375's ROAD TO BOSTON/ゴールは虹の彼方に

米国在住ランナーの究極目標「ボストンマラソン」とアメリカ50州制覇を目指す人生の旅日記。

【大会レポート】2014年シャムロックマラソン(2014 Yuengling Shamrock Marathon):レース編

2014年03月24日 | 大会レポート 2014



3月16日(日曜日)、アメリカ東海岸最大規模といわれるセント・パトリックのお祭りラン、ヴァージニアビーチのシャムロックマラソンを走る。2009年以来5年ぶりの出場。基本的に50州の大会は一度完走すれば「制覇」なので二度目を走ることはないのだが、この大会は運営も良く、季節のイベントとして楽しめるので、機会があればもう一度参加してみたいと思っていた。それがようやく5年越しに実現したのである。

コースは基本的にフラットで記録は出やすい・・・というのが5年前に走った時の印象だったので(フィニッシュタイムは当時の自己ベストから1分44秒落ちの3時間49分06秒)、今回もそのつもりで当然のごとく好タイムを狙っていた。しかもレース当日の気温は8℃。午後3時頃から雨になるという予報はあったものの、レース中は曇り空。これだけを見れば絶好のコンディションのように思われた。

しかし今回は、5年前には姿を見せなかった恐ろしい魔物が現われたのである…

目標はBQ-5に相当する3時間35分。そしてちょうどいい具合に3時間35分のペーサーも用意されている。プラカードを持つのは細身でいかにも速そうな女性ランナー、チャンタル。サブ・ペーサーとしてアイリッシュ・グリーンの衣装に身を包んだダイアン。この2人について行き、終盤で一気に勝負を賭ける、というのが、当初描いていたレースプランだった。

アメリカ国歌斉唱に続いて、午前8時30分ちょうどにスタートの号砲が鳴り、26.2マイルに及ぶ「走るセント・パトリック・パレード」が始まった。

Mile 01: 8分20秒(08分20秒)
Mile 02: 8分21秒(16分41秒)
Mile 03: 8分17秒(24分58秒)
Mile 04: 8分13秒(33分11秒)
Mile 05: 8分32秒(41分43秒)
Mile 06: 8分31秒(50分14秒)

スタート直後はアトランティック・アベニューの31丁目から南に向かうコース。ホテル、レストラン、ギフトショップなどが建ち並ぶ目抜き通りを駆け抜けていく。

まずは当初の予定通り「3:35」のプラカードを持つチャンタルを追う。だが、思いのほかペースが速い。ぴったりついて行こうとすると、かなり無理をしなければならないことがわかったので、少し距離を置いて追いかけることにした。あれはきっと飛ばしすぎだ。ついていったランナーはみんな後半潰れるだろう・・・と思いながら。

1マイルの通過タイム、8分20秒。決して遅すぎず、速すぎもしないペース。2マイル目も同じペースを保ち、ルディ・ブリッジの最初の橋越えを迎えた。このあたりは左右にヨットハーバーが広がる風光明媚な名所でもある。難なく橋を越えて、3マイル目は8分17秒、ヴァージニア水族館の巨大な建物を通り過ぎた4マイル目は8分13秒と順調にペースも上がり、いよいよ追撃体勢が整ってきたかに見えた。

5マイルの表示を過ぎてしばらく行くと、最初の折り返し。ここで「3:35」のプラカードを持って現われたチャンタルとの距離を測る。だいたい30~35秒くらい。調子が出てくれば、十分挽回可能な間隔である。この時点では、当初の目標はまだまだあきらめていなかった。

Mile 07: 8分31秒(58分47秒)
Mile 08: 8分03秒(1時間06分50秒)
Mile 09: 8分12秒(1時間15分02秒)
Mile 10: 8分33秒(1時間23分55秒)
Mile 11: 8分35秒(1時間32分10秒)
Mile 12: 8分44秒(1時間40分54秒)
Mile 13: 8分37秒(1時間49分31秒)
中間地点通過: 1時間50分34秒

7マイルの表示を過ぎるとキャンプ・ペンドルトン海兵基地の敷地内に入る。いつくかの応援ポイントで列を作った若い海兵隊員たちとハイタッチ。元気のいい応援を受ける。気持ちが高揚したせいもあってか、8マイル目のラップタイムは8分03秒に上がった。キャンプの敷地を出てからの9マイル目も、やや上り勾配ながら8分12秒でまとめ、ルディ・ブリッジの2度目の橋越えとなる10マイル目は8分33秒とやや時間がかかったものの、ここまでは想定に近いペースだった。

