俳聖を慕いて

俳聖といわれる芭蕉を想いながら、俳句を詠む楽しみを綴っていきます。

俳聖を慕いて

2024-05-14 15:59:26 | 日記

 仕事が定年を迎え、いざ自由な時間が持てるとこれまで何でもできると思っていたことが、案外何もできないことに気づき、そうこうしているうちに何年か過ぎてしまったというのはよくある話なのだと思う。人付き合いは決して得意ではないので、仕事の忙しさにかまけているうちに、友人と呼べる人間が私の前から消えていってしまった。

 友人などいなくても生きていける、そう思っていたし事実それほど困ることはないのだが、困ることがなく毎日を過ごしていくと、そうして過ごすという意味がなくなっていく=生きている意味が見いだせなくなっていく、ということにようやく気付いた。

 これからも人の世で生きていこうと思うなら、人と何らかの形でつながらないといけない(気がする)。そしてつながるための何らかの道具がいる。しかし、何のとりえもない自分がそう簡単にそういう道具が見つかるわけもない。しばし、ああでもないこうでもないと悩んだあげく、自分が感じた感覚とそれを言葉に表す中でできる表現として俳句を作ることにした。俳句には失礼かもしれないが、長い文章はたぶん続かないだろうし、ふと思い浮かんだ感覚をどこまであの短い様式に落とし込めるかをずっとやっていくことは楽しいのではないかと思えてきて、俳句を詠みそれにまつわる背景や場所、関連のあることなどを書いていけたらと思う。

 幸い私は芭蕉をとても敬愛している。芭蕉の最後の頃の句は、およそ人間がたどり着ける限界の句だと思っている。というか、人間に作れる句ではないと思っている。まさに俳聖なのだと思う。そんな芭蕉の住んでいたという芭蕉庵付近を訪ねた時に感じた感覚を句にしたものである。近くに特徴的な橋があり、地図で見ると萬年橋とあった。とにかく、難しいことは抜きにして、私の心の中で心地よく漂っている心象を句にしてみた。

   萬年の 芭蕉に寄せる 川の波

                                                                          令和6年5月14日

 

 


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