金正恩出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この項目では、北朝鮮の政治家について記述しています。その他の人物については「キム・ジョンウン」をご覧ください。
金正恩
김정은
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朝鮮民主主義人民共和国
第3代最高指導者
任期: 2011年12月17日 –
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朝鮮民主主義人民共和国
初代国防委員会第一委員長
任期: 2012年4月13日 –
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朝鮮民主主義人民共和国
第3代朝鮮人民軍最高司令官
任期: 2011年12月30日 –
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朝鮮労働党
初代第一書記
任期: 2012年4月11日 –
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朝鮮労働党
第3代中央軍事委員会委員長
任期: 2012年4月11日 –
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出生: 1983年1月8日(29歳)
朝鮮民主主義人民共和国、平安北道昌城郡・元山市・平壌市の三説あり[1]
政党: 朝鮮労働党
配偶者: 李雪主
サイン:
金正恩
各種表記
チョソングル: 김정은
漢字: 金正恩
平仮名:
(日本語読み仮名) きん・しょうおん
片仮名:
(現地語読み仮名) キム・ジョンウン
ラテン文字転写: Kim Chŏng'ŭn
英語表記 Kim Jong-un
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金 正恩(キム・ジョンウン、김정은、1983年1月8日[2][3] - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家、軍人。同国の第2代最高指導者金正日の三男で後継者。父の死により最高指導者の地位を継承した[4]。現在、朝鮮労働党第一書記、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会第一委員長、朝鮮労働党中央軍事委員会委員長、朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員、朝鮮人民軍最高司令官を務める[5][6]。党内序列は第1位[7]。軍事称号(階級)は朝鮮民主主義人民共和国元帥[8]。
目次 [非表示]
1 経歴
1.1 幼少期
1.2 帰国後
1.3 後継者指名
1.4 権力の継承
1.5 指導者として
2 人物
2.1 名前
2.2 写真
2.3 家族
3 脚注
4 参考文献
経歴 [編集] 幼少期 [編集]金正恩は北朝鮮の第2代最高指導者である金正日の三男として生まれた。母は高英姫。金正日の長男の金正男は異母兄、次男の金正哲は同母兄となる。祖父は北朝鮮の初代最高指導者である金日成。母方の祖父の高ギョンテクは、日本軍協力者で反逆者だったと各国メディアが報じた[9][10]。
1996年9月よりスイスに留学し、ベルンの国際学校で「パク・ウン」という偽名を使用しながら教育を受けた[1][11][12][13][14][15][16]。国際学校には数か月しか在籍せず、隣接する公立小学校でドイツ語を学んだ[1]。在籍していた学校については諸説あり、リーベフェルト市の公立学校で金正恩と知り合いであったと主張する人物の情報もある[17]。1998年8月、ベルンの自宅近くの公立中学校に編入[1]。スイス滞在中は北朝鮮の在スイス大使が目付け役として身辺の管理を行っていたほか、親戚の寄り合いがインターラーケンやレマン湖の別邸で行われることもあった[18]。2000年8月、夏期休暇が終わると公立中学校を退学して帰国した。留学の経験から母国語以外に英語、中国語、ロシア語、ドイツ語、フランス語[19]など数ヶ国語を話せるとする報道もある[20][21]。日本語についても漢字の書き取りなどをしていたとされ[22]、来日経験もある[23][24][25]。日本については国力差を認識する発言を残している[26]。
帰国後 [編集]2000年以降の動向はスイス時代と共に北朝鮮政府内の秘密事項として公にはされず、現在でも指導者就任から間もない事もあり部分的にしか報道されていない。明確に分かっているのは、父と同じく、北朝鮮内における最高の教育機関である金日成総合大学に在学していたことと、軍の教育機関である金日成軍事総合大学(党内の養成機関である金正日政治軍事大学とは異なる)で訓練を受けていたことが挙げられる[27]。金日成総合大学では情報工学を学び、金日成軍事総合大学では砲兵指揮を専攻したとされている[28]。