10マイル地点を過ぎて、第1回目のハニー・スティンガーを補給。いよいよ本格的な追撃開始となる場面を迎えた。コースはここで海岸沿いのボードウォークに出て北へ向かう。5年前に走った時はあまりの気持ち良さに夢見心地になった区間でもあり、一気にペーサーとの差を詰めていく絶好のチャンスとなるはずだった。ところが・・・

ここで思いもかけぬ魔物、恐ろしい向かい風が待ち受けていたのである。

11マイル目。海岸沿いのボードウォークに出た途端、脚がまったく動かなくなってきたことに気づく。道は平坦であるはずなのに、とにかく前に進まない。一気に挽回するはずが、逆に失速の8分35秒。12マイル目はさらに失速して8分44秒。海岸から離れてアトランティック・アベニューに戻れば風の攻撃が終わるかと思いきや、両側にホテルの建ち並ぶビルの谷間で、とんでもない突風に体当たりされた。

反撃のチャンスが粉々に砕かれた状況になり、予想外のビハインド。中間地点での通過タイムは、なんと1時間50分を越えてしまった。ここから先、後半のハーフをイーブンで行ったとしても、3時間40分のBQすら切れないという苦しい展開。

これはヤバい。前回のヒューストンもぎりぎりでBQに届くか届かないかの闘いだったが、今回はそれ以上に絶体絶命のピンチだ。

Mile 14: 8分36秒(1時間58分07秒)
Mile 15: 8分39秒(2時間06分46秒)
Mile 16: 8分40秒(2時間15分26秒)
Mile 17: 8分36秒(2時間24分02秒)
Mile 18: 8分43秒(2時間32分45秒)
Mile 19: 8分46秒(2時間41分31秒)
Mile 20: 9分04秒(2時間50分35秒)

中間地点を過ぎると風は弱まってきたかのように思えたが、肝心の脚がダメである。必死になって前に進もうとしているのに、どうにもスピードが出ない。15マイル地点の手前、67丁目で晩年をヴァージニアビーチで過ごした予言者エドガー・ケイシーの研究所(A.R.E. = Association for Research and Enlightenment)を通過。催眠状態で患者の過去世をたどりながら現在かかえている問題点に回答を与える「リーディング」の数々は、現在でも研究が進められている貴重な資料である。

自分は思わず、エドガー・ケイシーに「こういう時、あなたならどうする?」と尋ねてみた。そんな専門外のことをきかれても困るだろうが、こちらとしては神頼みでも何でもいいから、現在直面している困難な状況を打開したい気持ちだった。

15マイル地点を過ぎて、第2回目のハニー・スティンガーを補給。そして16マイルからは下り勾配の区間ショア・ドライブに入る。今度こそ反撃のチャンスと思い、ピッチをできるだけ上げて疾走する。やがて17マイルの表示を通過。どれだけ挽回しただろうか? 期待を込めて手元の時計を見る。8分36秒。うーん、全然ダメだ。体感ではかなり頑張ったつもりなのに、一向にタイムに反映されない。

18マイル目、8分43秒。19マイル目、8分46秒。

力を抜いているわけではないのに、ラップタイムがどんどん落ちている。20マイル目ではついに9分を越えてしまった。それほど疲れているだろうか? まだまだ元気なつもりなのに、なぜだろう? 終わりなき自問自答のスパイラルに巻き込まれ、解決の糸口も見出せないまま、いよいよ運命のラスト・クウォーターを迎えることになった。

Mile 21: 9分12秒(2時間59分50秒)
Mile 22: 8分50秒(3時間08分40秒)
Mile 23: 8分25秒(3時間17分05秒)
Mile 24: 8分24秒(3時間25分29秒)
Mile 25: 8分31秒(3時間34分00秒)
Mile 26: 8分27秒(3時間42分27秒)

20マイルを過ぎて、第3回目のハニー・スティンガーを補給。もはやBQは絶望的な状況になっていたが、レースを捨てたわけではなかった。この日のレースを走るために、寒い中でも頑張って練習しているし、忙しい中でも走る時間をやりくりしてきたのだ。そういう貴重な努力をムダにするわけにはいかない。結果がどうであろうと、最後まで試合を捨てないというのが、自分のポリシーである。

海に向かうコースに入ったせいか、またもや突風が襲いかかってきた。このあたりは英国からの入植者が最初に上陸した歴史的な地であり、アメリカ国内に現存する最も古い灯台のひとつである「ケープ・ヘンリーの灯台」も21マイル地点にある。そして巨大な灯台の足元を通過する時点で、こともあろうに3時間45分のペーサー、初老のアーロンに追いつかれてしまった。レース前までは想像もできなかった展開。いくらなんでも、こいつには負けるわけにいかない。

ハニー・スティンガーを補給しながら、虎視眈々と反撃のチャンスを待つ。反撃を実現するには、文字通り最後のチャンスだ。ここで失敗すると、このレースは敗北感だけが残ってしまう。

アーロンのすぐ後ろにぴったりと付き、必死に粘る。21マイル目は9分12秒かかってしまったが、22マイル目は少し回復して8分50秒。そして22マイルの表示を通過したのを合図に、思い切ってスパートをかけた!

