真

伐採2日後写真
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江戸時代「六国見」と呼ばれた所 (中)

2025年01月05日 | 日記
川口市教育委員会発行『赤山街道総合調査報告書Ⅰ 大宮道をたどる』には中山道と赤山道が合流する辺りの解説としてこのように記述されている。
前回のブログで中山道と赤山道が合流するところをマピオン地図に赤で示した。
栄泉の木曾街道大宮宿富士遠景を見る
ウィキペディア木曽海道六十九次によれば、4番が浦和宿、5番が大宮宿である。浦和宿の浮世絵は前回ブログで取り上げた。
昭和63年大宮市立博物館発行『わたしたちの博物館 第15号』には木曽街道大宮宿富士遠景についてこのように解説されている。ここには “ 北袋あたりの風景を思い出す ” とある。
ウィキペディア大宮宿に掲載されている『木曾街道 大宮宿 冨士遠景』を見る。その浮世絵の解説を見ると “ この風景は、現在、針ヶ谷の大橋陸橋交差点の小堂に納められている庚申塔あたりの、かつての様子である ” と記述されている。
岐蘇路安見絵図で針ヶ谷村から大宮氷川参道の分岐点までを見ると針ヶ谷村の入口付近の案内文は「空はれたる時は富士山見ゆる」と書かれていると思う。
木曽路名所図会で大宮原の左を見ると針ヶ谷村が案内されており黄で囲む。案内文は「右に落合村あり此所よりも雲晴たる時は富士峯見ゆる」だと思う。
江戸時代針ヶ谷村から見た富士山は美しかったのだと思う。
大宮原はその距離が三十町程あったというから針ヶ谷村も大宮原の一部だったと思う。

ウィキペディア大宮宿の浮世絵の解説は大橋陸橋交差点の庚申塔について触れられている。
大橋陸橋とあるが大原陸橋のことだと思う。マピオン地図に大原陸橋と旧中山道の交差点を赤丸で示す。
2016年8月その交差点で大原陸橋を見た。

庚申塔は黄丸で示したところに建立されている。
2010年3月大原陸橋(東)交差点の西南角から庚申塔を見た。
近付いて見た。

縦位置でさらに近付いた。右側面を見た。「正徳四甲午歳正月…」と刻まれていると思う。正徳四年は1714年。
ウィキペディア大宮宿の浮世絵の解説には「左手には、青面金剛像の彫られた庚申塔」とあるのだが、浮世絵を見ると文字庚申塔で像は彫られていない。大原陸橋下の庚申塔は青面金剛像が彫られている。
浮世絵の庚申塔は大原陸橋下の庚申塔を描いたものではないと思う。
さらに浮世絵の解説には「右手には大宮宿を後にしてなだらかに続く土手を上方(京)へと向かう旅人の様子が描かれている」とある。画面右から富士山の方向へ延びる土手道は大宮宿を過ぎて京都へ向かう中山道だと言っている。私にはそう見えない。
私は庚申塔が建っているのは中山道で左が江戸で右が京都だと思う。富士山の方向へ延びる道は次の交差点を左折して西へ延びる道だと思う。イメージはこのようである。

明治18年頃の地図で中山道と赤山街道が交差する辺りを見る。
中山道を黄で示す。
赤山街道を赤で示す。
私は木曽街道大宮宿富士遠景の浮世絵が六国見付近で描かれたものだとしたら、赤丸で示した交差点がイメージ図の赤丸の交差点だと思う。

前回ブログで中山道分間延絵図の上木崎村辺りの案内文字を加筆してみた。この絵図の左(大宮方面)を見ると赤山街道与野方面への分岐点かと思われるところがあり赤で示す。分岐点から西へ延びる道は与野町道三拾丁と案内されているのではないかと思う。「与野町道」は合っていると思うが「三拾丁」は<拾>の文字がよくわからないので推測で加筆した。

明治18年頃の地図に赤で示した道(赤山街道)を現在の地図(ゼンリン地図)に描くと概ねこのようになると思う。
赤丸で示した交差点の東南で旧中山道の西を見た。

この交差点は新都心大橋と立体交差になっているのだが、江戸時代の赤山街道はこの辺りから西へ分岐して延びていったと思う。江戸時代中山道の西は高台になっていたと思われ、中山道から西へ延びる赤山街道は上り坂だったと思う。イメージ図に示したように木曽街道大宮宿富士遠景のこの道は上り坂である。
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江戸時代「六国見」と呼ばれた所 (前)

