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作詞家 Makoto ATOZI ブログ

作詞家がつぶやく令和のJ-POP論 #1

2023-04-21 15:07:17 | 作詞家がつぶやく令和のJ-POP論

一応、作詞家と名乗って暮らしているものとして、今のJ-POPに思うことをしたためたいという気持ちからカテゴリーを作ってみました。

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音楽がテクノロジカルになってからどれくらいの年月が過ぎただろうと思う。

今やAIにジョンレノンの人格を与えることもできれば、作曲・編曲さえも時間の概念を超えて可能なのでしょう。

AIにスティーブ・ジョブズの人格を学習させるとEUに対する暴言を言い始めたという。

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僕が高校生の頃にMIDIという回線が一般的になり、二十歳の時には、僕はアタリというメーカーの24トラックのDTMで作曲をしていた。

この頃はまだボーカルトラックを扱うことはできなくて、しばらくして、プロツールスなどが主流になる。

シンクラビアなど、マンモス機も開発された。

ここ数年、CD発売までの日数は時代が進むたびに短くなった。

今やビッグタイトルであるほどにリリースの二ヶ月前、一ヶ月前のレコーディングは普通にあり得る。

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近年のJ-POPを聴くと、演奏スキルの高さに圧倒される。

特にリズムセクションの秀逸さはもはや曲芸か芸術かという、アスリートのような鍛錬の粋を感じさせてくれる。

その複雑さと歌詞の言葉数の多さから、きっと年配の方々からすれば、なんのことかさっぱりわからないような音楽でもあるだろうなと感じられる。

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歌詞の内容を分析してみれば、感情の吐露。

つまり、心の中に鬱積した塊の表現である散文詩であることが多い。

そこに巧みな韻を踏むことで形を整えられている。

より完璧さを求める時代を経て、新たなスピリットを加える時代を経て、

攻撃性も加わり、意味のなさも味として、魑魅魍魎の様相を呈してもいる。

そのせいなのか、ラブソングは、よりフィクションの感覚が浮き彫りになり、

それを確信犯として歌うアーティスト(アイドル?)は成功している。

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それでも、永い歌謡曲の歴史を見てみると、同じテイストの空気感がずっとヒットチャートにいることはなく、

数年ごとに新たなムーブメントは生まれる。

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人々はもうすっかり疲れ切っている。

疲れるような音楽はもう聴きたくないのでは?と僕は推察する。

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今、王道と言われる歌がとても新しく感じられる。

布施明さんの「マイウエイ」玉置浩二さんの「メロディー」長渕剛さんの「乾杯」

まだまだ沢山ある歌謡曲の宝物。王道の歌たち。

このような歌が、今の若者たちの心にも突き刺さると思う。

人の心の温かさがある。

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本物の力を持つオジさまたち(レジェンド)が本気を出した時の凄まじさというものはある。

世代間嫌悪なんて言葉を吹き飛ばす真実がそこにはある。

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新しいものには新しいものの良さがあり、古いものには古いものの良さがある。

だけれど、本物の見極めは時代を経てみないとわからない。

30年経ってでも色褪せない歌にこそ真実はあると思う。

この鬱積した世の中だからこそ、Z世代にも今だからこそ王道が響くだろうと突き刺さるだろうと僕は考える。

だけれど、それを生み出す存在と鳴らす場所が狭くなってしまっている。

王道な歌を書きたい人はアマチュアを含めれば沢山存在していても、それが時代を動かすほどの歌になるためには凄まじい覚悟が必要。

30年経ってでも色褪せない歌。

それはやはり何かによって、時代によって、選ばれる光のようなものなのかもしれない。

泣ける歌。

魂を震わせるような歌を僕は聴き続けていたい。

 

Makoto ATOZI

 

 

 


