375's ROAD TO MARATHON HERO/アメリカ50州制覇とボストンへの道

これまでのマラソン完走記を50州のカテゴリーで再編集していきます。

オレゴンの黄色いバラ -2014年ポートランドマラソン-

2014年10月13日 | 【OR】オレゴン州



10月5日(日曜日)、世界最大規模のバラ園とローズ・フェスティバルで知られ、「バラの都」とも呼ばれるオレゴン州ポートランドで開催されたポートランドマラソンに参加する。アメリカ西海岸を代表する大会のひとつであり、全米25州目、通算48回目となるフルマラソン。飛行機での遠征はヒューストン以来9ヶ月ぶりで、今回はサンフランシスコ経由。家からホテルまでの実質所要時間は15時間を越え、さすがに西海岸は遠いなぁとあらためて実感した。

フルマラソンを走るのは今年5回目。1月のヒューストンではBQ(3:38:42)を達成したものの、56歳になってからの3月シャムロック(3:44:08)、4月ボストン(3:46:55)、5月ヴァーモントシティ(3:51:14)はいずれも全盛時の勢いを欠き、BQ3連敗を喫していた。いくら頑張っても結果に反映されないスランプ状態。もともと身体能力に自信があるわけではなく、最近は疲れもなかなか抜けなくなった。これ以上追い込んだとしてもたかが知れている。もし今回もダメで4連敗を喫したら、タイム狙いは引退しようとまで考えていた。いわば背水の陣で臨んだのが今回のレースだったのである。

当日はよく晴れた快適なコンディション。スタート時の気温は14℃、ゴール時で20℃近くまで上がるだろうという予報が出ていた。今回一緒に参加するyu王子とコラルBで落ち合い、一応BQは狙ってみようということで「3:35」のペーサーが見える位置で待機。夜が明けて、陽光が空に広がり始める午前7時、スタートの号砲が鳴った。

Mile 01: 表示見つからず(08分30秒くらい?)
Mile 02: 表示見つからず(17分00秒くらい?)
Mile 03: 表示見つからず(25分30秒くらい?)
Mile 04: 表示ようやく見つかる(34分07秒)
Mile 05: 8分29秒(43分29秒)
Mile 06: 8分32秒(52分01秒)

スタート直後はポートランド・ダウンタウンの中心部を北に向かい、チャイナタウンの門を通過して右折。ウィラメット川沿いの道路を南に向かって一度住宅街に入り、3マイルで北向きに折り返す。4マイルで再び川沿いの道路に出て、そのまま北上していくというコース。

最初は「3:35」のペーサーにできるだけついて行こうとしたが、どう見ても速すぎる。このままでは潰れると思い、無理をせずペースを落とすと、すぐに「3:40」のペーサーにも追い抜かれる。頑張って走っているつもりなのに思ったようにスピードが出ないという最近よく見られる展開で、自分の心に「こんなものだろうな」という弱気な思いが芽生えてきた。3マイル目まで距離表示が見当たらなかったものの、推定ではマイル8分30秒くらい。2~3マイル目がややきつい上りになっていたのも苦しい要因で、このまま行くと、せいぜい3時間45分程度が関の山だろうという予測になった。序盤戦を見る限り、とてもじゃないけどBQは無理と判断せざるを得ないような展開だった。

Mile 07: 7分35秒(58分19秒)
Mile 08: 7分35秒(1時間05分54秒)
Mile 09: 7分55秒(1時間13分49秒)
Mile 10: 8分14秒(1時間22分03秒)
Mile 11: 8分08秒(1時間30分11秒)
Mile 12: 8分00秒(1時間38分11秒)
Mile 13: 7分52秒(1時間46分03秒)
中間地点通過: 1時間46分45秒

序盤の6マイルまで苦しい闘いが続いていたが、7マイル目から突然、マイルペースが7分台に跳ね上がる。「なんだこれは?」と思えるような突然の豹変。それまでに比べるとコースが下り勾配で走りやすくなってきたこともあり、少し強気に突っ込んでみたのだが、やはり心のどこかに「このままでは終われない!」という思いがあったのかもしれない。夏の時期にあれだけ練習してダメなら、本当にダメである。潜在能力は出し切り、これ以上伸びない。マラソンをやめるしかない。そこまで追い詰められていた。しかしそれでも、微かな可能性を捨てきれない気持ちが、どこかにあったのも事実なのである。

