娘が夏頃に頻繁にたずねてきていた、生まれることや死ぬことについてのこと。
その時のことを一つ一つを日記に残せなかったけれど、大切な会話の積み重ねだったんだとふと思い出し、いつのことだったか忘れてしまう前に、それが2013年の夏、3歳から4歳になる時のことだったと記録に残しておこうと思いました。
今日娘が、保育園のお友だちのおじいちゃんがもう死んじゃっていないんだって、という話を報告してくれて、久しぶりき『人は何でしむの?』という話題になりました。
私は、『生まれる前にいた神さまのところにただいまする(帰る)からだよ』『ももなもお家から保育園とかお外に出かけて、いっぱい遊んで冒険したら、お家に帰ってきて父さんと母さんと一緒にお風呂はいったりご飯食べたりネンネして休むでしょ。』『人は死ぬと、生まれる前に神様や天使さんと一緒にいたお家に帰って、おんなじように休むんだよ』って伝えています。
これがいいかどうかわからないけど、何だか『誰にもわからない。』って言うより、娘が幼い今はこの方がいいような気がして。
娘が成長していく中で、問いの立て方もかわっていくだろうし、その時々に私自身はこう思うよ、というスタンスで伝えていくことになるのかな。
その時のことを一つ一つを日記に残せなかったけれど、大切な会話の積み重ねだったんだとふと思い出し、いつのことだったか忘れてしまう前に、それが2013年の夏、3歳から4歳になる時のことだったと記録に残しておこうと思いました。
今日娘が、保育園のお友だちのおじいちゃんがもう死んじゃっていないんだって、という話を報告してくれて、久しぶりき『人は何でしむの?』という話題になりました。
私は、『生まれる前にいた神さまのところにただいまする(帰る)からだよ』『ももなもお家から保育園とかお外に出かけて、いっぱい遊んで冒険したら、お家に帰ってきて父さんと母さんと一緒にお風呂はいったりご飯食べたりネンネして休むでしょ。』『人は死ぬと、生まれる前に神様や天使さんと一緒にいたお家に帰って、おんなじように休むんだよ』って伝えています。
これがいいかどうかわからないけど、何だか『誰にもわからない。』って言うより、娘が幼い今はこの方がいいような気がして。
娘が成長していく中で、問いの立て方もかわっていくだろうし、その時々に私自身はこう思うよ、というスタンスで伝えていくことになるのかな。