追い詰められると、つい、自殺願望がわいてきたりするんですよね。病気になってしまった人は。
昔、むか~し、刃物が怖い時期がありました。20代の頃です。
衝動的に自分がやってしまうかもしれない……って。ハサミとか、文化包丁とか、なるべくすぐに取り出せないようにしたりして。その頃、エネルギー源は酒だけでした。当然、痩せまくって、体を壊して、2,3ヶ月休職。なぜか復帰できたのは奇跡的だったかも。
そんな経験から、自殺は病気だと思うようになりました。『死に至る病』ですな。その病の最中は、どうして死にたいのかよく分かってないような気がしますし、楽になることが死だって、妄想しているような気がします。
私の中では、自殺も殺人も、事故以外は、みな病気の人間のすることだと思います。どっか、病んでしまっているんだと。
まあ、色々と原因の違いってのあるから、断言とかは絶対にできないんですけどね。
それからうん十年。また、精神面がぼろぼろになり、仕事ができなくなって、休職に継ぐ休職で、結局仕事を辞めたんですが、前よりも状態が良かったんでしょう。自殺願望はありませんでしたね。どこが違っていたんだろう…。
いやね、あの混ぜると危険物質で、日に何人も自殺が続いているので、ちょっと、考えてしまったんですよね。
激痩せした20代の時は、多分、逃げ場所がなかったんだと思うんです。場所というか、逃げる心というか、弱い自分を許せる部分というか、精神的な部分での、「逃げ場所」。
でも、最近では、どうしようもない自分でも、ま、いいか的に、こんな人生もアリかなあ~って、許しているんですよね。老い先短い身だし。いつぽっくりいくかわからない年だし。
だから、休職していてもあまり辛くなかったような気がします。いや、そうでもないか…。
不幸せな自分が許せない。
もっと違う人生があった。
誰も寄り添ってくれない。
などなど、自分で自分を追い詰める……ってことが、自死を招くんだと思います。
なんか、そういうのって、やっぱり想像力の貧困が招いているって思います。
自分が死んだらどうなる……なんて、考えることもできない状態にあるわけですけど、正常な時に、きちんと、そういった場合のことを思いめぐらせておけたら、多分、死ねないと思うんですよね。正常な状態で、想像力をきちんと使っておければ、普通、死ねないと思ったりします。
この頃、別場面で、こうしたら、次にどうなる…っていう想像が、できてないなあ~っていう場面に、なんか遭遇します。単に気になるってことなのかもしれませんが。
若い親の皆さん。自分の子どもをもっとちゃんと見てください!!!!
っていう場面。
結婚する気のない息子と一緒に、こんな場面を見た、とか、こういう親がいたとか、話しながら、ため息をつくことが多いんです。
未来に、自死を選ばない子どもをきちんと育てることって、大事なことだと思います。それって、いつも、あなたを見ているよって、サインを欠かさないことだと思うんですよね。