別人のようなストライドで、アーロンをぶっちぎり、一気に引き離していく!
「出たーっ! 炎の光速ダッシュ!」
実況アナウンサーの興奮した叫び声が聞こえてくるような、鮮やかなギアチェンジ!

ここからはアトランティック・アベニューを南に向かう追い風コース。もう怖いものはない。
4マイル先のゴールに向かって死に物狂いでひた走るだけである。


23マイル目、8分25秒。
ずっと8分30秒を切れない状況が10マイル目から続いていたが、久しぶりに8分20秒台に復活! ようやく光明が見えてきた。
このあたりから、前方にちょうどいいペースで走っているブルーとグレイのウェアで身を包んだ小柄な女の子がいて、ペーサー代わりになってくれたのも見逃せない。


24マイル目、8分24秒。
やや疲れを感じ始めてもいたのだが、このあたりからTomoko姫直伝の必殺技「膝の引きつけ!!」を意識。
これを呪文のように唱えていると、力強いストライドを維持できるようだ。


25マイル目を8分31秒で通過すると、いよいよ26マイル目。
アトランティック・アベニューから海岸沿いのボードウォークへ。そしてボードウォークの遥か彼方に姿を現わした巨大なネプチューン像を目指して、最後の直線を全力疾走していく。

海岸沿いにグリーンと白の旗がはためき、5年ぶりにヴァージニアビーチに帰ってきた大ヒーローを出迎えるような熱い歓声の中、巨大なネプチューン像を通過。そしてグリーンの装束に身を包んだ名物アナウンサー、ボブ・ザ・レプリコーンがヒーローたちの名前を次々と呼び上げるのを聞きながら、波乱に満ちたパレードの終結を告げるグリーンのゴールゲイトに飛び込んだ。

Finish Time 3時間44分08秒(8:33/mile)。

前半ハーフ 1時間50分34秒、後半ハーフ 1時間53分34秒。

前半後半の落差は3分ちょうど。苦しいレース展開を考えれば「よく3分で抑えた」といえるかもしれないが、結果的には、最低ラインの3時間40分も切れず、ヴァージニア州でのBQ達成はお預けとなった。少しでも難しい要素があるとこうなるのだから、やはりBQのレベルは生やさしいものではないということだろう。

冷静に考えれば、強風という魔物が出現しなかったとしても、決して楽なレースではなかったかもしれない。目標としていた3時間35分のペーサーには最初からついていけなかったし、明らかにスピードの絶対値が落ちていると思う。このスピードで走ることのできた2012年10月のミルウォーキーは奇跡のようなレースだったのだ。

BQにこだわり続ける限り、今後もギリギリでスリリングな闘いが続くに違いない。読んでいるほうは面白いかもしれないが、自分としては、もっと余裕でBQを出せるようにならないと、生きた心地がしない。

それには、今後どのようなトレーニングを続けたらいいだろうか?
56歳。アンチエイジングへの暗中模索は続く…

■MEMO■
総合順位 513位/2781人中
男女別順位 390位/1528人中
年代別順位 15位/83人中


★(写真左)おそろいのスパンコールで決めたお二人。
★(写真右)巨大な蝶ネクタイ+シャムロック・ハットのペアルック。

 
★スタート前、ランナーを先導するサイクル部隊と記念撮影。


★(写真左)今年も健在。名物アナウンサー、ボブ・ザ・レプリコーン。
★(写真右)3時間35分のペーサーを勤めたチャンタル(右)とサブ・ペーサーのダイアン(左)。この二人に最後までついていくはずだったが・・・


★ゴール後のイベント会場でふるまわれるラム肉入りのアイリッシュ・シチュー。あまりにも美味しいので何杯もおかわり。

 
★タイトル・スポンサーにもなっているアメリカ最古の地ビール「YUENGLING」(1829年創業)。


★(写真左)おそろいのヘアバンド+レインボーのハイソックスで決めたお二人。
★(写真右)どうやらゴール後に婚約が成立したらしきカップル。


★(写真左)セレブレーション会場のステージで熱唱する女性シンガー。
★(写真右)ステージに見入る、おそろいのビールハットで決めたお二人。

 
★ゴール後にもらえるフィニッシャーズ・タオルのデザインもなかなかいい。

 
★巨大なフィニッシャーズ・メダルとブルックス製のハイテクTシャツ。

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