転機は8マイル過ぎに訪れた。行く手に折り返しがあって、先行するランナーが次々と姿を現わしてくる。ここはペーサーとの距離を確認するチャンス。やがて「3:40」のペーサーが現われた。ここから自分が折り返し地点まで達する秒数を測ると20秒あったので、ペーサーとは40秒離れていることになる。頑張れば追いつけない距離ではない。ここからは「3:40」との距離を少しでも縮めていくことに意識を集中した。

折り返し後は川沿いの南向きコースとなり、北向きのランナーとすれちがう光景が11マイルまで続く。その後は住宅街に入り、街角を何度も折れ曲がりながら、再び北に向かっていくコースとなる。そのうちに、前方のほうに赤いトカゲの形をしたプラカードが見えるようになってきた。「3:40」との距離が確実に縮まっているのがわかった。大きな看板とか、信号とか、さまざまな目標物を利用して距離を測る。20秒、15秒、10秒と確実に小さくなってくる。そしてついに13マイル地点、「3:40」のプラカードを持つ大柄な男性ランナー、グレッグと並んだ。これだけでも歴史に残るような追跡劇である。

中間地点の通過タイム、1時間46分45秒。「3:40」のペーサーにしては3分以上速い。おそらく後半の難所を考慮に入れてのペース配分なのだろうが、本来「3:40」を目指しているランナーの大多数は、すでに振り落とされているかもしれないと思えるほどのハイペースだった。

Mile 14: 8分17秒(2時間01分31秒)
Mile 15: 8分00秒(2時間10分14秒)
Mile 16: 7分59秒(2時間19分35秒)
Mile 17: 9分11秒(2時間28分46秒)・・・セントジョン・ブリッジ上り
Mile 18: 8分38秒(2時間37分27秒)
Mile 19: 8分05秒(2時間46分16秒)
Mile 20: 8分06秒(2時間55分40秒)

中間地点を過ぎてしばらくの間はグレッグと並走していたが、そのうち体力的にまだまだ余裕がありそうだと感じ始めたので、グレッグに先行し、その差をぐんぐん引き離していった。15マイル目と16マイル目は下り勾配。難所のセントジョン・ブリッジが近づいているので、その前にできるだけタイムを稼いだほうがいいと判断したのである。

そして、このレース最大の山場であるセントジョン・ブリッジの橋越えの場面を迎えた。16マイルの表示を過ぎてから、一気にキツい上り坂になる。周囲を見ると半数以上の人が歩いている。それでも足を止めることなく「ここは勝負どころなので絶対に歩いてはダメだ!」と自分に言い聞かせ、上りきった。9分11秒。さすがにこの1マイルは時間がかかったが、難所らしい難所はこれでおしまいのはず。ウラメット川の対岸に渡ってからは、郊外のアットホームな応援を受けながら、南方向のダウンタウンへ戻っていくコースとなった。

そして橋を越えた直後の18マイル目、信じられないものを見た。最初は幻かと思ったが、間違いではない。なんと遥か遠くのほうに、赤いトカゲの形をしたプラカードが見えている。まさかあれは「3:35」のペーサー? 「3:40」に追いつき、追い抜いただけでも十分すごいのに、ここまで挽回するとは! スタート直後の苦しい展開を思うと、まったく想像できなかった。

今度は「3:35」のペーサーとの距離を測る。目標物を使って測ると、せいぜい20秒くらいの差しかない。15秒、10秒、5秒。測るたびに距離は縮まり、19マイルの表示を過ぎる時点で追いついてしまった。プラカードを持つのはキャサリンという女性ランナー。その美しい華麗なフォームが、黄色いバラのイメージを思い起こさせた。しばらくはキャサリンと並走する形となり、20マイルの表示を越えた。

「3:35」のペースで20マイルを通過するのは、なんと2年前のミルウォーキー以来。
最近は遅いほうの「まさか」を味わうことが圧倒的に多いが、今回は久しぶりに体験する、速いほうの「まさか」となった。