北朝鮮では最高指導者の地位が金日成から金正日に世襲されたため、日本・韓国などのメディアでは高齢である金正日が自身の子息を対象にした後継者選択を想定する傾向にあり、その中で日韓のメディアにおいては後継者候補として三男である金正恩の名前も挙げられることがあった。ただし当初は長男の金正男、あるいは軍部の支持を受けていた次男の金正哲の指名が予想される傾向があり、必ずしも最有力と見なされていた訳ではなかった。しかし2009年1月15日、「金正日が金正恩を後継者として指名した」と韓国の聯合ニュースが報道するなど[29][30]、次第に金正恩後継者説が濃厚になっていった。さらに同年2月15日の聯合ニュースの報道によれば、金正日の健康が悪化した際に義弟の張成沢が金正日に金正恩を後継者にするよう働きかけたという[31]。
2009年6月2日、韓国の東亜日報は、同年5月25日の核実験後に、金正恩が後継者に選ばれたことを在外公館に通知した事実が確認されたと報じた[32]。また金正恩が「国防委員長代行[33]」という職位に就いているという複数の証言もあったが[34]、これは現在に至るまで公式には確認されていない。2010年2月17日、韓国の自由北朝鮮放送が、北朝鮮当局が全国の「正恩」を名乗る人物に対し改名を命令したと報道した [35]。
後継者指名 [編集]2010年9月27日、金正日は金正恩ら6人を10月10日付けで朝鮮人民軍の大将に昇進させる朝鮮人民軍最高司令官命令を発した[36]。そして9月28日に開催された朝鮮労働党代表者会において、金正恩は党中央委員に選出され、同日に開かれた党中央委員会総会で党中央軍事委員会副委員長に選出された[37]。これらの動きにより金正日の後継者としての地位が確定したとみなされている[38]。
同年10月5日、金正恩は金正日の朝鮮人民軍第851軍部隊合同訓練視察に同行した。金正日の現地視察に金正恩が同行したことが公式に報道されたのはこれが初めてである[1]。10月8日、金正日が新設された国立演劇劇場と芸術家の住宅に現地指導に赴いた際にも同行した[1]。10月9日、平壌で開催された朝鮮労働党創建65周年慶祝中央報告大会に金正日と共に出席し、マスゲームと芸術公演「アリラン」を鑑賞した[1]。そして翌日に挙行された朝鮮労働党創建65周年慶祝閲兵式に出席し、金正日と共に軍事パレードを観閲した[39]。10月25日には訪朝した中国高位軍事代表団と金正日の会談に同席している[1]。
2011年4月29日、韓国の国家情報院は「金正恩が国家安全保衛部部長に就任した」と発表した[1]。しかし、北朝鮮の報道からは公式に伝えられておらず、確認はとれていない。
金正恩の後継指名と権力世襲について、兄・正男は「金正日自身は(世襲は)社会主義に合わないとして反対をしていたが、北朝鮮体制の安定のために必要だった(ので指名したのではないかと理解している)」という見解を『東京新聞』とのインタビューで明かしている[40]。
権力の継承 [編集]2011年12月17日、金正日が死去。12月19日、北朝鮮の公式メディアである朝鮮中央放送によって金正日の訃報が宣告された。これによって1994年から17年間に亘って続いた金正日体制は終焉を迎えた。そして金正恩はこの訃報において「卓越した領導者」と呼称され、金正日の政治的後継者である事が内外に示された[41]。以降、金正日の朝鮮人民軍最高司令官就任記念日にあたる12月24日には朝鮮労働党の機関紙である『労働新聞』は金正恩を「最高司令官」「将軍」と呼称し、翌日には朝鮮中央通信が「革命武力の最高指導者」と呼称[42]、また「不世出の先軍統帥者」とも呼称[43]するなど、軍事指導者であることも示された。
12月20日、錦繍山記念宮殿に安置された金正日の遺体がメディアに公開され、金正恩が涙を流しながら父の遺体の前に立つ場面が報道された[44]。12月28日、平壌市内で行われた父の国葬において、金正恩は軍・党・政府の高官を率いて金正日の霊柩車に付き従い、軍・党・政府から指導者としての支持を得ていることが強調された[45]。
12月29日、金正日中央追悼大会が挙行され、党内序列2位にして対外的な元首の役割を果たしている最高人民会議常任委員長の金永南が追悼の辞で「権力の継承問題は完全に解決した」とし、金正恩を「党・軍・人民の最高指導者」と呼称して金正恩の権力継承を公式に宣言した[46]。
12月30日、朝鮮労働党中央委員会政治局会議において、亡父の後任として朝鮮人民軍最高司令官に推戴され、同職に就任した[47][48]。
金正日の死によって空席となった朝鮮労働党の最高職である総書記と国家の最高職である国防委員長を継承すると見られていたが、金正恩は両職とも「金正日が永久に就くべき地位」であるとして就任せず、事実上廃止した。2012年4月11日に開催された第4回党代表者会において、金正恩は総書記に代わる党の最高職として新たに設置された第一書記に推戴され[49]、政治局常務委員・中央軍事委員会委員長にも就任した[5]。そして、4月13日の第12期最高人民会議第5回会議において、「国防委員長」に代わって新設された「国防委員会第一委員長」に就任し[6]、金正恩は正式に党・国家・軍の三権を握る最高指導者となったのである。同年7月17日、党中央委員会などの決定により、朝鮮民主主義人民共和国元帥の称号を授与された[8]。