2025年01月03日 | 日記
2017年12月私は旧中山道を浦和方面から大宮方面へ向かい、与野駅東口入口近くで案内板(中山道と六国見)を見た。
案内板には木曽路名所図会の記述が案内されている。
2024年07月17日ブログ(江戸時代の図書でみる中山道大宮 4)で私は木曽路名所図会のその部分(黄の囲み)を見た。
そこには大宮原について「野原の間三十町許あり 中程に立場の茶店ありこれを六国見といへるなり 僅か三十歩余の所より近国の高山見ゆる 富士 浅間 甲斐 武蔵 下野日光 上州伊香保 などあざやかに見えたり」と記述されていると思った。
案内板(中山道と六国見)には右下に『木曾街道六拾九次 浦和宿』の浮世絵がある。
さいたま市サイトから(浦和区)(地域情報)(文化の小径)(浦和区文化の小径マップ「上木崎界隈から見沼を歩く」)を開くと中山道と六国見についての案内がある。オンラインガイド中山道と六国見を拝見すると、この辺りを描いた絵として渓斎英泉の支蘇路ノ駅 浦和宿の浮世絵が案内されている。
平成15年発行『埼玉ふるさと散歩 さいたま市』には与野駅付近がイラスト地図でこのように案内されている。 “ 英泉が「浦和宿」で描いたのは高台橋あたりと云われている ” と記述されている。

ウィキペディア浦和宿に掲載されている『支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠望』を見る。[注釈 1][注釈 2]を見る
浮世絵を描いた場所について “ 蕨宿から浦和宿へ向かう途中にあって名物の焼き米を食べさせる立場茶屋である ” と記述されている。ウィキペディア浦和宿の焼米坂の解説には焼米坂手前を視点としたと記述されている。
浦和区文化の小径マップの「六国見あたり」および『埼玉ふるさと散歩 さいたま市』の「高台橋あたり」とは一致していない。

宝暦6年(1756)制作された岐蘇路安見絵図で浦和から針ヶ谷村までを見る。
道の両側に家屋が並んでいるところは宿場だと思うが、案内文は「夏はれたる時は浅間山見ゆる」と書かれていると思う。そこから北方面は「榎二」「榎三」だと思う。そこは一里塚で北へ向かって右側の一里塚は榎が二本、左側の一里塚は榎が三本あったのだと思う。浦和宿から浅間山がよく見えたということはこの絵図からもそうだと思う。
ウィキペディア浦和宿にあるように焼米坂手前を視点とした場合、浅間山の方向は焼米坂(浦和坂)の高台が邪魔をして視界が悪かったように思う。
[注釈 2]には焼き米売りの茶屋を過ぎて “ さらに行くと用川路に架かった板張りの太鼓橋があり、その奥に遠く小さく建ち並ぶ浦和宿の家々が望める ” と記述されているのだが、ここに描かれたような川(水路)はどこの川なのか見当が付かないのである。
そんな訳で私は『支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠望』の浮世絵は焼米坂手前を視点として描かれたという説には疑問を持っている。

岐蘇路安見絵図で針ヶ谷村から大宮氷川参道の分岐点までを見る。
針ヶ谷村の入口付近の案内文は「空はれたる時は富士山見ゆる」だと思う。
その左(北)の案内文は「大宮原の間 三十丁計(ばかり)あり 中程茶屋あり 立場なり」だと思う。

中山道分間延絵図で上木崎村を見る。北を見ると中山道と交差する川があり(青で示す)、橋が架かっている。
その川の北方面を中山道分間延絵図で見ると大宮氷川神社参道の分岐点(黄で示す)がある。
この辺りを明治の迅速測図で見る。
中山道と大宮氷川神社参道の分岐点の南を流れる川を青で示す
この川は高沼用水路だと思う。高沼用水路に架かる中山道の橋は現在の高台橋だと思う。
2017年4月高台橋の下流側から上流側を見た。

2013年1月さいたま新都心駅ホームから東の旧中山道高台橋を見た。
中山道分間延絵図の上木崎村を拡大する。絵図には案内の文字が書かれているのだが、鮮明ではない。別の資料も参照して案内文字の横に赤で加筆してみた。想像で加筆したところもあるので原文と違っている文字があるかも知れない。
立場と加筆したところで赤山道と中山道が合流する。
マピオン地図に赤山道と旧中山道が合流するところを赤で示す
2010年10月旧中山道の西側から赤山道を見た。


