12月からこっち生死に関する本を読んだ。デジタル本も6,7冊読んだので、合計20冊ぐらいか。
— 萬衛門 (@man_e_mon) 2019年1月7日 - 18:10
物心ついたころから「死ぬのは怖い」と思っていた。
初めて長男が生まれた時、無責任だが「あぁこれで死んでもええ」と思った。
DNAが繋がっ… twitter.com/i/web/status/1…
家族が死に、友人が死ぬようになって来て、自分の死を意識せざるを得ない状況で、死ぬのは怖いと思わなくなった。これらの本を読んで意を強くした。
— 萬衛門 (@man_e_mon) 2019年1月7日 - 18:17
今はもう「いつ死んでもええ」と思う。
ただ、死んだらどうなるのかどこへ行くのか行かないのかは未だにわからない。
今から2500年ぐらい前に、弟子の子路に「人間は死んだらどうなりますか?」と問われて、孔子はこう答えた。「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」 (いまだせいをしらず、いずくんぞしをしらん。)
— 萬衛門 (@man_e_mon) 2019年1月7日 - 18:24
釈迦も弟子に問われて、死んでなくなっ… twitter.com/i/web/status/1…
「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」
— 萬衛門 (@man_e_mon) 2019年1月7日 - 18:49
西行がこの歌を詠んだのは50歳前半のことだったという。
実際に亡くなったのは73歳の2月16日。まさに「如月の望月のころ」であった。
平安末期の歌人たちにとって西行の死に方は驚異… twitter.com/i/web/status/1…
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