指導者として [編集]金正恩は、最高指導者に就任して以降、軍を積極的に視察している。将校や兵と親しく話したり、抱き合ったりするなど、父の金正日の時代では有り得なかったほど積極的に軍との接近しようとしている。軍の忠誠心を得ることが狙いと指摘されている[50]。
一方、『朝鮮日報』の報道によれば、金正恩が朝鮮人民軍最高司令官に就任後、粛清された者は2桁に登るとされる。また、その中には金正恩が「髪の毛1本も残すな」と指示した結果、公開処刑の手段として、迫撃砲が用いられた事例もあったという[51]。
また、2010年11月の延坪島砲撃事件を金正恩が指揮していたことが、朝鮮労働党の機関紙である『労働新聞』によって明らかとなった。『労働新聞』は「金正恩領導者の非凡な知略と戦術で敵の挑発は挫折し、延坪島は火の海になった」と伝えている[50]。
権力継承後の2012年1月28日、金正恩は朝鮮労働党幹部を前に、国家による統制経済の行きづまりによる深刻な経済危機から脱却するため、資本主義的手法を取り入れた経済論議を容認する姿勢を示した[52]。
同年4月15日、平壌で金日成の生誕100周年を記念する軍事パレードが行われ、金正恩が観閲を行った。閲兵式上、金正恩は演説を行い、金正日の政策である先軍政治(軍事優先の政治)の継承と「核抑止力」の保持を強調した。演説の中で「人民生活の向上」を政治の目標とする姿勢を示したが、一方で「民族の尊厳と国の自主権がさらに貴重だ」として核ミサイルの開発を機軸とする「先軍」路線を国民生活より優先する方針を明確にした。なお、金正恩の肉声が北朝鮮内外に伝えられたのはこの演説が最初である[53][54]。父親の金正日は国民を前にほとんど演説を行わなかったが、権力継承後「遺訓統治」と称して金正日の統治スタイルに従ってきた金正恩は、演説に関しては父の例を継承しなかったことになる。金正恩の演説は祖父・金日成を意識したもので、演説の放映を視聴した人々からは「金日成と似ている」との声が上がった[55]。
4月19日、『労働新聞』は初めて金正恩の公式談話を掲載した。内容は先軍路線の継承と食糧問題の解決を訴えるものであった[56][57]。
人物 [編集]スポーツ好きで分野を問わず全般的にこなす。スイス滞在時代についての記録によればバスケットボールに熱中している普通の少年で、マイケル・ジョーダンやトニー・クーコッチ、コービー・ブライアントらのファンであったという証言がある[58]。温厚でクラスメートからの人望が厚かったという証言もある。
007シリーズの映画が好きだとも言われている。またスイスの国際学校時代のクラスメートの証言によれば、日本やアメリカの漫画が好きでよく読んでいたという。さらに金正恩とクラスメートが描いたバッグス・バニーのイラストが残されている。
朝鮮人民軍の高級軍人であるが、2011年2月16日に朝鮮中央放送が放送した視察映像では、双眼鏡を上下逆さまに持って覗き込む姿が映っており、実務経験が浅いことが指摘されている[59]。
名前 [編集]金正日の三男の名前については、藤本健二により「キム・ジョンウン」と紹介された。当初、ハングル表記は「김정운」、漢字表記は「金正雲」とされた。
しかしその後、正しいハングル表記は「김정은」ではないかという説が浮上し[60]、2009年10月7日には韓国の統一部がハングル表記を変更すると発表した[61]。漢字表記は「金正銀」もしくは「金正恩」ではないかと推測された[62]。これを受け、『朝日新聞』[63]、『東京新聞』[64]、『読売新聞』[65]は、表記を「金ジョンウン」に変更すると発表した。ハングルの "운" と "은" は日本語では区別できず双方ともに "ウン" である。
また、『毎日新聞』は、北朝鮮関係者の多くが適切と証言しているとして、「金正銀」という表記を採用していた[66]。韓国でも「誕生日の2009年1月8日前後に金正雲から金正銀に改名した」と報じるメディアがあり[67]、2010年9月28日には中国の新華社通信、中国中央電視台も「金正銀」の表記を使用していた[68]。ただし、北朝鮮は中国政府に正式な漢字表記を伝えていないという報道もあった[69]。
2010年10月1日、朝鮮中央通信により、漢字表記を「金正恩」とすると発表され[70]、彼の名前を巡る問題は終息した。
