膵臓がんとお母さん。ちょこっと私たち。そしてその後。

2011年10月母の膵臓がんが判明。お母さん、がんばる。私たちもがんばる。笑顔で過ごす闘病日記。

増富温泉

2011-11-23 19:26:02 | 日記


『増富温泉』ってところがある。

免疫力アップに効果が高いラジウム温泉で癌にも効き目があるらしいってことで
有名なんだそう。


癌に効くって言うか、免疫力アップで癌に負けないってゆうか??


ある日病室で、お母さんがそんな番組を見て、父のところには肺がんのお客様が来て
治療のために増富温泉に通っているという話を聞いたらしい。

(その方は余命半年の宣告を受けて、もう2年元気にしていらっしゃるそうだ。)



偶然同じ日に!

これはいい事あるかも☆


幸運にも場所も車で1時間以内♪




で、調べ物は私のお仕事なので、早速、「増富温泉」「増富の湯」「不老閣」と調べてみた。

「増富温泉」って地区に日帰り温泉の「増富の湯」って言うのがあって、「不老閣」という旅館の
源泉がすごいらしい。


効くなら何でも試してみよう!
なにより、お母さんが乗り気なのがいい!!!


その「すごい源泉」が20度くらいしかなくて、なんか全体的にすごくぬるいお湯が多く、
寒そ~とお母さんとびくびくしているところだが、温泉に癒されに行くというより湯治?
病気が良くなるように行くんだし、滝に打たれる修行よりは温かいんじゃないかと。


近々、雪が降る前に行ってみようと思います。

副作用なし♪

2011-11-23 19:16:39 | 日記


今週の月曜日に、お母さんはジェムザール再開後2回目を受けた。

今のところ、ほぼ 副作用なし!

便秘は先にお薬をもらって解消。

毛は抜けているけど、ある程度覚悟も決まって、
気にせず頭を洗えるようになってきた様子。

元々、髪が多いので、ちょっと薄い感じにはなったけど、
かぶったことのない帽子もいろいろ試してみたら
ちょっと大きめにものをふわっとかぶると似合うみたい。
気に入る帽子がいくつか出てきて良かった。

帽子は、脱毛も女心として気になるので優しい素材で引っ張られない
オーバーサイズがオススメです♪

火曜日は、朝10時から3時頃まで外出許可をもらってお出掛けしてみた。

近くの明るいショッピングセンターにも、ちょっと洒落たところでランチにも
嫌がらず参加してくれた。

歩き方が先週の外出より早くなって、体の芯がしっかりしてきた感じで嬉しい。

顔も、顔色も明るい。


こんな時は、この人は病気??と思うほど元気。

ほんとに癌なんてどっかにいっちゃえばいいのに。




ジェムザール

2011-11-18 19:17:08 | 日記


抗癌剤2回目の治療後、湿疹と高熱が出て、治療が中断されていたお母さんですが
やっとまた再開いたしました♪


以前までは、62歳と若いのでジェムザール+TS1でしたが、
アトピー持ちで、どうもTS1に引っ掛ったんじゃないかということで、
今回はジェムザールだけにしての挑戦!

今週の月曜日に約3週間ぶりにやってみたのですが・・・

大きな副作用、今のところなし!!!


良かった~!!


薬全般にアトピー反応が出ていたら抗癌剤が使えないから
お母さんの前ではニコニコしていたものの、内心ドキドキしていました。

今日は電話でお話しただけですが、元気なご様子でした。


今日もカツサンド。

2011-11-11 19:34:26 | 初ブログ。までのこと。


今日も仕事に行く前にお見舞いに寄った。

そして今日もカツサンド(笑)

先日買っていったカツサンドより甘めのものを
東京の実家に行った時にお母さんとお母さんの母で食べているよう。

もう、ちょっと甘いイメージなのねと思い、
まい泉のソースとマスタード、和からしとマヨネーズを
ミックスしたソースをかけて作っていったら好評でした。


なんか、頭が小さいぞと思ったら、覚悟を決めて頭を洗った様子。
洗っては抜け、乾かしては飛んでゆき・・・なんて笑っていた。
まだ、地肌は見えないけど、髪の毛抜ける気満々である。

肌に優しいブラシとオーガニックシャンプーをプレゼント♪

ネットでオーガニックなキャップも2つ頼んでみた。

孫より頭も顔も小さいお母さんに合うといいなぁ。


今日のお母さん。

2011-11-06 19:43:45 | 日記


過去の覚えていることを書き記しておこうと思い、書いていましたが
いつになっても、こりゃぁ、今日にならないぞと思い、今日の報告。


只今お母さん入院中。

抗癌剤ジェムザールとTS-1を併用して2回目の投与後、高熱とアトピー性皮膚炎と口内炎がひどく
入院。当初は念のためお泊りしてく位のお話でしたが、高熱続き、アトピーも全身に広がり
スターウォーズのキャラクターのようにパンパンになってしまいました。
口内炎ものどまで出ていて食事が取れず・・・


