ATOZism

作詞家 Makoto ATOZI ブログ

疑念のない世界

2023-04-18 16:54:42 | ATOZism

一般的に人間は2つ以上のことを同時に行えないとされている。

「いや、俺はダブルタスク、トリプルタスクも余裕よ」なんて人もいるのかもしれないが、

物理的にみてみると、確かに僕たちが行える行動は一つの時間の中で一つだけとなる。

例えば人間が一人で何かを考えているとき、多くの場合、僕たちは自分に語りかけている。

そのとき、同時に2つの声がして、2つの声を同時に聞き分ける、つまり、思考が同時に2つ発生することはない。

同じ時間の中で2つの思考を処理することはできない。

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例外として、身体は手と足がバラバラのリズムで動くことができるから、物理的な作業、

たとえば足でテープを貼って、手で糊を貼るみたいなことはできたとしても、それは脳内で、1つの思考として処理されているのだろうと感じられる。

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瞑想をしていると、心が何かの思考を発生させるとき、思考は思考だけで存在することはできないと、何かから教えられる気がする。

思考を発見するためには思考を観察する存在が必要。

例えば心の中で「今日は寒いな」と考える。

そのとき、寒いなと考えている思考は思考自体の声を聞くことはできない。

だから、なんらかの観察者が心の声を聞いて、初めて思考は生命を得て物質となる。

誰にも聞かれていない声、音はありえない。

では、具体的に心の観察者を自分自身だとすれば、「今日は寒いな」と心で言うのは誰なのだという話になる。

目、耳、鼻、口、皮膚、心、6つの感覚により、対象は知覚される。

ということは、僕たちが感じ、思考として発生させている思い。

これはどこから来ているのだろうと考える。

きっとそれは因果から来ている。

だから1つの時間に2つの思考はあり得ないけれど、異なる時間にある2つの思考が同一の元からの発生ではないということもいえる。

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様々なことが起こり、万象により動き出す感情。

これは環境と身体と時間により形を変える。

この3者の様相により生まれ出づる思考は変化する。

そして生まれ出た思考を観察する観察者がその行方を見守っている。

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長い人生の中で忘れ去りそうになっている自分自身。本来の魂。

自分という人生を初めから終わりまで観察している主。

それはいつのときも、勝手に手を出すことなどはなく、僕たちを見守ってくれている。

増えることも減ることも、消えることもなく、変わりなくいつのときもそこに在る。

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観察者が分別感を持っているのかどうかは抜きとして、観察者から見た感情が喜びに満ちたとき。

愛情に満ちたとき。ふれあいを感じているとき。

ゲートは開くのだと思う。

心を見ている心が喜ぶとき、いわゆる引き寄せという不思議は起きるのでしょう。

たとえば美術館に行くとして、わざわざホラーな絵画は僕ならば見たくない。

美しく世界的な絵画を鑑賞してみたい。

観察者はいつのときもきっとそう願っている。

だから今日も心は晴れやかに。

思うようにいかないようなことは多いけれど、それもきっと僕たちが次から次へと発生させている思考とよく似ている。

シンプルに、あるがままに喜びを感じていたなら、きっと世界は面白い。

一番大切なことは言葉を超えて感知する。

そのとき、それが喜びに向かうものなら疑念はなく、ひとつなのだとわかる。

そんな感情に出会いたくて僕たちは人生の旅を続けている。

なんて思う水曜日。

今日も頑張りましょう!

 

Makoto ATOZI

 


さむい、さむい、と思えども。。。

2023-04-18 08:59:17 | ATOZism

今年の春は朝と夜がとても寒い。

風が冷たい。芯まで寒い。

日中は20度を超えて、朝夜は10度以下という気温だと、自律神経も不安定になりがち。

身体に病を抱えている人々にとってはなかなかの修行だろうと思う。

気圧の上昇下降もなかなかエッジが効いている。

頭痛に悩まされている人も多いみたいだ。

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天気は人の心を反映している、なんていうと反論もありそうだけれど、

群集心理って確かにある。

心理、思考は物質なのだと科学的には定義されているのだという。

2019年のパンデミックあたりから、あらゆることがスムーズで、

何もかもがうまくいっているという人々は少数派。

多くの人々は、こうなるはずだという思い込みがはずれ、

それでも、それでも、と繰り返し、なんとかかんとか誤魔化しのように前進しているのでしょう。

そういう鬱憤が物質化して、空気となり、気温を操作しているとすれば、それもあり得るように思う。

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心が怒りを持つとき、自分自身の心を監視できていない人は、自分の怒りに気づけていない。

自分の中に芽生えている悲しみにも、寂しさにも気づけていないこともある。

感情と経験と思考と時間が一体化している。

心には次から次へと新しい思考が生まれる。

この思考はどこから来るのか。

誰が思い、誰が生み出しているものなのか。

思考と思考の間には何が在るのか。

生まれ出づる感情を自分自身だと思うところから、苦しみは生まれているのだという。

本物の自分はそのもっと奥に在る。真我。

本当の自分はただ、次から次へと生まれ出づる思考を観察している。

光をあてて、生まれ出づる思考を見つめている。

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ジャラジャラとした飾り付けのように、僕たちは経験と感情を首からぶら下げ、

それを自分だとして、身動きの取れないような人生を見つめている。

天候は群集心理の反映なんて言ってみたけれど、もしかすると、僕たち一人ひとりが、

身近な大切な人の心を軽く、温かくしてあげられるような言動、行動ができていたなら、

次の日の朝晩の気温は穏やかなのかもしれないと想像してみる。

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先日、タイでは気温が45度を超えて過去最高の気温になったとニュースで報じられていた。

昔、僕が渡航した際には、42度で過去最高だと現地の人は嘆いていた。

ある日、バンコクの街中、歩道橋のところに両脚のない老人がいて、前には小さなお皿が置いてあった。

旅慣れた人々からは、そういう場面でお金は出してはいけないものだよと聞かされていた。

僕は確か、幾らかのバーツを置いてきたと記憶しているけれど、世の中は不条理だ。

僕たちが朝と夜に寒い寒いと言っている同じとき、迫り来る軍隊に怯えている国の人々もいる。

暑いから寒いからなんなのだという気持ちにもなってくる。

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天の気持ちをなだめるというわけではないけれど、寒くても暑くてもいいよという気持ちで、

僕は今日、出会う人にどんな優しさを与え、伝えることができるだろうかと考えてみる。

無い物ねだりばかりの人生。

優しくありたい。

Makoto ATOZI

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