写真 [編集]金正日の後継者として登場する以前の金正恩の姿はほとんどメディアに流れる事はなく、各国情報機関においても不明な部分が多い存在であった[71]。彼が公式な地位を得るまでは長年にわたって僅かな写真が存在するのみであった[72][73]。金正日の息子の存在およびそれを証明する写真は、特に北朝鮮国内では最高機密とされて出回ることがなかったが、2009年1月16日のニュース番組「NEWS ZERO」(日本テレビ系)で、10歳の頃の正恩の写真が公開された。その後2009年6月頃から、JNNや読売新聞がスイスのインターナショナルスクール時代(10代半ば)の金正恩の写真を公開して大きな話題になった。なお、JNNが入手した写真は、2010年6月8日に韓国の聯合ニュースが未公開写真を入手したと報じている[74]。 しかし、その後もしばらくは謎に包まれた存在であった[75][76][77][78]。上述の10歳の時の顔写真から26歳の顔を推定した合成写真がアメリカの公開情報センターによって作成されたり[79]、2010年4月20日、毎日新聞に金正恩の近影とされるものが掲載されたが、実際には全くの別人であった事が後に判明するなど混乱も見られた[80]。
2010年9月9日、香港の衛星テレビ局、鳳凰衛視(香港PHX)の番組「時事弁論会」で「北朝鮮は中国の負担になっているか?」というテーマの回が放映された際、同年8月末に父親・金正日と一緒に訪中した事実とともに、その際の写真が放映された[81]。それによると顔は父親似であるが祖父である金日成の面影もあり(ただし、金日成に似せて整形をしたという一部報道もある[82])、身長は金正日より頭一つ分位高い。
2010年9月30日、北朝鮮のメディアが式典に参加する金正恩の姿を映した写真と映像を公開し、初めて公に姿を現した[83]。金正恩が出席した2010年10月10日の軍事パレードは海外メディアにも取材が認められ、彼の映像が西側諸国のカメラによって初めて撮影された[39]。
2012年4月12日、『労働新聞』電子版はスーツを着用した金正恩の写真を配信した。金正恩のスーツ姿が確認されたのはこれが初めてである[84]。
家族 [編集]大韓民国政府や朝鮮中央放送などにより、李雪主(리설주、リ・ソルジュ)[85]という名前の妻がいることが公表されている。しばしば金正恩と並んで親しげに登場する女性が妻ではないかとの推測があるが、リ・ソルジュと同一人物であるかは確認されていない[86]。このほか、2010年に生まれた娘がいるとされている[87]。
脚注 [編集][ヘルプ]
1.^ a b c d e f g h i 惠谷治「金王朝三代目 金正恩完全解剖」(『SAPIO』2011年10月26日号、小学館)、15ページ。
2.^ Lee, Young-jong; Ser, Myo-ja (2010年9月29日). “Man without a face or birthday”. Korea JoongAng Daily. http://koreajoongangdaily.joinsmsn.com/news/article/article.aspx?aid=2926514 2011年12月19日閲覧。
3.^ また、1984年生まれとする説もあるほか、2012年に区切りを迎える父親の金正日および祖父の金日成の出生年と合わされて1982年とする説も最近になって北朝鮮国内で流布されている(NEWSポストセブンより)。なお、金正日の出生年も1912年生誕の金日成に合わせて1941年から1942年へ調整が行われているとの見方が強い。
4.^ 2011年12月29日に挙行された金正日の中央追悼大会において、対外的な国家元首の役割を果たす金永南最高人民会議常任委員長が弔辞の中で金正恩を最高領導者(最高指導者)と宣言した(“正恩氏は「最高指導者」=肉声聞かれず−遺訓に従い軍事優先−金総書記中央追悼大会”. 時事通信. (2011年12月29日). http://www.jiji.com/jc/prk?k=2011122900273&g=prk 2011年12月31日閲覧。 )。
5.^ a b 「北朝鮮:金正恩氏、軍事委員長に 党の最高ポスト一手に」『毎日新聞』2012年4月12日付記事(2012年4月12日閲覧)。
6.^ a b 「正恩氏、国防委第1委員長に就任=金総書記は『永遠の国防委員長』-北朝鮮」時事通信(時事ドットコム)、2012年4月13日付配信記事(2012年4月13日閲覧)。
7.^ “金正恩氏、序列1位が確定…父の遺体と対面”. 読売新聞. (2011年12月20日). http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080115-899562/news/20111220-OYT1T00868.htm 2011年12月20日閲覧。
8.^ a b 「北朝鮮:金正恩第1書記「共和国元帥」に…朝鮮中央通信」『毎日新聞』2012年7月18日付記事(2012年7月18日閲覧)。
9.^ 加藤健(アジア調査機構代表)「金正恩の正統性崩壊! 『反逆者の孫』と世界のメディアが報じる」
10.^ The 'traitor' grandfather of North Korea's leader Kim Jung-un 「北朝鮮リーダー金正恩の『反逆者』祖父」The Telegraph 8 May 2012
11.^ 「金正雲は日本の漫画好き、韓国の学生とも親しく」 中央日報 2009.06.08
12.^ North Korean leader Kim Jong-il 'names youngest son as successor'
