2003年10月、教会歴史の旅をした際、歴史に残る場所には必ずやビジターセンターがあるのを見ました。そのビジターセンターに多くの場合、当時の指導者の日記が展示してあります。その日記を見たとき普通の日記でないことが分かりました。極、普通の一行日記とか、業務日記とかではなく、1ページ以上の長い文で書かれた「証」、言葉を変えれば「随想」に見えました。一日の状況や御霊の導きを受けて行動したこと、特別な経験をしたことなどを書いたのでしょう。迫害されて自分の命がどうなるか分からない危険な中を忙しく動き回り、疲れた体を休める前に日記をつけたものと思われます。B5かA4版の用紙に1ページ以上の証を書くのは大変時間の掛かることですし、エネルギーを使います。
5,6年前になりますが、朝のNHK第一放送を聞いているとき、東海大学の秋山仁教授が若者の理科離れを少しでも食いく止めるため、専門の数学教育にまつわる話をしているのを聞きました。
彼が数学を学んでいる大学院時代に「順列組み合わせ」を学ぶためにアメリカのU.C.I(ユニバーシティ・オブ・カリフォルニア・アルバインキャンパス)の教授のところに急いでJ1(留学)ビザを取り、すっ飛んで行ったそうです。その時、U.C.Iの教授は「私の研究室に入るなら、一日一論文書くことを条件」としたそうです。秋山さんはそれに従ったかどうかは定かではありませんが、教授の話を聞いたとき、アメリカ社会の厳しさの一端を垣間見ることができました。
教会初期の指導者が長い証を一日に書き上げてしまうのは、アメリカ人気質としては当然のことだと思っていたのかも知れません。聖霊が導くままに証の筆を走らせるならばそれほど難しくはなかったのかも知れません。当時の指導者が残した日記は私たちの前に「鑑」となって静かに見守り、導いているようにも思います。
今の私は一日に一つの証を書く時期にあるのかも知れません。毎日書けなくても、できるだけそれに近い数の証や体験を綴ってみたいと決意しているところです。自分の信仰生活を省みたとき「信仰とは何だったのか」、「多くの時間をかけてそれがどのような祝福(益)となったのか」など、自分が過ごした信仰生活を後世にどのように伝えるのかなどを考えると、証や体験を書いて行くことは大切なことだと考えています。 (し)
5,6年前になりますが、朝のNHK第一放送を聞いているとき、東海大学の秋山仁教授が若者の理科離れを少しでも食いく止めるため、専門の数学教育にまつわる話をしているのを聞きました。
彼が数学を学んでいる大学院時代に「順列組み合わせ」を学ぶためにアメリカのU.C.I(ユニバーシティ・オブ・カリフォルニア・アルバインキャンパス)の教授のところに急いでJ1(留学)ビザを取り、すっ飛んで行ったそうです。その時、U.C.Iの教授は「私の研究室に入るなら、一日一論文書くことを条件」としたそうです。秋山さんはそれに従ったかどうかは定かではありませんが、教授の話を聞いたとき、アメリカ社会の厳しさの一端を垣間見ることができました。
教会初期の指導者が長い証を一日に書き上げてしまうのは、アメリカ人気質としては当然のことだと思っていたのかも知れません。聖霊が導くままに証の筆を走らせるならばそれほど難しくはなかったのかも知れません。当時の指導者が残した日記は私たちの前に「鑑」となって静かに見守り、導いているようにも思います。
今の私は一日に一つの証を書く時期にあるのかも知れません。毎日書けなくても、できるだけそれに近い数の証や体験を綴ってみたいと決意しているところです。自分の信仰生活を省みたとき「信仰とは何だったのか」、「多くの時間をかけてそれがどのような祝福(益)となったのか」など、自分が過ごした信仰生活を後世にどのように伝えるのかなどを考えると、証や体験を書いて行くことは大切なことだと考えています。 (し)