「陸前高田の松の木はいのちをつなぐ希望の木」・・・、アンパンマンの原作者やなせたかしさん(92)が、
東日本大震災による津波で、岩手県陸前高田市の名勝・高田松原に1本だけ残った松の木を見て歌を作った。
高田松原には震災前、海岸沿いに約7万本の松の木があった、だが津波に襲われ、残ったのは1本だけ、大切なものを
失った被災者のあいだで、いつしか「奇跡の一本松」と言われるようになった。
今にも倒れそうな一本松、やなせさん自身も92歳になり、学校の同級生は2人しか残っていない。
あとは全部死んでしまった、漫画家の仲間もほとんどいなくなった、わずかに3歳下の水木しげるがいるだけ、僕自身も
病気が多く余命はわずかだと思う、生き残った松が、自分自身と重なった。
5月30日付の朝日小学生新聞の連載「メルヘン絵本」で、「ヒョロ松さん」と呼ばれる一本松が枝をふるわせて
歌っている絵を掲載した、ヒョロ松さんが歌うのが、今回作詞作曲した「陸前高田の松の木」だ。
〈ぼくらは生きる 負けずに生きる 生きていくんだ オー オー オー〉
歌が下手な人でも大声で歌えるよう、メロディーは単純に、7月発売予定のCDには、童謡歌手の大和田りつこさん、
岡崎裕美さんと一緒に、やなせさん自身の歌声も入っている。
発売元などは未定だが、CDの売上金は全額寄付。寄付先は陸前高田市と相談して決める。
「高田松原を守る会」の鈴木善久会長(66)によると、塩水につかった一本松の現状は安泰ではない。
葉の緑が日に日に薄くなり、赤茶けてきている、何とか生き抜いてもらいたい、地元の人は木の回りに防潮柵をつくったり、
活性剤を与えたりする努力を続けている。
やなせさんは、我々の人生はいつも厳しいと言う。
僕を含めて、危機一髪のところを生きていると思う、しかし命のある限りは生きて仕事をしていきたい、被災した人とともに、
困難を生き抜いていく、一本松も、私たちも。
東日本大震災による津波で、岩手県陸前高田市の名勝・高田松原に1本だけ残った松の木を見て歌を作った。
高田松原には震災前、海岸沿いに約7万本の松の木があった、だが津波に襲われ、残ったのは1本だけ、大切なものを
失った被災者のあいだで、いつしか「奇跡の一本松」と言われるようになった。

今にも倒れそうな一本松、やなせさん自身も92歳になり、学校の同級生は2人しか残っていない。
あとは全部死んでしまった、漫画家の仲間もほとんどいなくなった、わずかに3歳下の水木しげるがいるだけ、僕自身も
病気が多く余命はわずかだと思う、生き残った松が、自分自身と重なった。
5月30日付の朝日小学生新聞の連載「メルヘン絵本」で、「ヒョロ松さん」と呼ばれる一本松が枝をふるわせて
歌っている絵を掲載した、ヒョロ松さんが歌うのが、今回作詞作曲した「陸前高田の松の木」だ。
〈ぼくらは生きる 負けずに生きる 生きていくんだ オー オー オー〉
歌が下手な人でも大声で歌えるよう、メロディーは単純に、7月発売予定のCDには、童謡歌手の大和田りつこさん、
岡崎裕美さんと一緒に、やなせさん自身の歌声も入っている。
発売元などは未定だが、CDの売上金は全額寄付。寄付先は陸前高田市と相談して決める。
「高田松原を守る会」の鈴木善久会長(66)によると、塩水につかった一本松の現状は安泰ではない。
葉の緑が日に日に薄くなり、赤茶けてきている、何とか生き抜いてもらいたい、地元の人は木の回りに防潮柵をつくったり、
活性剤を与えたりする努力を続けている。
やなせさんは、我々の人生はいつも厳しいと言う。
僕を含めて、危機一髪のところを生きていると思う、しかし命のある限りは生きて仕事をしていきたい、被災した人とともに、
困難を生き抜いていく、一本松も、私たちも。