平井堅「楽園」から23年

2023-04-21 08:26:38 | ATOZism

2000年 平井堅「楽園」

この楽曲で、僕は作詞家として世に出していただいた。

あれから23年。あまりにも多くの人生の波に打ちのめされそうになりながら暮らしてきた。

YouTubeで「楽園」のコメント欄を拝見すると「色褪せない歌」「23年前ということが信じられない」という多くのありがたい声がある。

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僕が歌詞を書いた楽曲「楽園」

この楽曲を思春期に聴いたというリスナーも多いのだろう。

人生の大変だった時期にこの歌に出会ったという人々からの声もよく聞いてきた。

アルバムの出荷枚数でいえば250万人。レンタルも含めればもっと多くの人々がきっとあの時代に、この歌の空気にふれている。

印象的なモノクロのPV。世紀末の寂しさ、哀しみを描くSTORY。

あの頃、「楽園」という楽曲に出会った人々は、この23年、どのような年月を感じてきたのだろう。

時々、僕はそんなことに思いを馳せる。

実際、「楽園」という楽曲にふれていた頃の状況を教えてくださった人々にも出会ってきた。

僕が書いたと知ると、驚きの表情を見せる。

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右も左も分からない田舎の青年がいきなり音楽業界のど真ん中から引き抜かれ、有頂天になった。

過信に陥り、時代さえも自分のクリエイテイブが動かしているのだという驕りと錯覚を持っていた。

人々の想念、万象、自分自身の精神的な脆さ、疑念、重くて深い波が何度も押し寄せ、苦しみの日々もあった。

愛を歌に書きながら、愛に苦しみ、身動きの取れないような日々も続いた。

それでも、振り返ってみれば、なんという奇跡に支えられて生きてきた日々かと思う。

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23年経って、僕は今も、あの頃出会った敬愛するクリエイター、ディレクター、プロデューサーの方々と、連絡を取り合うことができている。

経済的にはまだまだ散々だけれど、ご無沙汰のご連絡をすれば無下にされることは滅多にない。

とてもありがたく、精一杯、生きてみようという気持ちになる。

心震えるような歌が生まれれば、引き上げてくださる方々が今も存在している。

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時代は重く、人々の懸念案件は増え続け、誰もが対応しなければいけない思考で大忙しな日々。

あの頃、僕が「楽園」で描いた空気感が、そのまま、今の時代の空気のようにも感じられる。

でも、僕はあの歌で悲しみだけを、絶望だけを描いたわけではない。

作曲家の中野雅仁さんはあの楽曲の旋律に静かに熱いエナジーを注ぎ、

僕は暗闇に潜む一筋の光を描いた。愛の光。

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この年齢になって、描きたい歌の世界も変わり、伝えたい世界は、僕の中でまた新たに芽吹き始めている。

僕が歌を書くということは、一面から見れば嘘で固められた世界のようだと自分でも思う。

歌のような人生を生きられているわけではないからだ。

それでも僕は、歌に嘘は書いていない。今まで一度も自分に背くような気持ちでは書いてこなかった。

いつか近い未来で、本当の自分。嘘偽りのない想い。

これが歌詞と統一され、誰かの心に何かの救いの光を送れるように精進したい。

23年。長い日々を経て、2巡目の今、もうこれからは、物理的な欲などではなく、この人生で与えられた使命があるなら、それを果たしたい。

時代の空気に負けたりしないで、人間という生命に宿る光を信じて生きていきたい。

 

Makoto ATOZI

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疑念のない世界

2023-04-18 16:54:42 | ATOZism

一般的に人間は2つ以上のことを同時に行えないとされている。

「いや、俺はダブルタスク、トリプルタスクも余裕よ」なんて人もいるのかもしれないが、

物理的にみてみると、確かに僕たちが行える行動は一つの時間の中で一つだけとなる。

例えば人間が一人で何かを考えているとき、多くの場合、僕たちは自分に語りかけている。

そのとき、同時に2つの声がして、2つの声を同時に聞き分ける、つまり、思考が同時に2つ発生することはない。

同じ時間の中で2つの思考を処理することはできない。

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例外として、身体は手と足がバラバラのリズムで動くことができるから、物理的な作業、

