耄碌人の残日録

(ウォーンの残日録)改め、10年ぶりに再開。人生いよいよしまいかけ、耄碌人のデンジャラスな繰り言を聞いてくれぃ。

初級革命講座

2008-08-31 10:44:29 | 独善的書評

重松清が推薦というので、また題名もおもしろそうなので写真の本を読んだ。文庫本である。

表紙の挿絵が物語るように、60年代(70年代?)の全学連・全共闘のハナシである。

とはいっても真面目な記録的な内容ではない。つかこうへい流にというか戯曲的に、当時の全共闘・機動隊の関係をおもしろおかしく書いたものである。

実際、シバイにすればおもしろいかもしれない。
おそらく、つかこうへいも大学のころには、全学連としてゲバ棒をふっていたんであろう。その当時を懐かしみながらも揶揄・嘲笑するのである、まさにファルス(笑劇)であったと。

ふざけた野郎である、つかこうへいは。

しかし、なんだ、この間用事があって立命館だの同志社だのへいったが、その整然とした(というか管理しつくされた)キャンパスというのは、いったいい何なんだ。

タテ看だのアジ看板だのひとつもない!

セイガク(学生)共も、去勢された犬のようにおとなしく、吠えている姿もない。
チャラチャラした野郎やバカ女がキャンパスを埋め尽くす。

日本の行く末怖ろしや!

カノ国では、若者たちが命と引き換えに平和のたたかいをしているというのに・・・。


小学5年生

2008-08-30 17:23:23 | 独善的書評

モモさん、コメントありがとう! はげみになります。またコメント下さいね。

長女さん、ありがとう。そろそろ育児休業も終わりかな。これからがまた大変やでぇ~。頑張って!

 

最近は、えらそうにいうわけでないが、小説系の本ではなく、勉強系・研究書系に昏倒していたんやけれど、なんかめんどくさくなって、いい小説系・軽く読める本はないかと思っていて、新聞の広告を読んでいたら「重松清」の本がどうもおもしろそうで、写真の本「小学5年生」を読みました。

文庫本だと思って注文したら単行本で、1400円もしよった。
(ちょっと後悔。)


 17の物語のオムニバス。小学5年生ごろの記憶はいまだに淡く記憶のフチに残っている。大人になりかけの子ども。いっぱしのことを考える時期。
 転校、友人との別れ、淡い恋、家族との思い出などなど、暖かみとペーソスというか哀愁にあふれる内容である。

 そうや、5年の時はあんなことがあったなぁと思い出しながら読んでしまう。その当時の自分と重ね合わせてしまう本である。

 とくに私も5年生で転校を経験しているから、転校にまつわる話はハナをツーンとさせる。
友人・クラスの仲間・先生との別れのつらかったこと。それでいてあたらしい学校ではすぐに友達ができたことなどが思い出される。
 大阪から京都の北部という同じ関西圏内の転校だったので言葉のカベはなかった。ただちょっと独特の方言・いいまわしにはとまどったかな、それにテレビもNHKしか写らないので、ずいぶん田舎に来たもんだと思ったものだ。

転校のきっかけになったのは、5年生のときにオヤジが死んでしまうのである。交通事故で。
 覚えているのは悲しかったことより、「死人」・「死」というものがただただ怖かったのを覚えている。夜の便所にもよういかんかったなぁ、オヤジの幽霊が出そうで。

 オヤジと書いてみたものの、自分のなかでは「オヤジ」というものがわからない。
 「オヤジ」と呼ぶ関係性は中学生以降ではないだろうか。
5年生の私にとっては、やはり「お父ちゃん」である。怖くて、しかし、優しくて、大きくたくましかった父ちゃんである。
 20歳頃になって単身生活をはじめたころ、近くの銭湯にいったとき、ちょうど4~5年生の男の子を連れた親子も来ていたことを思い出すが、その時もなんかハナがツーンとしたことを覚えている。自宅に風呂が無かったので、親子で銭湯によくいったものである。
帰りには、商店街でぶとうとかスイカとか果物を買ってくれたものである。

昔をほのぼのと思い出させてくれるいい本である。重松清もなかなかいいかもしれない。


今流行の20世紀少年達も、そのもとになっているのはたしか小学5年生ではなかったかな。
ちょっと、遠出もできて冒険したり、忍者ごっこしたり、スーパージェッターだのテレビを真似たあそびを路地裏でよくやったものである。

このマンガもそういう恐らく昭和30年代の少年たちを描いたものであるが、その頃を懐かしく思い出させてもくれる。

それにしてもすごい物語のマンガである。
娘(2)がいうので24巻全部まとめて買って読んだが・・・すごい。
全世界で読まれているらしい。完結までに8年を要したという。

