貫井村は、現在の貫井南町や前原町の周辺にあったのことです。鈴木福利さんの記憶に基づく昭和初期の点在する家屋の様子など、興味深いお話をお聞きすることができました。
なんせ、当時は長い間、せいぜい50軒ほどしか民家がない状態が続いたというのです。この地の人々の暮らしは貧しく、カイコを飼ってようやくなんとか生計をたてていたのが実情のようです。急速に開けてきたのは昭和40年代。「新しい住民の皆さんに、ようこそ!と申し上げたい。」と元気いっぱいにお話する福利さんでした。
※明治13年頃の地図のコピーも配られましたが、「池ノ上」や「西の久保」など、現在の地名そのままのものもありました。おもしろいですね!
【写真】
講演者の鈴木福利氏
なんせ、当時は長い間、せいぜい50軒ほどしか民家がない状態が続いたというのです。この地の人々の暮らしは貧しく、カイコを飼ってようやくなんとか生計をたてていたのが実情のようです。急速に開けてきたのは昭和40年代。「新しい住民の皆さんに、ようこそ!と申し上げたい。」と元気いっぱいにお話する福利さんでした。
※明治13年頃の地図のコピーも配られましたが、「池ノ上」や「西の久保」など、現在の地名そのままのものもありました。おもしろいですね!
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講演者の鈴木福利氏