耄碌人の残日録

(ウォーンの残日録)改め、10年ぶりに再開。人生いよいよしまいかけ、耄碌人のデンジャラスな繰り言を聞いてくれぃ。

光市母子殺害事件。

2008-11-18 12:27:51 | 独善的書評
光市母子殺害事件は、1999年4月14日に山口県光市で発生した犯罪。当時18歳の少年により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。

 当時18歳の少年が山口県光市の社宅アパートに強姦目的(?弁護団は、それは目的ではなかったといっている。)で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した少年は、女性に抱きついたがを引き倒し、
女性の激しい抵抗を受けたため、頸部を圧迫して窒息死させた。 その後少年は女性を(セックスすると生き返ると信じ「弁護団」)屍姦し、傍らで泣きやまない娘を、首にひも(ちょうちょむすび)を巻きつけて窒息死させた。

そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し(ドラえもんが生き返らせてくれると思って「弁護団」)、居間にあった財布を盗んだという事件である。

 弁護士・橋下徹が光市母子殺害事件弁護団に対し、『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」と懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけたことで波紋を広げた事件でもある。

また、被害女性の夫である本村氏がは犯罪被害者遺族として、裁判の経過中、ストイックなほどに一貫して死刑判決を望むことを、強く表明し続け、それがしょっちゅうマスコミでも取り上げられてきたことでも有名な事件である。

  1999年6月、山口家庭裁判所が、少年を山口地方検察庁の検察官に送致することを決定し、山口地検は少年を山口地裁に起訴・死刑を求刑した。

 2000年3月22日、山口地方裁判所は、死刑の求刑に対し、無期懲役の判決を下した。

  2002年3月14日、第2審の広島高等裁判所は、死刑求刑の検察の控訴を棄却した。

 山口地裁および広島高裁の判決は、いずれも、犯行時少年が18歳と1ヶ月で発育途上にあったことや、殺害については計画性がないこと、不十分ながらも反省の情が芽生えていることなどに着目して判決を下した。

2006年6月20日、最高裁判所は、検察の上告に対し広島高裁の判決を破棄し、審理を差し戻した。 2008年4月22日、差し戻し審がおこなわれ、判決では、弁護側主張を全面的に退け死刑回避理由にはあたらないとして死刑判決となったという事件である。

本書は、弁護団が書いたものである。
死刑廃止云々ということより、事実がどうであったか、という点で弁護団の主張が克明に語られる。
ドラえもんや「母性回帰」などを主張したが、事件の悲惨さと被害女性の夫の「死刑を望む」とのマスコミでの重ねての主張とそれへの世論の同調の中で、弁護団主張は「荒唐無稽」と一蹴されてしまうのである。

真実は何だったんだろう?
極刑を望む家族の心情はわかる。当たり前かも知れない。
私がそうであれば、犯人を一生許しはしないし、チャンスがあれば殺してしまうかも知れない。

しかし、それと真実は何かということとは少し違う気もする。

少年は、小さい頃父親から激しい虐待を受けていたという、母親も夫から日常的に暴力を受け、同じ被害者として肩を寄せ合って生きてきたのである。しかし、その母親が暴力に耐えきれず首つり自殺を遂げてしまう。まだ小さい少年とその弟は、遺体をおろし、脱糞した母親の遺体を泣きながら清めるのである。(当該事件でも、被害女性は脱糞し、少年はそれを清めている。)
少年は、普通に受けられるはずの家族の愛というものから排除されて育ったんではないだろうか?

死刑しか彼が償う方法はないのだろうか?
考えさせられる事件である。