今、ヨメも含めてハマっている。

”ともだち”は・・・・・・・・・。


古本市で・・・。

2008-08-29 00:12:39 | 独善的書評
先日(といっても2週間以上前だが・・・)ヨメと一緒に下鴨神社でやっている「京都納涼古書まつり」にいってきた。

 境内を埋め尽くす、古本屋の出店のおびただしい数。はじめての私には、ちょっとびっくりである。4~5日間の開催であるらしい。

ヨメが絵本でも買いたいというのでつきあったまでで、私として特段、欲しい本もなく、ただものめずらしげに市の間をブラブラしていただけである。

本屋のテントを一人で何軒もまわったころか・・・、ある古本屋でフト目にとまった本があった。(写真の本である。)

 以前から「大塩平八郎」に少し興味があって、小説にでもなっていたら読みたいものだと思っていたんであるが、これがフト目に止まった。
 いかにも、私に買って下さいといわんばかりの状態である。
 本自身が妙に姿態をくねらせ「ちょいと、そこのお兄さん、買っていきなさいよ」といっている感じである。(そういうことはないが・・・)
 でも、あるんだなぁ~、こういうことって。本が訴えているというか、呼んでいるというか。
 思わず買いました。これ一冊だけ。
当時定価1200円でしたが、500円でゲットしました。


買ってはみたものの、難しい本です、
これは。なんせ、漢文だらけというシロモノで小説ではなく、大塩その人を書いた研究書のようであります。
 まぁ、これは定年退職後の読み物ですな。


ちなみに・・・・。
 歴史でもならったのが「大塩平八郎の乱」。天保8年(1837年)2月19日に大阪でおこった事件です。
 この事件を誘発した、「天保の大飢饉」が前年に始まっています。各地で一揆が多発していたといいます。

大塩は決起のときにこういうことをいうている。


「人民が苦しむのは、汚吏と好商が結託して米の価をつりあげて居るからだが、それをゆるして居る施政者の無能もさることながら、ゆるさねばならぬ程、幕府の財政そのものが逼追しているからなのだ。

 …時は来て居る。この乱れた政道に鉄槌をくわえ、天下を震憾せしめる者があらわれるべき時が来て居る。上謀る能わず、士死する能わずんば、何を以て民を治めんや

 一人の志士がまず厭起して、天下に殉じた時、はじめて、幾多の志士が後を継ぎ、根太の腐れた大廈をたおすことが可能なのだ。

 陰でぶつぶつの愚痴も、千万人が眩けば、幕閣の中にひびくなどと思うのは、大たわけだ。それよりも、一人だけでも、蹴起して獅子吼した方が、どれだけ、天下大改革の強力な推進力たり得ることか・・・・。」

ちゅうことらしいですわ。

大塩も「希望は革命」であったようです。

大阪市西区靱本町1丁目に碑があるらしい。いっぺん行きたいものである。

久々のパニック障害

2008-08-28 09:17:58 | Weblog
いやー、参った。

先日、東京出張であった。夕刻、京都に帰るために新幹線に乗ることにした。体調もそれほど悪くないので、普通車にした。
無事にA席が取れた。B席は真ん中であり、その席になるということは相当混んでいるということであるので、B席になる場合にはキャンセルを入れる。
今回は、A席でよかった。問題は、B席やC席にどのような人が座るかである。

夕刻なので、メシはどうしようか悩んだんであるが、京都についてからでもエエわ、ということで車内食事は見送っていたんであるが、売店をちょっと除くと、好きな「天ムス」弁当がある。(これ、好きなんやぁ~。)ちょっとしたムシヤシナイにはいいと買った。(小さい天ムスが5つ入って750円!ちと高いのではある。)

車内に入って早速、天ムスを喰った。3つめまでは旨かった。(小さいので一口である。)
4つめがどうものどに引っかかる。エヘン・・・。
5つめ。何か飲み込みにくい。あれぇ~・・・・。
食べ終わったとも、何とも不気味なのどの違和感。
お茶を飲んでも治らない。

なんとなく息苦しくもある・・・。
急に胸がドキドキする。パニック障害である。突然に。
それまでなんともなかったのに、突然やってきた。喉の違和感を契機に。

こうなるとわかっていてても、怖い。
喉が詰まって呼吸できなくなるとどうしよう・・・。
車中、逃げ場もない・・・・。
新横浜で一旦下車しようか、そうでないと名古屋まで1時間半耐えられるか・・・・。
車掌に云おうか・・・・。
あれやこれやが頭を駆けめぐりながら、だんだんしんどくなってくる。脈拍もいくぶん早くなっている。
わかっていることだけど、このときが辛い。
どうしていいかわからなくなる。

