ATOZism

作詞家 Makoto ATOZI ブログ

アートマン

2023-05-19 10:57:00 | ATOZism

毎朝6時にウオーキングを兼ねて近所のマクドナルドへ向かい、ホットコーヒーをいただいて、インド哲学関連の書籍聖典などを読書してくることが日課になっています。

帰宅の道でカーディーラーさんのディスプレイを見て、車の造形美にハッとしました。
流れるような流線型。色の輝き。存在感。
なんて大きな芸術品なんだろうと思った。

大量生産でもあることから、多くの技術は機械により支えられているとはいえ、あのように大きな芸術品であり、しかも道具としても優秀なアートを見てしまうと、世の中の芸術家と名乗る人たち、アーティストはなんと言うのだろうと感じてしまう。 
お茶碗を一つつくって、美しいと言いながら、あの高層ビルディングの造形美についてはなんと思うのかと考えてしまう。

それでも神は細部に宿り、あらゆる物質には物質原素とおなじように霊性と神性が宿っている。

芸術家といわれる人々はそれを創り出すがために切磋琢磨している。

それでは音楽はどうなのかと考えてみる。
音楽は物質ではない。
思考は物質であると言う観点から言えば音楽も物質かもしれないけれど、それはさわれないし匂いもない。

この空間の中で音楽はどの位置にあるのか。僕たちはそれを知らない。
匂いは微細な物質であるというから、それともまた違う場所にある。
たとえば空間には想念があり、霊性があり、神性があり、知性(叡智の泉)があり、まだまだ様々にあるのでしょう。
そうして音楽はどのようにこの空間を占めているのか。
少なくとも届く距離は限られている。

この空間的性質に芸術性を与えるものは何か。

ヨガ哲学では僕たちの性格的傾向(原理物質 プラクリティ)と真我(プルシャ)は異なり、この両者の混合が人生に混乱をもたらしているといわれています。

真我はアートマンとも呼ばれ、僕たちは、このアートマンに出会うためにこの人生を生きているという考え方もある。 

アートマンの綴りはAtmanであり、Artではないけれど、この両者は無関係ではないように感じられる。

世界はAtmanにより創造され、私たち自身もこのアートマンの一部であるとされる。
天は世界最高のアーティストでもある。

マグカップが空であれば、 マグカップの中にある空気は外気と分離されてはいない。
マグカップが割れれば、全世界の空気と一体になる。

そんな空間へと僕たちは音楽を創造することがある。
そして一時的に空間へと行為を行う。

それが天への祝福であればいいと思う。
人生への祝福であればいいと思う。
恋愛を良きものにする泉であればいいと思う。

世界を見渡せば、あまりにも果てがない。
想像を超えたアーティストは上には上がある。

だからこそ信念を持ち続けていたい。
それがたとえ笑われるようなものであったとしても、元々がこの世界は果てがない。

思い上がりこそが身を縮めてしまうものだと、今日、僕は美しい車の造形美と高層ビルディングのようなホテルの外観の造形美に思ったのでした。

世界は素晴らしいものなのだなと感じます。

小さな小さな自分として、何ができるだろうと、考えるばかりです。
だけれどそんな小さな僕たちも、マグカップの中にある空気のように実際は全部で一体となって、この世界を創り上げている。

なんとも素晴らしいことだろうと思います。

生きとし生けるものに皆幸あれ。

Makoto ATOZI 

 

 

Makoto ATOZI 作詞塾


聖なるものと魔なるものとの狭間を奏でる音楽という存在

2023-05-15 10:57:33 | ATOZism

2000年 平井堅「楽園」で、僕は歌を書くという道を与えていただいた。

 

 あれから23年の年月。

 この時間、年月は本当にあったのだろうか、実在したのだろうかと、不思議に感じてしまうこともあります。

 精神的、物質的にあまりにも多くのことがあった。

 多くの関係者の予想を上回る反響を呼び起こした歌。
 この歌の歌詞を書いた当時、僕にそれだけの実力があったのかと、自分自身に問うと、YESとはいえない気持ちになる。

 多くの才能と実力あるクリエイター、制作陣の中で、僕は作詞家という役割を与えられ、その方々の才能と叡智に導かれ、この歌は誕生した。

 制作にあてられた時間も、現在の音楽業界から見ればありえないほどに恵まれていた。

 あれからの23年の年月は、あまりにも幻のように僕の心の中にあるけれど、この歌「楽園」の歌詞を紡いだ時の風景、想念、願いは今も強烈に心にある。僕にとっての世界が揺れ動いた日々だった。

 奇跡のような出来事でした。

 歌が売れていた数年間、まるで誰かが、僕の人生の物語を書いているかのように感じられる日々を走り抜けていた。

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 そしてV6「ありがとうのうた」嵐「トビラ」「ONLY LOVE」「嵐の前の静けさ」「Firefly」前川清「霖霖と」石川さゆり「風ゆらら」中村美律子「ようやったね」おれパラ「眠るものたちへ」上白石萌音「ジェリーフィッシュ」など(敬称略)、多くの歌の制作に携わらせていただいた。