木曽路名所図会には “ 野原の間三十町許あり 中程に立場の茶店ありこれを六国見といへるなり ” と記述されていた。
渓斎英泉の木曾街道六拾九次 浦和宿の浮世絵を中山道と赤山道が合流した辺りを視点にして描いたと仮定すると、前方に見える橋は高沼用水路に架かる橋ということになると思う。大田南畝の壬戌紀行にはその橋を渡ったと思われる記述がある。そこには “ 土橋をわたり(堰のごとし) ” と書かれている。浮世絵に描かれた橋が土橋かどうかはわからないが、堰のようには見えない。
渓斎英泉の木曾街道を描いた浮世絵は一定の場所から風景を写生したというものではないと思う。描いた場所を特定しようと思うのはあまり意味がないかもしれない。
平成5年浦和市発行『図説浦和のあゆみ』には木曾街道六十九次の浦和宿の浮世絵についてこのように案内されている。描かれた茶店がどこなのか触れられていない。
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さいたま新都心付近の2000年頃鳥瞰写真 9

2024年12月31日 | 日記
2000年(平成12年)頃の鳥瞰写真でさいたま新都心駅東側現在のコクーンシティさんの南を見る
その辺りの現在をグーグルマップ航空写真で見る。
2000年頃写真にAで示した建物は現在のこの建物(Aで示す)だと思う。航空写真で近付いて見る。
その建物はマピオン地図三菱マテリアル北袋社宅と表示されている建物だと思う。
2019年6月南から三菱マテリアル北袋社宅さんを見た。

2020年1月西から東へ向かいながら左手の三菱マテリアル北袋社宅さんを見た。
2011年11月門扉のところで表札看板を見た。

2000年頃写真にBで示した建物は現在のこの建物(Bで示す)だと思う。
その建物はマピオン地図にダイアパレス大宮と表示されている建物だと思う。
不動産情報サイトで検索すると築年月は1986年3月となっている。
2024年2月旧中山道からダイアパレス大宮さんの看板をアップした。
2019年6月左手ダイアパレス大宮さんの入口ゲートを見た。

1989年4月JR線路敷きの西から東を見た写真にダイアパレス大宮さんが写っている。

2000年頃写真にはBで示した建物の北に白い建物が写っており、その建物を赤丸で示す。
その建物は2011年11月キャプチャーの地図に三菱マテリアル総合研究所と表示されているところだと思う。
2011年頃の空中写真を見る。三菱マテリアル総合研究所さんとダイアパレス大宮さんの文字表示を黄で示す
国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスから1975年の空中写真を見る。
さらにさかのぼって1946年の空中写真を見る。
2011年頃空中写真に黄で示した建物(三菱マテリアル総合研究所)は1975年空中写真に黄で示した建物および1946年空中写真に黄で示した建物と同じだと思う。
大宮市史の年表には1939年(昭和14年)4月20日-大宮町に三菱金属鉱業研究所創立という記事がある。
1966年の地図には三菱マテリアル総合研究所の場所は三菱金属鉱業と表示されている。三菱金属鉱業は三菱マテリアルの前身だと思う。
三菱マテリアルさんのサイト(会社情報)(環境情報)から1939年当時の研究所本館建屋の写真を見る。
2011年3月私は旧中山道の青で示した三差路から三菱マテリアル総合研究所さんを見た。

2010年4月門柱の前から見た。高所をアップした。この建物は1939年当時の研究所本館建屋と同じ建物だと思う。
1939年(昭和14年)は大宮町に三菱金属鉱業研究所を創立した年である。創立当所の建物が70年以上も続いていた。
三菱マテリアルさんのサイト(製品・事業)(ものづくり・R&D)から大宮市に移転した頃の鳥瞰写真を見る。
平成4年(1992)埼玉新聞社発行『航空写真集さいたま』所載の1991年撮影の鳥瞰写真を見る。
2010年頃南から見た鳥瞰写真を見る。
2010年頃西から見た鳥瞰写真を見る。

2011年11月青で示した三差路から三菱マテリアル総合研究所さんを見た。
門柱に張り出された正門移設のお知らせを見た。
門扉に張り出された解体工事のお知らせを見た。
門扉に寄って解体工事風景を見た。

2014年1月三菱マテリアル総合研究所さんの旧正門に寄って三菱マテリアル総合研究所建屋があった場所を見た。左に振った。右に振った。
私は旧中山道を北へ向かい、右手の工事用ゲート見た
続く新正門を見た。