13.^ “North Korea: Nuclear Tension”. CNN. (2006年7月18日). http://articles.cnn.com/2010-09-28/world/north.korea.heir.friend_1_high-school-friend-north-korea-leader?_s=PM:WORLD
14.^ Hall, Allan (2010年11月25日). “Dim JongUn”. The Sun (London). http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/features/3245311/School-days-struggles-of-the-dictators-son-Kim-Jong-un.html
15.^ Foster, Peter (2010年6月8日). “Rare photos of Kim Jong-il's youngest son, Kim Jong-un, released”. The Daily Telegraph (London). http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/northkorea/7810203/Rare-photos-of-Kim-Jong-ils-youngest-son-Kim-Jong-un-released.html
16.^ Harden, Blaine (2009年6月3日). “Son Named Heir to North Korea's Kim Studied in Switzerland, Reportedly Loves NBA”. The Washington Post. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/01/AR2009060103750.html
17.^ Shubert, Atika (2010年9月28日). “Swiss man remembers school with son of North Korean leader”. CNN. http://articles.cnn.com/2010-09-28/world/north.korea.heir.friend_1_high-school-friend-north-korea-leader?_s=PM:WORLD 2011年12月19日閲覧。
18.^ “Kim Jong-un : une éducation suisse entourée de mystères”. Le Figaro. 2011年12月19日閲覧。
19.^ “金正雲氏:写真を入手 10代のスイス留学当時”. 毎日新聞. (2009年6月14日). http://mainichi.jp/select/world/news/20090614k0000m030117000c.html
20.^ “「後継者は独語使い」 正恩氏にドイツメディア関心”. 毎日新聞. (2011年12月21日). http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2011/12/21/20111221ddm007030094000c.html 2011年12月31日閲覧。
21.^ “スイスでの民主主義教育、統治への影響を期待”. 朝鮮日報. (2011年12月24日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/12/24/2011122400683.html 2011年12月31日閲覧。
22.^ 2010年9月28日のNHK『ニュースウオッチ9』での藤本健二の証言より。
23.^ 「金正恩氏もディズニーランドに、91年に日本不法入国」AFPBB News(フランス通信社)、2011年12月23日付配信。この記事によれば、1991年に兄の金正哲とウィーンで査証を取得したブラジル国籍の偽造パスポートを用いて日本に密入国し、22日に出国したという。
24.^ “正恩氏、偽旅券で91年に兄と来日…TDLへ”. 読売新聞. (2011年12月22日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111222-OYT1T00689.htm 2011年12月31日閲覧。
25.^ “金正恩氏、91年に訪日 兄とディズニーランドへ”. 共同通信. (2011年12月22日). http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011122201001274.html 2011年12月31日閲覧。
