赤レンガ庁舎へ 2011年01月08日 20時51分45秒 | Weblog 前の道路も雪でいっぱい 中も雪が多い! 中からガラス越しに! 昔のガラスでゆがんで見える! 大日本恵登呂府 説明板 近藤重蔵と標柱 « 2月7日から13日まで | トップ | 僅かな水面に集まる鴨たち! »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 近藤重蔵 (地理佐渡..) 2011-01-09 06:40:16 おはようございます。まさに日本とロシアとの間で、北方の国境が画定していない時代の事ですね。幕府はアイヌの世界に忍び寄るロシアを牽制する意味からも、この碑を建てたと言って良いでしょう。近藤さんといえば、一方で最上徳内さん。江戸時代後期にこの地に関わった探検家といえば著名な方は限られていますね。当方は、一介の船乗りである高田屋嘉兵衛が好きですねぇ。 返信する ここへは何度も来ていますが! (地理佐渡さんへ) 2011-01-09 07:47:25 初めて移しました、近藤重蔵のことは知りませんでした!ネット検索しました。樺太の戦前の様子や国境の複製碑等敗戦の悲劇等も展示してあります!一見して下さい。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
まさに日本とロシアとの間で、北方の
国境が画定していない時代の事ですね。
幕府はアイヌの世界に忍び寄るロシアを
牽制する意味からも、この碑を建てたと
言って良いでしょう。近藤さんといえば、
一方で最上徳内さん。江戸時代後期に
この地に関わった探検家といえば著名な
方は限られていますね。当方は、一介の
船乗りである高田屋嘉兵衛が好きですねぇ。