薬はすぐに飲んだ。・・・・しかし、なかなか効いて来ない。
Ipod も聞く気になれない。もちろん、本も読めない。
ただただ、目をつぶって耐えるのみである。
ホントウにこの時が、辛く、苦しく、いてもたってもいられない感じになるのである。

・・・・薬が効いたのかしばらくしてウトウトとしたようである。
気が付いたら名古屋であった。あと45分、なんとかなりそうである。下車せず京都まで行くことにした。

・・・・京都着。なんとか無事に乗り切った。
症状も軽減している・・・嗚呼、よかった、よかった。

しかし、参る。季節の変わり目でまた頻発するかなぁ~、困った。

娘(1) 宅へ

2008-08-22 07:21:45 | Weblog
先日、夏期休暇を頂いて、茨城の娘(1)宅に家族3人で行ってきた。2泊3日である。

車で。600Km以上。片道9時間ぐらい。
ちょっとしんどかった。しかし、娘(2)が運転できるので、途中交代したので、まだ助かった。

首都高速は難しい。難儀である。

新幹線だと7万円以上かかる。車でなら4万円程度で済む。

孫は元気であった。娘夫婦も元気であった。よかったよかった。
孫は大きくなっていた。日に日に大きくなっていく。泣き声も大きく元気である。ミルクもしっかり飲む。
首もすわってきたようで、少しの時間ならうつぶせもできる。しっかり頭を持ち上げている。
5ヶ月前には、小さな小さな未熟児の赤ちゃんであって、どうなることかと心配したものであるが、生命力というのは不思議なもので、今やすっかり普通の赤ちゃんである。

バーバも孫にかかりっきりである。
このジージ(という云われ方もなんか引っかかるが・・・)があやしてやると、わかっているのかどうか、こちらにはわからんが、ウーウーといって反応する。
誠にうれしいものである。

2日目には、みんな(6人)で、水戸の方にある海浜公園にいってきた。
しかし、茨城というところは、何もないところである。観光資源が乏しいのか。前日は、どこにいったらいいか、さんざん、みんなで思案したところで、海が見たいというヨメの要望にそって海浜公園にしたのである。

遠目に海を見た。近くには行けなかった。

その公園で黒いアゲハチョウを見たのである。優雅に飛んでいた。

夕食は例によって、私の出番となった。
そうめんをつかったボンゴレ・ビァンゴ。写真を撮るのを忘れたのでお見せできないのが残念である。
アサリをふんだんに使い、柚子胡椒を利かせた、なかなかの出来であった。おいしかった。
それに、おにぎりアラカルト3種。娘(2)の指示に従いながら作った。一つはアンチョビ混ぜの半熟卵のせ。二つ目は、昆布入りおぼろ昆布巻き。三つめはうなぎのせおにぎり。
いずれも秀逸であった。

そんなこんなの久々のみんなそろっての多人数の楽しい三日間であった。

帰りは9時間かけて無事帰ってこれました。めでたし、めでたし。
しかし、疲れた。

ケツから煙・・・。

2008-08-09 00:35:53 | 独善的書評

喫煙賛歌とでもいうべき本である。
禁煙運動家には、けしからん本であろう。


この本の論点は明快である。
1,タバコほど広く有害性がいわれながら、科学的な根拠がこれほど乏しいものもない。
2,愛煙家たちが心の底から望んでいることは「納得できる説明をしてくれ!」ということである。
3、ニコチンは集中力を高め、記憶力を向上させ、創造力を引き出す。
4,喫煙者にはアルツハイマー症が少ない、というデータ。
5、ニコチンは免疫力を高める。
6、タバコがそんなに有毒なら、世界的に喫煙率の高い日本の国民が、長生きできるはずがない。ガンは老化だから、防ぐことはできない。したがってタバコを吸わなければガンにならないという言い方がそもそも成立しない。「タバコをやめなさい。そうすればガンは防げる」というのは100%ウソ。やめたって、なる人はなるのだから、そんなこと請けあえるはずがない。中国では風邪を引いたらこれを吸いなさいという、薬草入りのタバコが作られている。
7、タバコを吸うのもいい、吸わないのもいい。人に余計なおせっかいはしない。そうすれば、世の中、平和でうまくいく。
8、「タバコを社会からなくしたいなら、警告表示だとか分煙だとか手間ひまかかることはやめて、さっさと麻薬指定にでもすればいい。

というような内容である。

吸いたいもんが吸う、吸いたくないもんは吸わない。喫煙者は人の迷惑を考える。マナーにも気をつける。それでええんちゃうん?