たとえば足でテープを貼って、手で糊を貼るみたいなことはできたとしても、それは脳内で、1つの思考として処理されているのだろうと感じられる。

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瞑想をしていると、心が何かの思考を発生させるとき、思考は思考だけで存在することはできないと、何かから教えられる気がする。

思考を発見するためには思考を観察する存在が必要。

例えば心の中で「今日は寒いな」と考える。

そのとき、寒いなと考えている思考は思考自体の声を聞くことはできない。

だから、なんらかの観察者が心の声を聞いて、初めて思考は生命を得て物質となる。

誰にも聞かれていない声、音はありえない。

では、具体的に心の観察者を自分自身だとすれば、「今日は寒いな」と心で言うのは誰なのだという話になる。

目、耳、鼻、口、皮膚、心、6つの感覚により、対象は知覚される。

ということは、僕たちが感じ、思考として発生させている思い。

これはどこから来ているのだろうと考える。

きっとそれは因果から来ている。

だから1つの時間に2つの思考はあり得ないけれど、異なる時間にある2つの思考が同一の元からの発生ではないということもいえる。

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様々なことが起こり、万象により動き出す感情。

これは環境と身体と時間により形を変える。

この3者の様相により生まれ出づる思考は変化する。

そして生まれ出た思考を観察する観察者がその行方を見守っている。

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長い人生の中で忘れ去りそうになっている自分自身。本来の魂。

自分という人生を初めから終わりまで観察している主。

それはいつのときも、勝手に手を出すことなどはなく、僕たちを見守ってくれている。

増えることも減ることも、消えることもなく、変わりなくいつのときもそこに在る。

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観察者が分別感を持っているのかどうかは抜きとして、観察者から見た感情が喜びに満ちたとき。

愛情に満ちたとき。ふれあいを感じているとき。

ゲートは開くのだと思う。

心を見ている心が喜ぶとき、いわゆる引き寄せという不思議は起きるのでしょう。

たとえば美術館に行くとして、わざわざホラーな絵画は僕ならば見たくない。

美しく世界的な絵画を鑑賞してみたい。

観察者はいつのときもきっとそう願っている。

だから今日も心は晴れやかに。

思うようにいかないようなことは多いけれど、それもきっと僕たちが次から次へと発生させている思考とよく似ている。

シンプルに、あるがままに喜びを感じていたなら、きっと世界は面白い。

一番大切なことは言葉を超えて感知する。

そのとき、それが喜びに向かうものなら疑念はなく、ひとつなのだとわかる。

そんな感情に出会いたくて僕たちは人生の旅を続けている。

なんて思う水曜日。

今日も頑張りましょう!

 

Makoto ATOZI

 


さむい、さむい、と思えども。。。

2023-04-18 08:59:17 | ATOZism

今年の春は朝と夜がとても寒い。

風が冷たい。芯まで寒い。

日中は20度を超えて、朝夜は10度以下という気温だと、自律神経も不安定になりがち。

身体に病を抱えている人々にとってはなかなかの修行だろうと思う。

気圧の上昇下降もなかなかエッジが効いている。

頭痛に悩まされている人も多いみたいだ。

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天気は人の心を反映している、なんていうと反論もありそうだけれど、

群集心理って確かにある。

心理、思考は物質なのだと科学的には定義されているのだという。

2019年のパンデミックあたりから、あらゆることがスムーズで、

何もかもがうまくいっているという人々は少数派。

多くの人々は、こうなるはずだという思い込みがはずれ、

それでも、それでも、と繰り返し、なんとかかんとか誤魔化しのように前進しているのでしょう。

そういう鬱憤が物質化して、空気となり、気温を操作しているとすれば、それもあり得るように思う。

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心が怒りを持つとき、自分自身の心を監視できていない人は、自分の怒りに気づけていない。

