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イロドリ*コトゴト

京都でお芝居をしている何色何番(ナニイロナンバー)の片割れ、たかつかなのひとりごと。確実にひとりごと。

病院行ってきた。

2011-11-14 13:18:29 | Weblog
かかりつけは丁寧な町医者さんなので待ち時間が二時間くらいあります。
ゆめうつつに色々考えたりするんですが、熱であんまりそれらはまとまりません。
思っていたより喉の腫れがひどかったらしく、強めのお薬を出してもらいました。
インフルエンザの予防接種をどうしようかなと悩む時期です。
注射嫌い。インフルエンザ怖い。料金高い。などなど。

生きていくうえで自分の身体とはずっとおつきあいしていくわけですが、こうも弱いとうんざりしてきますね。
体調管理は食事と休息が大事やなと思いました。
9月の本番終えてから、なんやかんやとバタバタしてて、そこんとこが不十分なままで過ごしていると思います。

ちょっとシフト減らして、体調管理DAYを作るべきですね。

いつもにもまして貧乏になるけれど、心と体のために必要なのです。


うん。節約します。

よりみち。

2011-11-12 04:46:00 | Weblog
脚本を書いています。
ええ。
こんな時間まで。

大丈夫です。
昨日体調不良で仕事を休んで丸一日寝ていたので、眠くありません。

ええ。
全然大丈夫じゃない感じですみません。

脚本を早く書き上げないと、「まだ書けてない」ってことに対して非常に非常にプレッシャーなんですよね。
だから、筆が進むときに書かないとダメなんです。
早く終わらせることが一番の近道なんです。
健康への。
歪んだ道ですが、近道なんです。
ええ。

そしてちょっと一息、でブログを書いています。

脚本を書くって作業は、本当に、自分を削るなあと思います。
自分の嫌な部分と向き合うなあ、と。
別に丸ごとノンフィクションなんか書きませんが、どこかしらに自分の思っていることや経験が関わってきます。
自分の中にいる何人もの自分が同時にしゃべりだす感じもする。

疲れるし、ほんと向いてないと思うけど、やめられない。
なんででしょうね。

昔、漠然と、「なんでか、って理由の解ることなんか、もう過去や」と思っていました。
まあ今もさほど変わってないですけど。
つまり、あたしの中でまだ芝居って表現は過去にならない。
現在進行形で関わってるんだから当たり前ですね。
やめて、しばらくたってから、わかるのかもしれません。
「あたしが何で芝居をしていたのか」
わかるというよりは、見つけるに近いのかも。もしかしたら名付けるってことかも。
そんなこんなを考えながら。

では。ボチボチ脚本に戻ろうかな。

あのこ

2011-11-02 00:34:53 | Weblog
遠いところからずっとこっちを見てる あのこ が
ときどきとても近くに居る気がする
本当は寝ている間に耳元で言ってるのかもしれない
迷ってるあたしの 理由 を
 
だから あのこ が怖い


あたしは卑怯だ

美学

2011-10-31 01:01:07 | Weblog
10月は久しぶりに学生劇団をいくつか見てきた。
ほんまはもっと見たかったけど、まあ、母が倒れたりで時間がやりくりできなかったんやけど。

リツゲイと月光斜BKCと同志社小劇場。

やっぱり劇団ごとに色があるなあ。癖というか。

それぞれの劇団の良かったところ。
リツゲイは小さい世界を大事にしていたところが好感持てた。
BKCは挑戦的な装置にびっくりした。
同小はとにかく熱い心意気を感じた。

全部のところに共通して言えるのが、無駄に長い。ってこと。転換が下手。
それぞれ15~30分は削れたな。
理想ランタイムに対しての工夫が必要。
つまり、演出力として問われるのは其処なのね~と思った。

学生さんたちはやっぱり、演出したい人が少ないみたい。
役者やりたい人が多くて、その延長線での演出、という役割らしい。
学生劇団でない劇団との大きな違いね。
劇団はまず演出が居ないと成り立たないもんね。



あたしは芝居をするにあたって、「完成度を上げる」ということを大事にしている。
強度のあるものを作らないと、役者にリアルな反応を求められないから。
そのため、何色何番は【誰でも役者出来る】って環境ではない。
打てば響く、自ら工夫する、世界になじむ、「土台」を持っている役者がいい。
だから役者探しは毎回大変。

だからつい。
お芝居を見るときに、そこを見てしまう。
「土台持ってる可能性のある役者いないかな~」って。
まあ演出する人はみんなそういう目を持ってしまう気がするけど。

で。
新しい出会いのとき、一番楽しいのが、その人の美学を知るとき。
少人数でしゃべくりまくるのが好き。




まあ、つまり。
三つ見てきて、おしゃべりしたいなあって思う人が何人かいたけど、その実現はなかなか難しいよね。
っていうのはあたしの人脈のなさと勇気のなさなんやけどね。


あー。
度胸を身につけなくてわあ。


お年頃。

2011-10-28 00:59:54 | Weblog
昔から、私はなんでか【聞き役】【仲介】に入ることが多い。
たぶんのんきな性格だからだと思う。
短気な人には無理な役回りかなと。