表札看板を見た。
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東武野田線芝川橋梁架替工事の風景 3

2024年12月28日 | 日記
2019年12月岩槻方面へ向かう東武野田線電車から左手の芝川橋梁架替工事を見た。

新設の鉄橋が見えた。
2020年2月岩槻方面へ向かう東武野田線電車から左手芝川橋梁架替工事を見たのだが、新設の鉄橋は見えなかった。前回あった新設の鉄橋はどこへ消えたのか? とっさには思い付かなかった。
ヤフー航空写真で芝川橋梁架替工事着工前を見る。
芝川橋梁架替工事終了後をグーグル航空写真で見る。
着工前の下り線を黄色で示す。
架替工事終了後の航空写真に従来の下り線を黄色で描くと概ねこのようになると思う。
2019年12月の写真黄で示した線路から上流を見たもので新設の鉄橋が見えた。
2020年2月の写真白で示した新ルート下り線から上流を見たのだと思う。
東武谷内田建設さんのサイトから(実績紹介)(土木事業)大宮公園~大和田間芝川改修工事「東武鉄道 中悪水橋梁(下り線)の新設」を拝見すると、“ 新設した下り線は、2020年1月31日の初列車より共用を開始しました。” との記述がある。

芝川橋梁架替工事終了後の航空写真に上り線を緑で示す。
2021年2月東武野田線電車に乗って大宮方面へ向かい、芝川橋梁直前で右手の下り線(レール)を見た。

架替工事済の下り線橋桁を見た。下り線橋脚部を見た。
2023年4月東武野田線電車に乗って大宮方面へ向かい、芝川橋梁下り線の左岸橋台部を見た。下り線橋脚部を見た。下り線右岸橋台部を見た。

2021年4月私は芝川左岸から芝川橋梁下り線の鉄橋を見た。東武谷内田建設さんのサイト所載の施工前の写真
アップした。前記サイト所載の施工前写真
2024年3月私は芝川右岸から東武野田線芝川橋梁下り線を見た
橋桁に設置された橋歴板を見た。

橋桁の先端付近から下り線を芝川橋梁へ向かう東武野田線電車を見た
電車が通過して大宮方面を見た。
前記サイト所載の施工後写真を見る。施工後写真はこの写真と向かい合っていると思う。
前記サイト所載の施工前写真を見る。

黄で囲んだ鉄道標識は距離標だと思う。2016年8月ストリートビューで芝川橋梁架替工事着工前距離標を見る。
芝川橋梁架替工事終了後の2024年3月の写真。

黄で囲んだところに距離標が見える。従来の位置より数メートル上流側に移動していると思う。
従来の斜面(黄)のところは埋め立てられて現在は線路敷きの用地になっていると思う。
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平成28年9月の大宮東口の夜景 4

2024年12月27日 | 日記
平成28年(2016)9月、大宮区仲町の旧中山道を北へ向かい、左前方大宮SGビルさん集合看板を見上げた。
続く左手の大塚ビルさんを通過した。

交差点を直進して旧中山道を進み、左手武蔵屋ビルさんの集合看板を見た。道路反対側を見た。
三差路を直進して右を見た。

タイムズ大宮東口第4さんの看板をアップした。振り返った。
高島屋さんに沿って進み、大宮中央通りの信号交差点左を見た。突き当たりの大宮駅東口をアップした。

信号交差点を直進して振り返った。
さくら小路を赤矢印のように西に進み、ここ振り返った。
大宮銀座通りに出てカメラを右に振った。

私は左折した。左に振って看板を見た。
大宮銀座通りを南に進み、道路向かい側のマツモトキヨシさんを見た。振り返った。
横断歩道の手前でマツモトキヨシさんを見た。

大宮銀座通りを横断して南側の大宮駅東口駅前ロータリーを見た。半回転して北を見た
大宮駅ビルの前に進み、バス停から南東を見た。東を見た。マツモトキヨシさんをアップした。
駅ピル沿いを南に進んで東を見た。振り返った。右に振った。すずらん通り入口付近をアップした。

駅ビルに上がって東を見た。マツモトキヨシさんをアップした。
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平成26年の大宮西口第四地区風景 (2)

