万事塞翁が馬 闘病記

日々を楽しく生きるため。できるだけ前向きな事を書いていきたい。

五感

2010-02-24 00:49:39 | Weblog
目をつぶってみる。

目を開けてみる。

人間には五感がある。

だがこれで完成だろうか?

目が無い生物が目を得た時の驚きがまだ隠されていないだろうか?

例えば人間からみたらみみずって愚かにみえる。

同じことが人間にもいえるかもしれない。

あることが感じられないためにとんでもなくばかなことをしているかもしれない。

そんなことを考えてるんだ。




僕がうつになった原因4

2010-02-21 23:17:52 | Weblog
それは瞑想です。

見よう見まねで高1の時やってみたのがよくなかった。

呼吸法とか気を静める方法とか全然知らなかったのに。

無理やり気を静めてしまって。

すると呼吸が何かおかしくなって、

息苦しくなって、急に怖くなったんですね。

うわ、死ぬかもと思ったら、さらに恐ろしくなって。

パニック発作が起こったんです。

それがうつになった原因でした。

総じていえるのは~し過ぎ、過剰だった。

勢いが強すぎた。

無理のしすぎ。自分の体を大切にしなかった。

そういうことだと思います。

知識と感情

2010-02-20 23:45:34 | Weblog
知識が増えると、感情が鈍ってくる気がする。

色々考えてると、どうも楽しむということに疎くなる。

でもいくとこまでいかないと人間は戻ってこれない。

そうでしょ?

テクノロジーだって、あらゆるものはいくとこまでいかないと

戻ってこれない。

そっちの方に何か答えがあるのかもしれないのだから。

あらゆる空白を埋めていくしかない。

空白を埋めようと思えば埋められるのに、

それを我慢しながら、生きてはいけない。

僕がうつになった原因3

2010-02-18 22:55:06 | Weblog
もう一つの原因は上室性頻脈です。

なんか変だな、と初めて思ったのは小6の時です。

心臓がバクバクいうんです。

なんもしてないのに急に心拍数が130ぐらいに上がって、

長いと6時間はそのまま速いです。

多分これも走りすぎた結果でしょう。

血管からカテーテルを通して手術もしたんですが、治りませんでした。

でも最近は起こってません。今では一年に一度あるかないか。

一番ひどかった時は2週間に1回ぐらいは起こってたんじゃないかな。

これが三つ目です。

僕がうつになった原因2

2010-02-17 20:13:32 | Weblog
もう一つはやはり精神状態が悪かったということが言えると思います。

中二の時、クローン病が発症し
(本当はもっと前から前兆はあったのですが)
食事制限や経腸成分栄養剤エレンタールなど、

当時の僕にとっては大変苦痛な治療を強いられました。

この病気は現代の医学では治せないので、付き合っていくしない。

そういうことが非常にショックでした。

無知だった。

この世界を甘くみていたのですね。

実際はかなり厳しい所だったのです。

このころ、頭の中はネガティブな思いで埋め尽くされてました。

初めてだったと思います。それまではポジティブ思考に

努める必要も無い程、恵まれていた。

ある意味、一番危なかった。

ストレスへの対処法を全く知らなかったのだから。

これが二つ目です。


僕がうつになった原因1

2010-02-15 22:18:55 | Weblog
原因はいくつかあるんです。

それらが一気に集まって、一点に集中して、

高1の時、平衡が崩れてしまったんです。

原因というのは、

まず、鉄欠乏性貧血です。

僕は小学校の時からサッカーをやってまして。

走るのが大好きで、疲れ知らずでした。

誰よりも走れましたね。

なぜなら、ランナーズハイになってたからだと思うんですよ。

普通の人ならある一定の疲れを感じた時もうこれ以上は
走らない方がいいと判断を下すところですが、

僕の場合そのある一定の疲れを感じても走ることをやめなかった。
その疲れを無視して走ると、

ある時気持ち良くなることを知っていたからです。

多分、脳が快感物質を出すことでひどく疲れているのにもう息苦しくて
限界なのに走ることを可能にしたんでしょう。

息苦しさというのは酸素不足による。それは血液中の
酸素運搬物質の鉄が関わってる。

そのように僕は無理に力を引き出していたから
鉄欠乏性貧血になってしまったんです。

これがまず一つ目の原因。

蒔いたもの

2010-02-11 20:07:29 | Weblog
自ら蒔いたものは自ら刈り取らなければならない。

蒔いたものが原因を指し、刈り取りは結果を指す。

困ったことに、蒔いているということに気づかないまま

たくさん蒔いてしまったものも例外なく刈り取らなければならない。

それが幼いころの無知というものでなかろうか。

それにようやく気づいて、まず一歩目。

それから良いものを蒔いていこうという意気込みが大事だと思う。



生と死

2010-02-10 16:58:56 | Weblog
僕たちは死が無ければ生きてることにも気づかないだろう。

幸せだって、不幸せが無いとその存在に気づかないかもしれない。

生きてること、そして幸せに価値を置くには

どうしても死や不幸せを必要とする。

うむ。自分が幸せだと気づかない程、幸せで

自分が生きてることにも気づかない程生きている。

そんな世界が天国かもしれない。

興味は尽きないが。

この世界、よくできてるんだな。

時々、苦しすぎやしないか?と思うことはあるけどな。

2010-02-06 22:35:36 | Weblog
このサイトのモンテーニュをみていたら

http://www.art-tokyo.com/?cat=9

もしモンテーニュが禅の思想を理解できたら発狂するほど歓喜したかもしれない。

と書いてあった。

発狂するほどの歓喜。ごくり。

最近日本では座禅が少し流行してる。
お寺にいってその静寂の中で座禅する。
すると体にも良いし、心を整えるのにもいいらしい。

僕もやってみたい。

あらゆることを恐れた

2010-02-05 13:29:09 | Weblog
私は人生のあらゆることを恐れた。

だが実際はそのほとんどが起こらなかった。

という告白を何度かいくつかの本で読んだ。

この本ではあまり恐れなくても大丈夫だよといいたいようだ。

だが僕は恐れたから何も起こらなかった。

そういう見方もできるんじゃないかと思う。

無頓着もなかなか危険だと思う。

恐れと希望は相反するもの。同じような力をもっててもおかしくない。

どうせなら希望で動きたいけど、恐れも役立つ。