 途中業界を離れた時期もあったけれど、昨年からはもう一度、制作活動を開始させていただいた。

 同時に作詞教室を立ち上げ、プロアマを問わず指導させていただいています。

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 紆余曲折の人生で、這いつくばるような貧困状態、そして栄華のようなもの、両極の世界を垣間見てきました。

 精神的な苦しみから、人生をやめようとしてしまったことも何度もあった。

 そうして、今だから感じられる心の境地を得て、もう一度、歌を書こうという気持ちになりました。

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 この世界には聖なるものと魔なるものと中間(動き)という3つの性質があります。

 厳密に、この3つだけに分けられるわけではなくとも、音楽にもおなじように宿る性質がある。

 自我を生き、エゴを満たす世界へ魔なるエネルギーを放射するのか。

 真我を求め、大いなる力を信じ、誠実でありたいとする世界へ光なるエネルギーを放射するのか。

 動きある生物(人間)へ人間としての営みを生も悪もなく生命をエネルギーとして放射するのか。時代を反映し、ただ人々の心を描くという道もある。

 それぞれにそれぞれの歌が持つエネルギーがある。

 時代は今、科学文明の発展に歯止めが効かず、闇と魔の世界が勢力に包まれつつあるように感じられます。

 音楽もその傾向が強い。

 僕が書いた「楽園」は、一聴すれば暗く感じられ、退廃的な内容かもしれない。

 それでも、けして他者を責めてはいない。攻めようともしていない。

 実際は、一筋の大いなる光を描きたかった。

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 僕たち人間は、案外、自分の行いには気づいていない。

 何をするにしても、自我が起こす世界の現れに対してかなり無頓着です。

 それでも、自分の内側にある光が輝き出す時、周りを見てみれば、あまねく生命の光に気づきます。

 世界を悪者としてみれば醜い場所ばかりが見えてくる。

 世界を真我として見てみれば、尊い世界が見えてくる。

 人はみんな必死で生きている。精一杯生きている。

 世界は尊い。

 それを愛と呼ぶのか光と呼ぶのか真我と呼ぶのか。

 呼び方は人ぞれぞれでも、一つ一つの生命という世界の現れ。

 それらをつなぐ見えない一つ。

 それはとても尊い。

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 これからの人生、歌で、自分が気づいた愚かさ、世界の尊さ、矛盾の中の真理。

きっと誰かの心に、なんらかの光を灯せるような、気づきのある歌を放つ活動を、僕は行っていくのだと思います。

 目に見える全ては、人類のエゴ的な知性を超えた大いなる力に満ちています。

 選ばれた歌にはそれらの力を心に届けることのできるエナジーが宿ることがある。

 これからもそのパワーを見てみたい。

 世界がどのような姿を見せてこようとも、世界の尊さを、生命という尊さを真我で見つめていたい。

 言葉にするのは簡単でも、簡単なことではないけれど、それが人生なのかな。

 自分は、かなり豊かな音楽の時代、時代の大きな波を見つめ、飲み込まれてきた生き証人の一人だと感じています。

 最後尾ランナーの気持ちで、そしておなじように世界を包み込むような気持ちで、この尊い世界を生きていく。

 愚かなピエロのような現れと、蓮華のハートで。

 

Makoto ATOZI

Makoto ATOZI作詞塾


詩 「自由であるために」

2023-05-11 17:51:03 | ATOZism

 

自由であるために

 

街人は自由を求めた 

変わり続ける万象の中で永遠を求め

旅人に答えを求めた

 

旅人はこのように街人に伝えた

 

街人よ 想念と観念を手放しなさい

何かを思うより 願うより

私はこう在ると決めて手放しなさい

世界がそうであってほしいなら

世界に向けて 私はこう在ると決めて手放しなさい

 

世界の現れと意識から自由になることこそ

あなたを自由にする道だ

 

比べることも 渇望することも

嘆くことも 攻めることも 執着も

存在しないあなたで

在るあなたを生きなさい

そのとき

あなたは想いではなく 在る

 

激しい嵐の中で

静かな内側と歩みなさい

 

波立たない湖のように

祭りを行いなさい

 

あなたが在ると知ったあなたは在る

そしてあなたは自由になる

 

 

Makoto ATOZI


本当の喜び

2023-05-10 13:28:03 | ATOZism

 幼少期 青年期 老年期。人は人生で3つの季節を生きる。記憶を遡ればあまりにも早い。

 
 幼少期、青年期。人間は無知であってもいいのだと僕は思う。欲望もあっていいと思う。ただし、まわりの大人たちは生き方を見せる努力はしなければいけない。

 不殺生、非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪、清潔、満足、習修、学習、探究、信心。

 言葉で言えば簡単でも、これが達成できる人は、この現世に実際どれだけいるというのだろう。時代の潜在的傾向は真逆だ。経済社会で生きるなら、他者蹴落としの方法を教える世界。