明日で、ちょうど3週間。


やっと、普通の肌色になって、熱も微熱程度になり、口内炎もほぼ完治。
張れていたせいか全身の皮がむけて爬虫類の脱皮みたいになっていました。


脱毛もねぇ、始まりました。

「引っぱると抜けちゃうからベリーショートか丸坊主にするんだ」とニコニコ。

まぁ、似合いそうだけど。


「美容師さんにやってもらうの?引っぱって抜けちゃうなら、カットする時に抜けちゃうんじゃないの?」

 と私が聞くと

「じゃな、全部引っぱってぬいちゃうか!」

 ってお母さん。




今日は、かつサンドをご所望だったので、かつサンド+手作り弁当を差し入れてきました。

病人にカツサンド・・・ヘビーかと思いましたが、今食べたいものを食べてもらおうかと思います。

告知からの1週間。

2011-11-06 19:10:42 | 初ブログ。までのこと。


告知からの1週間、

父は落ち込んでしょっちゅう泣いている。

妹は、甥っ子に悟られないよう予想していたより遥かに
毅然と振舞っている。

おばあちゃんは気が付いていない。

私は仕事をしながら、膵臓がんの情報をパソコンや本から集めていた。


お母さんは、父を巻き込み家中の不要なものを整理し捨てている。
お母さんの部屋のものは特に減って半分くらいになっていた。

自分のお通夜、お葬式のことも全部自分でお坊さんに頼みに言った。
死顔を孫や近所の人に見せたくないそうだ。

なるべく誰にも知らせないでいたいようだが、ご近所の仲良しさん数人には
膵臓がんであることを伝えていた。

お母さんのお友達たちが号泣で、母は笑っていたらしい。

「まったく、先にわぁわぁ泣かれたら、こっちは泣けなくて笑っちゃうわよ~」

なんてこの日も明るい笑顔。



次のお休みに呼び出しを受けて実家に向かった。

母の名義で入っていた私の生命保険を変更する事になる。



父とも話をする。


実は、うちはお金持ちじゃない。
実は・・・という話でもないか(笑)

宿泊業をやっているが、生活できるほど稼げていない。
返済があるので、ここ数年は私も月に○十万とお金を送っているが、何が何でも
足りず、私の渡せるお金も、もう淋しい感じになってきたところで、

この不景気、

生活費を稼いでくれていたお母さんダウン、

ずっと家を売りに出していたが突拍子もなく高額なため売れなかったり、
売れそうになっては父が売り渋ったり。仕事も家も失う、男68歳、不安もわかるが、
もう、お母さんがいなくては仕事も出来ないし売ってスッキリするしかない。


私の、独立する前の上司が不動産業なのでお願いしてみることにする。

ほぼ 膵臓がん。③

2011-11-05 19:52:31 | 初ブログ。までのこと。


2011年 9月27日 実家にて。 後半。


夕方からお母さんの夕飯の支度を手伝った。


人は、とんでもなくひどいことが起きると
逆に日常どうり静かに過ごすものなのかもしれないと思った。


地球最後の日

死ぬ前に食べたいもの


そおゆう時は多分、家にいていつもどおり穏やかに過ごすのだろう。




甥っ子が小学校から帰ってくる。


私の妹も何事もなかったかのように仕事から帰ってくる。


(実家には、父とお母さん、おばあちゃん(父の母)、私の妹、妹の子供の5人が住んでいる。)


甥っ子には今回のことは伏せておくつもりだからみんなでいつもどおり振舞う。


夜、お母さんが甥っ子(母には孫)をお風呂に連れて行った。
妹に言っておいてということだ。


妹にお母さんの病気のことを告げる。

ちょっと間をおいて、わぁっと泣き出した。
私がいつも羨ましく思う、豪快で素直な泣き方だ。


「なんでお母さんなの?」


泣きながら妹が言う。


まったくその通り。なんで、うちのがんばりやで明るい母がこんなことになったんだろう。



「みんなでがんばろう」


なんて言いながらとうとう父まで泣き出した。








ほぼ 膵臓がん。②

2011-11-05 19:23:47 | 初ブログ。までのこと。

2011年 9月27日 実家にて。


実家に着くと、父とお母さんが、キッチンにいた。

お母さんは、膵臓がんで肝臓と肺に転移している。
手術は出来ない。


のだそうだ。


治せない病気にお母さんはかかってしまった。

この日本なのに、この現代なのに。
ドラマの中のお話のように思っていたのに。

私のお母さんが癌宣告を受けてしまった。


本当の話だった。



しばらくはわかった、うん、わかったと話を聞いていた。

でも、やっぱり泣いてしまった。


「よしよし、こんな思いをさせちゃってごめんね~。」

なんてお母さんが慰めてくれる。


立場が逆である。


でも、泣いてしまう。涙が止まってくれない。




程なくして、私のおばあちゃんのお世話をお願いしている市の職員さんが来た。

おばあちゃんは、痴呆症でデイサービスに週の半分通っている。
ひとりで家には置いておけないので、母が介護をしていたが、今後はそうもいかないので
事情を説明して、早々に来ていただいたようだ。