入院している母と、その見舞いに来る祖母。
二人は同時に、私に話をしようとしてくるようなタイプである。
わたしが「ちょっと待って、一人ずつ言ってくれなきゃ聞けないよ」と何回か言ってるけど、毎回だ。
今日は母が「祖母がわからない」という。
見舞いにきて「何かさせて」と言うけれど、用事をお願いすると「私は家政婦じゃない」と怒る時があるらしい。
二時間ほど話を聞いて、結局は
「祖母は昔からワガママに育ってきたし、自分でも認めてる。それが歳をとってより一層頑なになったのかもしれない」と言う。

思うに、【お年頃】なんではないだろうか。
10代の頃はみんな【自分が主人公】もしくは【自分が主人公だと良いのに】と思っている。
でも、20代になって【自分は主人公ではない】ことに気がつく。もしくは決定打を受ける。
そして脇役としての人生を愛したり憎んだりしながら生きていく。
で、だ。
退行という言葉があるが、それなんじゃないかなあと思うのだ。
祖母はもう【自分が主人公】のお年頃に戻ってしまったのだ。
つまりその時の自分の感情や感覚以外は、自分にとって【都合の良いモノ/悪いモノ】なのだ。
見舞いに行って甲斐甲斐しい【主人公の自分】
疲れているのに用事を言いつけられる可哀想な【主人公の自分】
それはお年頃特有の「忘れっぽさ/都合のよさ」も相まって、祖母の中ではなんの矛盾もないのだろう。
相手にも感情があるってことを知らない10代と似ていると思うのだ。
世界が狭い、とも言える。
もちろん一概に言えることではないだろうけど。

だから仕方ないんちゃう?
と母に話したら、笑いながら納得してくれた。


入院を【将来を不安にさせる時間】だと思うか、それとも【必要だった休息時間】だと思うか、ってことにも通じると思う。

受け取り方次第で、其れを愛せるようになる。


そんなことを考えるお年頃なあたくしですわ。

あたらしいあたし。

2011-10-26 23:48:58 | Weblog
髪の毛切ったよ。

ひさしぶりなのねん。
自分でざっくざく切ったよ。
ちょっとトリック使ったけど。
村井さんは「可愛いけど、びっくりー!」て。
ふみのちゃんは「一瞬誰かわかんないです!可愛いです!」て。
うふふ。

理のおはなし。

2011-10-26 03:06:16 | Weblog
そんな大層なもんではないんやけども。

あたしはなるべく等身大で居たい。
と、在ろうとしている。

じつはとても難しい。
あたしはたくさんの他人に囲まれて生活しているから。
他人の前でのあたしは、その人の目に映るあたしを意識してしまう。
だから見栄や建前なんかであたしを守ろうとしてしまう。
そんな武器で戦ってできた傷跡は、治りが遅い。
時にはあたしの形をそのままに変えてしまうくらい。

人生は修行だという考え方があるけれど、そうだとしたらあたしは【等身大で居ること】の修業をしてるんやろうなど思う。

見栄を張らず、卑下をせず、自分自身を見ること伝えること。
そのためにはちゃんと、待てるようになりたい。行動できるようになりたい。



30センチのあたしの分身を切り落として、
あたしは少しだけ、新しいあたしを発見出来たらいいのに。
もしくは、
やっぱり其処にこびり付いているあたしを見つめられたらいいのに。



人が生きる

2011-10-24 23:47:14 | Weblog
最近、自分の人生ってやつについて考える。

毎日忙しくて、
体は疲れてるけど、
もっと予定を入れたくなる。

のは、考えることがしんどいからかなぁ。


母が倒れて改めて自分の経済的な面の弱さを感じた。
いかん。
いかんねぇ。

【将来のために】
【現在は】
【がんばる】
ということ。
スロットみたいに色々すり替わってしまうこともある。
【がんばる】→【犠牲にする】
とか。
って言い訳かもしらん。
とか。


あたしは今を一番大事にしたい。
ってことと、諸々の天秤は、バランスとるの難しいね。

まぁどの選択肢でも、きっと悩みがあるんやろな。



あたしは今日まで生きてきた。
それだけが証拠。
明日からのことはなにも保証がない。

ってことを、漠然と抱えながら、
生きていくしかない。



また、明日。
(って言える感謝)

つめこみ。

2011-10-14 01:31:15 | Weblog
身近な人が倒れると、人生を想う。
現在を考えてしまう。
そしてやりたいことをいっぱいやろうと思う。

で。

つめこみすぎる。

パンクしそうです。
いや、しています。
身体がついてこないよー。




でもわくわくするの。
新しい出会いにどきどきの毎日です。




精一杯生きよう。

リブ?

2011-10-10 22:13:53 | Weblog
リブと呼ばれ困っている。



さておき。
寒くて困っている。

あれ。また困っている話だ。


生きていくうえでは困ることばかりだ。
避けては通れない。
「リブと呼ばないで」と言ったり、
お布団分厚いのにしたり、
工夫しながら生きていくしかないのだ。

「将来困らないように」
というのは、
「将来困ったときでも大丈夫なように」
ということやと思ってたんやけども。
そうじゃない、ひともいるみたい。



いろんなひとが居るね。