筆者もいうとったけど、そのうち、タバコは有害物質もあるけれども、人体にとても有効な物質が含まれていることが明らかになるのでは・・・と。
そうなりゃ、おもろいな。


新幹線物語 母は強し。

2008-08-07 07:43:11 | Weblog
仕事の関係で、東京等への出張が月2回程度はある。都合4回新幹線に乗ることになる。

ウツ・パニック障害のために、新幹線とか飛行機とか急行列車とかは閉所感が病気を誘発する。いつも「発作がでませんように」と念じながら、ドキドキしながら乗車する。

そんなこともあって、しばらく特別にグリーン車に乗せてもらっている。(グリーン車とてあまり変わりませんが・・・)
あまりグリーンを使うのも申し訳ない、と調子がよければできるだけ普通車に乗るようにはしている。

一昨日も出張であったが、行き帰りは普通車にした。
行きは、おかげさまで「爆睡」状態であったのでなんとか乗り切った。帰りもどうしようか迷ったが経費節減のため普通車にした。

結構混んでいた。C席に陣取った。
AB席は、熟年のご夫婦のようで、旅行と云うよりは(荷物の少なさからみて)親戚等へも暑中のごあいさつといったところか。
網棚(ではないが)には、先方へお渡しする手みやげが置いてあったし・・・・。

くだんのご夫婦は、まだ11時だというのに、お弁当を開かれた。
こういうのが困る。どういう顔をして座っていたらいいのか?何か物欲しそうな顔をしていないか、心配である。
ここは眠るフリをするのみである。

車中での食事というのは、お隣がするのも、自分がするのも苦手である。よく平気な顔をして弁当を食っている人がいるが、とてもマネのできる芸当ではない。

たまにとなりに若い女性などが座ることがあるが、こうした女性は、コッソリと食べる。まさにコッソリと。
隣の私としては、そうコッソリ食べられるとまた辛いものがある。
私は欲しがってませんよ!と声を大にしていいたい。

くだんのご夫婦のご主人のほうからは、「スイィ匂い」がしてくるので(何気なく)チラ見すると、コハダかママカリかのすし弁当のようであった。どうもこの「スイィ匂い」は苦手である。
車中というモノ、こういう匂い付きの弁当は販売禁止にしてほしいものである。

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ところで、今回の混雑していた(もちろん、指定なのでみんな座っているが)車両には、子連れの(帰省かなんかの)お母さんが多かった。同一車両に3組は、いたようである。
1組は、斜め右前方の席に、乳児と3歳ぐらいの女の子を連れたお母さん。父親は同伴ではない。
この乳児が良く泣く。乳がほしいのか、暑いのか、オムツを変えて欲しいのか、身をそらせて泣いていた。うるさいといっては申し訳ないが、誠に賑やかである。
前の席はどうもサラリーマンのようで、うるさいのがこたえるのかしきりに後ろをみたり頭を振っておった。気持ちはわかる。
当該の母親、立ち上がってあやしていたが、フト、そのサラリーマン氏と目があったのか、キッと睨み付けていた。恐ろしいことである。
「仕方ないじゃない、泣くんだもん。何ヨッ!ったく!」みたいな感じである。

母は強し。

これが父親であったらならどうか、オロオロして恐らく申し訳なさにアチコチに「すんません、すんません」とペコペコ頭をさげ、すぐにデッキなどにいってあやしていることであろう。誠に可哀想なことである。

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2組目は、これまたベビーカーの乳児と4歳ぐらいの男の子と母親。これも父親は同伴ではない。
品川からの乗車である。狭い通路をベビーカーを押しながら、男の子の手を引きながら、席を探しながら・・・。女はいろんなことがいっぺんに出来るのである。
と、右後ろの席にED席に一人で座っていた女性に何やら、ペコペコと頭を下げながら相談している。そして、次の車両に移っていった。
しばらくして、母親はベビーカーと男の子ともども戻って来て、そして寛いでいた若い女性は、立ち上がって何処かへ去っていた。
3人の親子は、当該の席に親子ともども座ることになったのである。

おそらく、こういうことではないか。
なんせ、満席の車両である。くだんの母親は、親子散り散りになってしか席がとれなかったのではないだろうか。5歳の子を一人にしておくわけにもいかず・・・、意を決して、かよわそうな女性(同性)に席の移動・交代を頼んでみた。その女性は、母親の必死の訴えに知らないわけや狸寝入りをするわけにもいかず、不承不承(かどうか)承知をしたというところではないか。
んで、親子三人は並びの席に座ることができたというわけである。

母は強し。

父親ならどうか?
最初からそういう切符は取らないだろう。そういう列車が取れるまで時間を遅らせることであろう。
車内に入ってから「何とか頼んでみよう」といった芸当は無理である、男には。

てなことをイロイロ観察している内に、京都に着いた。無事、パニック障害は現れなかった。助かった。