てきぱきと母が話を進めている。



自分がいない我が家のことを決めていっている。




一緒に聞く?といわれたが、途中で頭は回らないし、どうしようもなくなって庭に出た。


ちょうど夕日時。




神様、神様。




よく、辛い時は心の中で神様を呼ぶ癖がある。どの宗教にも属してないけど。



辛い事、苦しい事には必ず意味があり、乗り越えられるものであり、後になってみれば、
乗り越えることで私は成長し、心を豊にしてきたと思っている。

意味のない出来事はおきない。


でも、今回は。


お母さんを失うことで、私に何か得るものがあったとしても、
それが例えどんなすばらしいプレゼントでも

いらない。




神様、神様。



そんな代償で手に入るものなど欲しくないんです。








ほぼ 膵臓がん。

2011-11-05 19:06:56 | 初ブログ。までのこと。


2011年 9月 27日


その日は検査があると聞いていた。
病院の検査には父が同行するので心配いらない。また夕方電話しますとの事。

でも、なんだか不安だったので、念のためお仕事はお休みを入れていた。

お休みはとったものの、不安なまま午前中過ごすのもいやだったのでエステの予約を入れて
自分リラクゼーションタイムにあてていたが、エステ中、多分、お昼頃には早くも父から電話が入った。




「お母さん、膵臓がんでもう長くは生きられないんだって。」




・・・?


「お母さんにかわるから」



「もしもし?ごめんねぇ~。最後まで面倒かけちゃって。」

いつもの 元気で明るいお母さんが笑いながら話している。




『最後』??




頭が真っ白ってこういう事か。





「今、御用で外出してるから、終わったら行くね。」

それだけ言って電話を切った。




エステをしてくれている方に、ごめんね~なんて言いながら、
何もなかったように、エステを受けた。



まだ、わからない。

何かの間違いかもしれないから認めない。



午後、実家に向かった。

はじめての検査。

2011-11-03 19:41:09 | 初ブログ。までのこと。

2011年 9月15日


今年の6月に受けた健康診断の結果でお母さんが引っ掛り、病院へ。
大腸から出血と、肺に去年はなかった影があるということで。

父から電話。

「ずっと、我慢していたんだが、お母さんが体調悪そうで今日病院に検査に行った。
たぶん大腸がんだと思う・・・痩せてきたし・・・。心配なので見に行ってくれないか??」

仕事の都合で友人と会う約束をしていたが、ランチだけにしてもらって病院へ。

途中母にメールをすると

『今日は検査だけなんだから来なくていいよ。仕事に行ってらっしゃい』

との事。


どの家庭の母もそうなのか、うちのお母さんがそうなのか具合が悪くても言わない。
子供の手は煩わせない。人の心配最優先である。

でも・・・と思いしつこくメールをしていたら電話があり、

「いいのよ。ほんとに検査だけなんだから!!」

ちょっとキレられる。


心配してキレられる?不本意(笑)


来るなと言われても、そうもいかないので、病院の近くで時間をつぶし
無許可で行ってやろうと決意。


夕方の検査が終わったであろう時間に受け付けいき

「今日、検査でお世話になっている○○(名前)の娘ですが・・・」

というと

「あぁ、入院になった○○さん?」


なに?

入院??


部屋番号を聞いて病室にいくとお母さんの姿が。
寝巻きに着替えて横になっている。



どうも、大腸にポリープがあって内視鏡検査でそのまま切除したらしい。
そんな場合は1泊入院。体を動かしてはいけない。


お母さんはばつの悪そうな顔で

「急に入院になっちゃって、車にお泊りセットは持ってきたんだけど・・・」

取って来てってことだね。

ほら、

私がいてよかったじゃない。



その日、切除できたポリープは悪性のものではなかった。


良かった良かった。


お母さんと雑談していると、担当のM先生が寄ってくれた。


お母さんのおなかを押しながら

『このあたりに違和感を覚えたことはありませんか?』

『背中は痛くありませんか?』


お母さん、背中は痛くないものの、お腹の違和感はずばり先生が押した辺りにあると答えている。

先生の質問は、明らかに「なにか」を疑っていて、その確認をしているよう。



なんか不安・・・。



ポリープは良性でも、万歳!!って空気でもないまま、その日は母を残し
夜8時頃病院を出た。