2024年12月26日 | 日記
平成26年(2014)1月上旬、マピオン地図Aで示したところから西を見た。右に振った。左に振った。

南に進んで振り返った。左に振った。
Bで示したところで進行方向(南)を見た。右を見た(西)。右後方を見た。2013年7月の写真。

道路右側の仮囲いフェンスに寄って西を見た。右に振った。左に振った。2013年7月の写真。
南に進み、Cで示したところで右を見た。Cの場所は土地区画整理前は三差路があった場所で2011年地図に赤丸で示した場所である。2013年7月の写真。右に振った。振り返った。

2013年7月の写真。
南に進み、Dで示したところから進行方向(南)を見た。右を見た(西)。
南へ向かい、Eで示したところから右を見た(西)。
南に進み、2011年地図に青丸で示した三差路で右後方を見た。その三差路はマピオン地図にFで示したところだと思う。
南に進み、Gで示したところで振り返った。

さらに南に進んで振り返った。
南へ向かい、桜木町1-318の電柱を通過して振り返った。ヤフーマップに表示された桜木町1-318を赤丸で示す。

平成26年(2014)1月中旬、2011年地図に緑丸で示した三差路で北西を見た。

北に進んで西を見た。クスリはシロタさんの高所看板をアップした。
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七里駅改札内で見た風景 (8)

2024年12月25日 | 日記
2018年(平成30年)10月、大宮から東武野田線に乗車して七里駅で降りた。降りたホームで大宮方面を見た。カメラを右に振った。

半回転してホームを岩槻方面へ向かった。右に振った。左に振った。さらに左に振った。
左手の駅名標案内板を通過し、野外に建てられた看板取り付け台が終るところを見た振り返った。
ホームを岩槻方面に歩きながら跨線橋の下で左を見た。

ホームを進み、跨線橋に上がるエスカレーター乗り口の窓から北を見た。左に振った。
跨線橋を渡りながら大宮方面を見た。
跨線橋を渡り、改札口へ向かう下り階段から私が降車したホームを見た。


2018年(平成30年)12月、東武野田線を七里駅で降りた。
跨線橋の下を北に移動して七里駅の北側を見た。
私は降車したホーム(2番線)から跨線橋を渡って1番線ホームを改札口へ向かいながら2番線を見た。

跨線橋を振り返った。2番線ホーム跨線橋下をアップした。
西に進み、左に曲がって改札口を出た。
改札口を出て振り返った。

2019年(平成31年)2月、東武野田線七里駅2番線に降車して跨線橋の下から七里駅の北側を見た。
跨線橋に上がって七里駅の北側を見た。

跨線橋を渡り、1番線ホームへの階段を下りながら七里駅の北側を見た。重機で工事中のところをアップした。

2019年(令和元年)5月、大宮駅で東武野田線に乗車して七里駅2番線ホームに降りた。2番線ホームを大宮方面に進み、階段エスカレーターの手前駅名標案内板を見た。
駅名標案内板の横から北を見た。カメラを右に振った。半回転して1番線ホームを見た。

エスカレーターで跨線橋に上がって窓から北を見た。右に振った。左に振った。
七里駅から北に延びる新設工事中道路の奥をアップした。遠方のライオンズガーデン東大宮さんをアップした。

跨線橋を渡って1番線ホームの階段上から七里駅の北側を見た。階段で1番線ホームに降りた
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平成24年の大宮東口繁華街の風景 1

2024年12月24日 | 日記
「大宮東口繁華街」の範囲について、本ブログでは便宜上マピオン地図赤で囲んだ範囲を大宮東口繁華街とします。

平成24年(2012)1月、赤矢印のように旧中山道を北へ向かい、道路左側の風景を見た。

大宮中央通りからすずらん通りまでを見ている。その辺りを最近(2023年2月)のストリートビューで見る。
北に進み、一番街信号交差点で旧中山道を横断してREX大宮さんを見上げた。
下に張り出された事業計画のお知らせ標識を見た。事業の名称はREX大宮ビル新築工事とあった。
旧中山道を上尾方面に進み、大栄橋交差点のAで示したところで振り返った。

大栄橋交差点を左折し西へ向かった。
大栄橋の側道を進み、①で示し三差路を左折した。

南へ向かい、右手の小杉ビルさんを見た
②の十字路を直進し、③の三差路突き当たりのビルを見た。そのビルの高所を見た。
少し東に進み④の三差路から南を見た。

③の三差路にもどって②の十字路へ向かった。
②の十字路を右折して東へ向かった。

左手後方のビルを見上げた。
東に進み、旧中山道⑤で示した交差点に出て左手角の日本政策金融公庫さんの看板見た
⑤で示した交差点で旧中山道を横断して左手の蓮見整形外科クリニックさんの袖看板を見上げた。
旧中山道を北に移動して蓮見ビルさんの看板とサンクスさんの袖看板を見た。
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平成27年の浦和駅西口南高砂地区の夜景