 これだという生きる道を、できるだけ早くに見つけて追求した生命が、人生の後半に時間に恵まれることができる。
 
 この世界が、もしも心が生み出し、見せている幻想であるという半面を持つならば、あらゆることは叶えられる。潜在的にも非潜在的にも、心に自身の人生への攻撃性がない限り願ったように人は生きる。夢見と知覚と無限の三界の中で、僕たちは真理を知らずに流されるままにいる。

 僕は自分の一時的な成功体験に執着して、いつまでも変わらずに夢見、目覚め、無限という三界の夢見と目覚めに絡まってきた。

 そうして、ギリギリになって、自分のあまりにも巨大な執着、自我、エゴに気づき、区別分離の愚かさに気づき、おぼろげに見えるような真理にしがみつき、自分の生命といわれるものの行く末を見つめている。

 仕事も、恋愛も、早くに定めた生命ほどに、その道を続けなさいと天の恵みがある。愚かなほどに瞬間的な衝撃で悟る、のかもしれない。
 
 小さなラーメン屋さんがテレビ取材の重なりから客が8倍に増え、店主は60歳、さあ、全国チェーンにしましょう、事業を大きくしましょうと誘いの声がかかる。それを見極める時に、必要なことは何か。

 30歳の時に開いたラーメン屋さんが一気に人気店になり、店舗を増やし、増やし続け、歳を重ね、損益分岐点を下降、社内統制が見えなくなった時に必要な姿勢は何か。

 僕は30歳で与えられた奇跡にしがみつき、もっともっと、まだまだと欲張った。身体的、または物質的快楽を強烈に求めた時期もあった。そうして与えられるものを選別し、否定した。
 やがて、人生で本当に大切なものは何なのかということに気づき、時間にうろたえ、巻き返すために無駄な手ばかりを打ってきた。
 今はビッグチャンスを狙うのではなく、今あるもので、与えられているものを生かして、乗り越えてみようと堪えている。

 人は、今、ここに、目の前にあるするべきことに集中するなら、いつの日かきっとどんな不幸さえも乗り越えられるのだと思う。

 甘美、快楽への欲望が見えるはずのものを見えなくさせてしまう。
 この身体は心が具現化したもの。人生も同じく心が具現化したもの。
 それは自分ではなく、自分のものでもないのでしょう。それはきっと僕が思うには、共に歩む友のようなもの。
 それなのに僕たちの生き方に、ベールをかけてしまうものは何なのか。

 身体は物質としていつの日か枯れ朽ちてゆく。だけど心と魂は枯れたりはしない。傷つきも衰えもしない。そして、きっと、光明を得た時、身体は本当の喜びの源となる。この人生に本当の喜びを与えてくれる。
 

 夢見の中で目覚めながら生きるもの、または目覚めの中で真理を見抜くものだけが金本来の金細工の輝きを持つ。目覚めとはきっと正しく生きたいという願い。祈り。健やかさを目指す源泉。

 多くの人々は、このすごく短い一生で得る身体を人生を自分自身だと、唯一の生命のようなものだと思い込み生きている。そうして感覚的快楽への欲望から道を見失う人もいる。感覚的快楽を手放せた時、人生は新しいフェーズに入る。

 生命とは一体何なのか。人それぞれに人生の苦しみがあるとすれば、そこから抜け出すには何が必要なのか。

 心、意識、魂、無限の叡智、神、それはどのように一体なのか。

 この人生がまだ在る中で、残されている人生の中で、それを知ることはできるのだろうか。結果がどうであったとしても、僕は、その答えを知りたい。そうしてもしかしたら、もしかしたらと答えが明かされつつある日々の中で、人は人生の本当の喜びを知るのだと思う。

 マイノリティーな僕が、たとえこのようなことを書いて、心に響く人がほとんどいなかったとしても、これからも、メッセージを届け続けていくことを僕は自分の人生の使命とする。一つの面から見れば、身体も行為の結果もすべてを幻想と知って、追いかけることもなく。

Makoto ATOZI


詩 「さがし求めたもの」

2023-05-09 18:44:40 | ATOZism

 

さがし求めたもの

 

旅人はこのように話してくれた

 

街人よ あなたはすべての始まりを知りたいという

あなたはその身体を自分だと思っている

あなたは湧き上がる意識を自分だと思っている

 

あなたは記憶に惑わされている

あなたはそれにならず それを知らず

過去を悔やむように生きて 未来を憂いている

 

与えられた意識に反応し

生まれ出づる意識を手なずけもせず

泡のように浮かび上がる

意識を心だと思っている

 

それは生も死もなく あまねくひとつ

あなたがさがし求めたものがその胸にある

 

世界のすべてを知る叡智

始まりも終わりもなく観る者

 

ハートに留まるとき

あなたの旅は輝く

 

何処へも行かずとも 世界を渡る

 

何もかもを生み出すことのできる

叡智を誰もがさがしている

 

ハートに手をあてて

あなたは安らぎを伝えなさい

 

何も求めずとも すべてに満たされる

答えがそこにある

 

 

Makoto ATOZI