26.^ “元専属料理人が見た『将軍』と『大将』 ― 『悩める指導者』の顔”. 毎日新聞. (2011年12月20日). http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111220dde012030005000c.html 2011年12月31日閲覧。 。藤本健二によれば「米国に戦争で負けたのに、あの復活はすごい。商店には品物があふれている。我が国はどうか……」と日本に対する好感情を口にしていたという。
27.^ 金正恩時代の軍核心の3人
28.^ “<北朝鮮>正恩氏偶像化宣伝に民衆不信と反発”. アジアプレス. (2011年12月13日). http://www.asiapress.org/apn/archives/2011/12/13130722.php 2011年12月31日閲覧。
29.^ “金正日総書記が三男を後継者に決定、党に指令=報道” (日本語). REUTERS (2009年1月15日). 2009年1月16日閲覧。
30.^ “金総書記後継に三男・正雲氏決定か、情報筋伝える” (日本語). 聯合ニュース (2009年1月15日). 2009年1月16日閲覧。
31.^ “金総書記義弟が決定的影響=後継体制で「摂政」に” (日本語). 聯合ニュース (2009年2月25日). 2009年6月6日閲覧。
32.^ “北、三男・金ジョンウン氏を後継者指名か 韓国政府が議員に伝える” (日本語). MSN産経ニュース (2009年6月6日). 2009年6月6日閲覧。
33.^ 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長は1998年9月の最高人民会議第10期第1回会議で「国家の最高職責」とされ、2009年の憲法改正で正式に国家の最高指導者として明記された。同職には金正日が就任していた。
34.^ “北朝鮮:正恩氏「国防委員長代行」に 最高ポストを補佐”. 毎日新聞. (2009年6月20日). http://mainichi.jp/select/world/news/20090620k0000e030060000c.html 2009年6月20日閲覧。
35.^ “北朝鮮、「ジョンウン」という名の国民に改名を強要” (日本語). サーチナ (2010年2月18日). 2010年9月29日閲覧。
36.^ “金ジョンウン氏に大将の称号 金正日総書記が発令” (日本語). 朝日新聞. (2010年9月28日). http://www.asahi.com/international/update/0928/TKY201009270404.html 2010年9月28日閲覧。
37.^ “金ジョンウン氏、党中央委員に選出” (日本語). 読売新聞. (2010年9月29日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100929-OYT1T00141.htm 2010年9月29日閲覧。
38.^ “「後継」ジョンウン氏が本格始動” (日本語). 読売新聞. (2010年9月29日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100929-OYT1T01069.htm 2010年9月30日閲覧。
39.^ a b “金正恩氏、北朝鮮の軍パレード観閲” (日本語). AFPBB News (フランス通信社). (2010年10月10日). http://www.afpbb.com/article/politics/2765317/6313661 2010年10月11日閲覧。
40.^ “弟正恩氏 父への忠誠心強い” (日本語). 東京新聞(TOKYO Web) (2011年2月2日). 2011年12月24日閲覧。
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57.^ なお、この談話は4月6日に朝鮮労働党中央委員会の責任幹部に対して発表されたものである。談話の日本語訳はネナラ日本語版のホームページに掲載されている。「偉大な金正日同志をわが党の永遠なる総書記として高く戴き、チュチェの革命偉業を立派に成し遂げよう」ネナラ日本語版、2012年4月22日付配信記事(2012年5月6日閲覧)。
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参考文献 [編集]李永鐘 『後継者 金正恩』 講談社 2011年 ISBN 9784062167239
藤本健二 『北の後継者 キム・ジョンウン』 中央公論新社 2010年 ISBN 9784121503671
朝鮮民主主義人民共和国 先代:
金正日 最高指導者
2011年 - 次代:
現職
先代:
金正日
(国防委員長) 国防委員会第一委員長
2012年 - 次代:
現職
先代:
金正日 朝鮮人民軍最高司令官
2011年 - 次代:
現職
朝鮮労働党 先代:
金正日
(中央委員会総書記) 第一書記
2012年 - 次代:
現職
先代:
金正日 中央軍事委員会委員長
2012年 - 次代:
現職
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