2024年12月23日 | 日記
Bing地図に浦和駅西口南高砂地区の位置を赤で囲むと概ねこのようになると思う。

平成27年(2015)8月、コルソさんの西を赤矢印のように南へ向かい、突き当たり(県庁通り)の松屋浦和店さんをアップした。

県庁通りの交差点で左手(浦和駅方面)を見た。
県庁通りを横断して南へ向かった。
右手のワシントンホテルさん入口を通過しながら振り返った。縦位置写真で見た
南進し、左手のパブスナックファンタジーさんを通過した。

看板をアップした。
ファンタジーさんはマピオン地図に表示されている。
南へ向かい、Aで示した交差点を左折して東へ向かい、Bで示し交差点を左折した。

あさひ通りを北へ向かい、Cで示したところで左手の韓国料理伽耶の家さんを見た
北に進み、Dで示した三差路を右折した。
細い道を東へ向かいながら富士屋さんの高所看板を見た。
Eで示した三差路で左手角のイタリアンレストランアランチャ・デル・ソーレさんの看板を見た。

Bing地図に表示のアランチャデルソーレさんを見る。
東へ向かい、Fで示し交差点左折した。
北へ向かい、ここで左手店舗の高所看板を見た。
北に進み、右手の浦和整形外科(ABCビル)さんを通過した。

左手スナック恵さんを通過した
Gで示した十字路で直進方面を見た。縦位置で見た。天天香さんの縦長看板をアップした。
右を見た。アップした。さらにアップした。

振り返った。奥をアップした。さらにアップした。
直進して浦和駅方面へ向かい、右手の旭館ビル(南蛮亭さんと美家古鮨さん)を見た
右後方を振り返った。縦位置で見た。

後方を振り返った。
左手の駐車場越しに浦和駅西口方面を見た。
次の交差点を青矢印線のように左折し、青矢印のところから駐車場越しに歩いてきた道を見た。アップした。

さらにアップした。
半回転して浦和駅へ向かった。右を見た
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南区白幡から高架沿いを武蔵浦和駅まで

2024年12月02日 | 日記
昨日のブログは11月29日まち歩きの3回目を赤矢印まで綴った。11月29日はそこからこのような道筋で武蔵浦和駅まで歩いた。今日のブログは11月29日まち歩きの最終回を綴ります。

十字路を直進して高架下を東に進みながら右手のMGM浦和店さんを通過する。

高架下を通過し、ここ左を見る。右を見る
直進し、横断歩道で左折する。振り返る
左折してすぐ振り返る
左手のニンジャパークさんの入口を通過して振り返る。

次の交差点左を見る。右を見る。私は直進する
右手のローソンさんを通過してローソン・スリーエフさんを見る。左に振ってジャンボランドリーふわふわさんをアップする。
ガードパイプを通過して北へ向かい、ここで左に振る。

振り返る
左手のMEGAドン・キホーテさん沿いを進み、右手の駐輪場が途切れたところを右折する。
一般道路に出て、左に振る。振り返る
仮囲いに張り出された事業計画のお知らせ標識を見る。
北に進んで駐輪場が途切れたところを左折しながら振り返る。

ここ右折する。振り返る
北へ向かい、階段を通過しながら左を見る
ここ左に振る。振り返る。左に振る
横断歩道の前で左を見る。右を見る。

直進し、ここ左を見る
右手のフェンスが終ったところから右前方に見える聖みどり病院さんの看板をアップする。
道路案内標識通過して右前方の三井住友銀行さんを見る。
ここ左に振る
スクランブル信号交差点で筋向かいを見る。

左を見る。田島通りの田島方面。左に振る
田島通りを横断して武蔵浦和駅(東口)に入る。左を見る。左後方を見る。振り返る。右を見る。2011年9月の写真。右後方を見る。

2012年6月の写真。
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沼影通りから南区沼影3丁目まで

2024年12月01日 | 日記
昨日のブログは11月29日まち歩きの2回目を赤矢印まで綴った。今日のブログはそこからの続き(11月29日まち歩き3回目)を綴ります。

