その反抗期の娘の将来の夢が、出版社もしくは女優だそうです。嬉しいような、複雑な心境です。勉強したくないから女優に成りたいと言っている様に思ってしまうのは私だけでしょうか。
思えば、私が芝居と出会ったのが中学三年生の冬。友人に誘われて行った舞台に衝撃を受け、直ぐ様あの集団の中で生きたい!と。
受験間近でしたが、別に勉強が嫌だとか高校に行きたくないとかは無かったです。ただ、あの人達と生きたい!と。
そして私は、高校の面接の練習の時、面接官役の先生たちを前にいきなり高校に行かないで劇団に入ります!と宣言。慌てふためいた担任の先生は私を説得し高校受験を成し遂げた訳ですが…。
そうそう先日、湯船に入り漸く呼吸ができたとき、突然30年前の光景が甦ったんです。
30年前の春になる少し前、突然東京を襲った大雪。傘の無かった僕は友達の父親に傘を借り、革ジャンにジーンズという出で立ちで、東京キッドブラザースのオーディションに向かった。
ガラガラの電車の中では、寒さの性なのか脚の震えが止まらない。オーディション会場である劇団の所有する劇場には何十回、何百回と通った見馴れた風景。
けれどもあの見馴れた風景が、まるでブラックホールの様に見え、僕は息苦しさと寒さで震えながら逃げ出すまいと必死だった。
受付をしているstaffの顔。笑いかけてくれた瞳が哀しげに映った。
僕の前には、鋭くも優しい眼をした演出家。
演出家「貴方はKIDに入れなかったら、10年後どうしていると思いますか?」
僕「この世には居ないと思います。」
何週間かして、合格通知が届いた。
もしもあの時……。
入所してから毎日、緊張が張り詰めた日々が何故か続いた。稽古のない日も誰かに見られている、そんな感覚。ある日、劇場のロビーで雪を切っていた僕は突然、演出家にさよならを言われた。2度と顔は見たくない!と…。訳がわからなかった。翌日、それでも僕は劇場に行った。さよならはしたくなかったから!
それ以来、何事も無かったかのように僕は過ごせた。台本で殴られたり、非常口の明かりを何時間も腕を上に上げたまま隠したり。誰かが教えてくれるわけでも無く、訳もわからず只必死に生きていたあの時代。
あれから30年、様々な役者さん達と関わり憤りを感じている今だからわかる。あの時の「さよなら」の意味、その時の演出家の怒りや哀しみ。
私の娘も現代を生きている若い世代もまた、時の経過と共に理解し憤りを感じてくれるのだろうか…。
今はなるべく静かに見守っていこう!
母が私にしてくれたように、ただただ…静かに。
──まぁ、マモルも、そんなお年頃になってきたって事で(о´∀`о)
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