自分の中に芽生えている悲しみにも、寂しさにも気づけていないこともある。

感情と経験と思考と時間が一体化している。

心には次から次へと新しい思考が生まれる。

この思考はどこから来るのか。

誰が思い、誰が生み出しているものなのか。

思考と思考の間には何が在るのか。

生まれ出づる感情を自分自身だと思うところから、苦しみは生まれているのだという。

本物の自分はそのもっと奥に在る。真我。

本当の自分はただ、次から次へと生まれ出づる思考を観察している。

光をあてて、生まれ出づる思考を見つめている。

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ジャラジャラとした飾り付けのように、僕たちは経験と感情を首からぶら下げ、

それを自分だとして、身動きの取れないような人生を見つめている。

天候は群集心理の反映なんて言ってみたけれど、もしかすると、僕たち一人ひとりが、

身近な大切な人の心を軽く、温かくしてあげられるような言動、行動ができていたなら、

次の日の朝晩の気温は穏やかなのかもしれないと想像してみる。

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先日、タイでは気温が45度を超えて過去最高の気温になったとニュースで報じられていた。

昔、僕が渡航した際には、42度で過去最高だと現地の人は嘆いていた。

ある日、バンコクの街中、歩道橋のところに両脚のない老人がいて、前には小さなお皿が置いてあった。

旅慣れた人々からは、そういう場面でお金は出してはいけないものだよと聞かされていた。

僕は確か、幾らかのバーツを置いてきたと記憶しているけれど、世の中は不条理だ。

僕たちが朝と夜に寒い寒いと言っている同じとき、迫り来る軍隊に怯えている国の人々もいる。

暑いから寒いからなんなのだという気持ちにもなってくる。

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天の気持ちをなだめるというわけではないけれど、寒くても暑くてもいいよという気持ちで、

僕は今日、出会う人にどんな優しさを与え、伝えることができるだろうかと考えてみる。

無い物ねだりばかりの人生。

優しくありたい。

Makoto ATOZI

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ご縁

2023-04-17 19:12:19 | ATOZism

僕の携帯電話は今も白色のガラパゴス携帯。

アプリなんて使えない。

だからLineもMessengerもコンピューターで確認している。

必然、返信は遅くなる。申し訳なくはあれども。

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昨年、上白石萌音さんのアルバム「name」に「ジェリーフィッシュ」という楽曲の歌詞を書かせていただき、

業界関係者との交流もまた少しずつ増えて、再会もあり、SNSの必要性を感じ始め、

Facebookのアカウントをもう一度獲得してみた。

もちろん、僕の携帯電話ではインターネットやアプリを見ることはできない。

それでも、アカウントがあれば、あの時代の大きな波に立ち向かうように生きていた2000年代、

巡り会えた大好きな方々と、もう一度また、交流することができる。

文明の機器のすごさを感じる。

AIのことはこき下ろしながらも、テクノロジーとITに関しては崇拝してしまうという矛盾。

所詮、欲まみれな人間。御都合主義。自分でもよくわかっている。

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ご縁と一言で言ってしまえばただの言葉だけれど、この言葉の中にはとても大きな世界がある。

愛ある人達と出会えてきた。

思い出せば愛しさで胸がはちきれそうになる。

心に思い浮かべられる顔は全部笑顔。

それなのに僕ときたら人生経験回数が少ないのかどうなのか、救われる立場ばかりの人生。

醜い場所を探せばそれはまるで迷路のようだけれど、人生は本来、心を開くものには限りない恵みを用意してくれている。

これからもまだまだ続いてゆくご縁。

どこまで大切にできるだろうか。精一杯に応えられる人生でありたい。

歌を書くというかなり特殊な道で、巡り会える愛しい人々。

完璧になんてなりきれない自分をしっかりと自覚しながら、最善を尽くしたい。

人生、頑張ります。

Makoto ATOZI

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