沼影通り南へ向かい、横断歩道で左を見る。

2014年4月ストリートビュー。沼影市民プールがあった。
南に進み、ここでカメラを左に振る。振り返る。2013年4月の写真。2016年4月の写真。
左前方に進んで工事看板を見る。沼影公園解体工事。
ここで右を見る。さつき保育園さんの看板をアップする。

右前方に進んで左を見る。振り返る
バスのりば(沼影市民プール)を通過して左を見る。振り返る。2016年4月の写真。
左に進んで開発行為のお知らせに関する事項を見る。
ここで左を見る(東)。2012年1月の写真。

左後方を見る。
沼影通りを南へ向かい、ここ右を見る。左を見る。校門の表札看板(さいたま市立沼影小学校)をアップする。振り返る
曲本5-4の電柱を通過して南へ向かう。左手看板のあいさつ通り略図をアップする。
右手のクリーニングハマウラ浦和店さんを通過し、信号交差点を左折する。

右を見る。2013年4月の写真。振り返る

沼影小学校沿いを東へ向かい、門扉通過して振り返る
ここで沼影小学校のイチョウを見上げる。
フェンスに設置の開発行為のお知らせに関する事項を見る。
東へ向かいながら左を見る。

信号交差点直進するのだが、一旦左後方のフェンスに寄って沼影小学校屋上看板をアップする。

直進して東へ向かいながら右手桜の紅葉を見上げる。

ここ振り返る
東に進み、ここで左手のロッテ浦和工場を見る。5本セットの煙突天辺をアップする。振り返る
道路の右側もロッテさんの私有地である。
東へ向かい、ここ右に振る
門柱の表札看板を見る。
ロッテ浦和工場水処理場の門扉前で道路向かい側を見る。

沼影排水路に架かる橋の上振り返る
もとの道を東へ向かい、突き当たりの橋の上左折する。右に振っのぼり旗を見る。振り返る

北へ向かい、右手の駐車場入口を見る。振り返る

路面標示注の字(ここ)で左を見る。振り返る
次の三差路右折(東)し、十字路左を見る(北)。右を見る(南)。振り返る(西)。
昨日のブログの終ったところ(赤矢印)からこのように歩いてきた。
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南区沼影1丁目から2丁目を歩く

2024年11月30日 | 日記
昨日のブログは武蔵浦和駅から赤矢印まで歩いたところで終った。今日のブログはそこからの続きを綴ります。
十字路を直進して西へ向かい、ここ左前方のイエローハットさんの看板をアップする。
右手の沼影1丁目公園を通過する。

次の十字路左を見る。左に振る。振り返る
直進し、十字路角の仮囲い透明材から左前方を見る。左に振る。振り返る
西へ向かい、ここ振り返る
仮囲いに張り出された事業計画のお知らせ標識を見る。
次の十字路の左角の透明材から左後方を見る。イエローハットさんの看板をアップする。
私は直進する。

直進しながら左を見る。振り返る
西へ向かい、ここで右を見る(北)。振り返る

私は次の三差路左折する

南へ向かい、ここ右を見る。振り返る
十字路右を見る。左を見る
直進して振り返る
南へ向かいながら右手のセイワミルク武蔵浦和宅配センターさんを通過する。

ここ右を見る。振り返る
南に進み、ここで右を見る。

正面高層ビルの外壁看板(LIONS MUSASHI URAWA Bright Fort)をアップする。右後方を見る。屋上看板(イワセ・エスタ埼玉支店)をアップする。
十字路で直進方面を見る。右を見る。私は左折する。振り返る。左に振る。2013年4月の写真。

東へ向かい、次の十字路を2013年4月の写真で見る。
十字路を直進する。左に振る。

左を見る。右を見る。振り返る
東へ向かいながら左前方を見る。
ここ左を見る
丁字路突き当たって左を見る。2012年1月の写真。

左後方を見る。振り返る。2013年4月の写真。
私は右折する。2013年4月の写真。左に振る
南へ向かい、右手のいせきさんを通過する。
昨日のブログの終ったところ(赤矢印)からこのように歩いてきた。
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武蔵浦和駅から南区沼影1丁目を歩く

2024年11月29日 | 日記
武蔵浦和駅の改札口を出て右折し、西口を出る。
デッキを進み、ここ左に曲がる。振り返る
南へ向かい、右の階段地上に降りる。
田島通りを右折して西へ向かう。

