来客がありました。
その人(Kさんとしておきましょう)から電話があり、「先生のご仏前にお線香をあげに行きたいのですが、今日はご都合いかがですか?」と言われたとき、私は、すぐには返事が出来ませんでした。
だって、とても急でしたし、それに、こんなご時世(緊急事態宣言が出て、不要・不急の外出自粛が求められている)ですから。。。。
私が返事を躊躇していると、Kさんは重ねて言うのです。
「先生が亡くなられたと聞いたとき、すぐにでも駆けつけたかったのですが、自分も体調が悪く、入退院を繰り返していたためにそれが出来ず、ずっと、心苦しい思いでいました。 今日は、体調もよく、何とか出かけられそうなので、奥さんの都合がよければ、これからお伺いさせて下さい」・・・と。
私は、断る理由もないし・・・というより、むしろ、「こんなにも夫のことを思ってくれているのだ」と有り難い気持ちになり「それでは、お待ちしております」と言って電話を切りました。
そして、昼過ぎに、Kさんはやってきました。
私は、kさんとは初対面でしたが(名前は知っていましたが、お会いしたこはありませんでした)、会った瞬間、ハッと息をのむような思いがしました。
なぜなら、あまりにもKさんの顔色が悪く、しかも、骨と皮ばかりに痩せていたからです。
私の夫は、4ヶ月あまり大学病院に入院をしていましたが、その間、口から食事をとることが出来ず、点滴だけで命をつないでいました。
そのため、極限まで痩せてしまい、そのまま旅立ってしまったのです。
今でも、夫の痩せ衰えた姿が、私の脳裏から消え去ることはありません。
その夫の姿と、Kさんの姿が重なりました。
むしろ、顔色は土色でKさんの方がずっと悪い。
一つ一つの動作も、夫の最期の頃のようです。
とにかく、私は、Kさんを夫の仏前に案内しました。
kさんは、夫の遺影を見上げて「いい写真だなぁ・・・」と呟くと、そのまま号泣。
私は、どうしたら良いかも分からず、ただ、そこに座っていました。
しばらくして、Kさんが問わず語りに話し始めました。
それによると・・・。
最初は、Kさんの勤める高校が我が家の近くだったことから、授業の空き時間にでも通えれば・・・と、夫のクリニックに来たそうです。
それが、たまたま、お互いが同じ高校の先輩と後輩だとわかり、すっかり意気投合。
いつしか、医師と患者の立場を離れて、相談事をしたり・されたりと、深い友人関係に進んでいきました。
そんな時に、職場の検診でKさんの肺に癌が発見されたのです。
6年前のことだと言いますから、まだ、私の夫は元気で仕事をしていた頃です。
検診で発見されるまで、Kさんには何の自覚症状も無かったと言いますから、いきなり癌と宣告され、それは、それはショックだった事でしょう。
しかも、腫瘍の出来た部位が微妙で、手術は困難と言われたそうですから、その時のKさんの気持ちは・・・・。
手術を諦めて、抗がん剤の治療に望みを託したのですが、他の人には効果が見られるのに、自分には効かない・・・。
いろいろな種類の抗がん剤を試してみても、辛いだけで、結果は同じ・・・。
絶望的になりかける自分を、先生(私の夫)は誠心誠意励ましてくれ、そのおかげで、自分は今まで頑張ることが出来たのに、その先生が、あっさりと、先にいなくなってしまうなんて・・・と、また、Kさんは号泣です。
話を聞きながら、私も一緒に泣いてしまいました。
70歳近くになる現在まで、結婚をせず、独身を貫いてきたKさんにとって、頼れる人は、私の夫以外にいなかったのかも知れません。
これから先、もっと病状が進んだとき、独り身のKさんはどうなさるのでしょう・・・?
「何かあったときには、連絡を下さい。私に出来ることがありましたらお手伝いをさせていただきますから・・・」と、私は言いました。
Kさんは、「有り難うございます」と私に頭を下げました。
それから、ゆっくりと夫の遺影に向き直り、声を震わせながら言いました。
『先生! 私も、もうすぐ、先生のおそばに行きますから!』
『ドキッ・・』としました。
Kさんは、それを言いに来たのかと・・・? (>_<)
「今日、来ることが出来て、良かったです。 先生にお礼も言えたし、これで、スッキリしました」
そう言って、思いなしか、ホッとした表情で帰って行かれるKさんを、なんとも言えぬ思いで見送りながら、私も、心の中で呟いていました。
Kさん、こちらこそ有り難うございました。
お陰様で、私の知らない夫の一面を、また一つ見ることが出来ました・・・と。