右手武蔵野パーキングさんの駐輪場ゲートを通過して右を見る。振り返る
ここ右に振る。振り返る
右手高所の看板を見る。
田島通りを西へ向かい、ここで右を見る。振り返る

信号手前の三差路を直進しながら右を見る
武蔵浦和駅西口信号交差点の前で振り返る
信号交差点を斜めに横断して振り返る。縦位置写真。

私は信号交差点を左折する。右に振る
南に進んで振り返る。南区役所をアップする。

右手のやきとりの扇屋さんを見る。左を見る
ここで右を見る。振り返る

南へ向かい、三差路を直進しながら左を見る
次の三差路右を見る
直進し、ここ右に振る。星整形外科クリニックさん。左を見る。バス停ナリアガーデンをアップする。振り返る
次の三差路右折する。振り返る。

西へ向かい、ここ右前方を見る。右を見る。右後方を見る。振り返る
次の十字交差点左前方を見る。左を見る。右を見る。右後方を見る。振り返る。

武蔵浦和駅西口からこのように歩いてきた。
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大宮南銀座にあった昭和の映画館(後)

2024年11月28日 | 日記
平成元年発行『続大宮市史Ⅰ現代資料編』掲載の市報おおみや昭和38年11月号挿入の案内略図に東映が表示されており、赤で示す
平成22年キネマ旬報社発行『映画館のある風景』には昭和32年の大宮の映画館について案内している書きものがあるのだが、そこには “ 南銀座通りにロータリーから入って、最初の中仙道にぬける露地が大宮東映(鉄筋1階、座席数460、KK松山会館)の入口になっている。(中略)入場人員でも関東甲信越のベストファイブに入っている ” と記述されている。
南銀座通りにロータリーから入って、最初の中仙道にぬける露地というのはマピオン地図に赤で示した道だと思う。
2014年12月私はその露地を大宮南銀座通りから見た。

2015年12月の写真。
2018年7月その露地を旧中山道から見た
『映画館のある風景』には東映と背中合せの所に銀映座(銀映館)があると記述されているのだが、本題ブログ(前)で私は銀映座はマピオン地図に青丸で示したところだと思うと書いた。
案内略図では東映はマピオン地図に赤で示した露地に面していたと思われるので、東映の場所は緑丸で示した辺りになると思う。
平成3年頃JR東日本発行の大宮駅中心タウンマップにはその場所に大宮東映と表示されている。
2011年11月赤で示した三差路で東を見た。右に振った。

高所を見た。一旦右折し振り返った。
三差路を直進して右手のビルを見上げた。右手のビルに寄って三益B.L.D.さんの看板を見た。
マピオン地図に三益ビルさんは表示されている。
『映画館のある風景』に挿入の写真(大宮東映)。「恋風道中」の看板が見える。東映映画恋風道中で検索すると映画.comがヒットした。

『映画館のある風景』には赤丸のところから20メートルのところに “ 白鳥座(鉄筋地上2階、座席数430)及び同地下劇場(同地下1階、座席数270)が合わせて4階の劇場として県内唯一の容姿を誇っている。(中略) 上は東宝系封切、地下は洋画専門館としてアクションものが勤労者層によく受けている ” と記述されている。
タウンマップで赤丸で示したところの南を見ると東宝会館さんが表示されている。
2020年キャプチャーのヤフー地図を見る大宮東宝会館さんが表示されている。
現在のマピオン地図を見る。
2020年ヤフー地図の大宮東宝会館さんから右に目安線を引く。
現在のマピオン地図にその線に対応する線を引くと大宮東宝会館さんの場所は現在のVORT大宮さんの場所だと思う。
ウィキペディア大宮東宝会館にはこのように記述されている。『映画館のある風景』にあった白鳥座は大宮東宝会館さんの前身で昭和26年1月に開業した。
『映画館のある風景』に挿入の写真(白鳥座及地下劇場)。「追われる男」と「ヴェラクルス」の看板が見える。
映画.comの追われる男ヴェラクルス
2017年12月大宮南銀座通りを南へ向かい、右前方に進んで右後方の大宮東宝会館さんを見た。

2011年8月の写真。2015年7月の写真。2015年11月の写真。
2023年3月大宮南銀座通りを北へ向かい、大宮東宝会館さんがあった場所を見た。
右前方に進んで大宮東宝会館さんがあった場所を振り返った。高所を見た。VORTさんの看板があった。
2018年12月湘南新宿ラインの電車から大宮東宝会館さんを見た。
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