Mile 21: 8分11秒(2時間51分30秒)
Mile 22: 8分28秒(2時間59分58秒)
Mile 23: 8分19秒(3時間08分17秒)
Mile 24: 7分34秒(3時間15分51秒)
Mile 25: 8分59秒(3時間24分50秒)
Mile 26: 8分55秒(3時間33分45秒)

20マイルを過ぎたところで2回目のハニー・スティンガーを補給(ちなみに1回目の補給は10マイル過ぎ)。ラスト・クウォーターに向けての準備を整えた。キャサリンのペースは思ったほど速くないように感じたので、21マイルの下り勾配で思い切って先行してみた。そのままの勢いで22マイル、23マイルを駆け抜ける。そして24マイル目の下り勾配で思い切りスパート。なんと7分34秒という、とんでもないラップを計時する。ここまでは、まさしく不死鳥の舞い! もしかしたら奇蹟のPRもあるか? などと思えるような展開になった。

しかし、さすがに25マイルになると疲れが表面に出てくる。ウィラメット川に架かるブロードウェイ・ブリッジを越え、ダウンタウンに突入する頃には、だいぶ脚にきていた。24マイルから9分近くかかった25マイル目の表示を過ぎて、残りは1マイルちょっと。これもやたらに長い。そしてゴールゲイトの200メートル手前になって、今まで後方にいたはずの黄色いバラ、キャサリンが一気に追い抜いていくのが目に入った。渾身の力をふりしぼって追いかける。命をかけた白熱のデッドヒート! だが、若いキャサリンの脚には追いつけなかった。やはりバネが違う。それでも持てる力をすべて燃焼し、大歓声に沸くゴールゲイトに到達した。

ゴール直後は、あまりの消耗でスタッフに抱きかかえられたものの、やがて自力でゆっくりと歩き出す。フィニッシュ・エリアでは、ボランティアの女の子たちが、オレゴン州名産のバラの花をひとりひとりのランナーに配っていた。女の子の差し出す無数の色の中から、黄色の1輪を選ぶ。そのバラの花には、久しく忘れていた勝利の女神の香りがあった。もう2度と到達することはないだろうと思われた栄光の領域。今、再びそこに足を踏み入れたという奇蹟にも似た達成感が、その香りに宝石のような輝きを与えた。

Finish Time 3時間35分39秒(BQ -4:21)。

自己歴代3位! 
56歳になってからは、フル4戦目で初めてのBQを達成。
しかもBQ-4を上回るのは2012年10月のミルウォーキー以来。
まだ確実ではないものの、2016年(第120回)のボストンマラソン出場に向けて、大きなアドヴァンテージとなった。

これで25州目のフル完走となり、アメリカ50州の半分制覇を達成。
そして通算7州目のBQ制覇となったこのレースは、今後も間違いなく、屈指の名勝負として自分の心の中に語り継がれていくだろう。

■MEMO■
総合順位 578位/6258人中
男女別順位 441位/3059人中
年代別順位 10位/181人中

 
★ポートランド・ダウンタウンの4丁目通りをスタートする。最初に「3:35」のプラカードを持っていたのはグレンという男性ペーサーだった。

 
★途中から「3:35」のプラカードを引き継いだキャサリンと記念の1枚。ほとんど誤差なしの3時間35分でゴールしていた。


★フィニッシュ・エリアでバラの花を配る女の子たち。


★フルの部とハーフの部を合わせると1万本以上のバラが必要。これだけのバラを用意することができるのは「バラの都」ポートランド以外にありえないだろう。


★レース後、ヒルトンホテルのバーでyu王子と祝杯。


★EXPO会場にはポートランド名産の地ビールの試飲コーナーもあった。


★ポートランドマラソンのロゴ入りワイン。オレゴン州はワインの名産地としても知られる。


★バラ園のお土産店に飾られてたローズ・フェスティバルのポスター。ちょうど100年前の1914年から始まっていた。


★バラ園のパンフレット。そしてバラのデザイン入りのおしゃれソックスをゲット。

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新たなるネッシー伝説の始まり -2009年エディンバラマラソン-

2014年07月05日 | 【番外編】欧州の大会



伝説に彩られたネス湖の神秘

マラソン遠征の面白さは、大会そのものを走るという本来の目的に加えて、遠征地の観光を楽しむことができるという点にある。比較的居住地に近いアメリカ東海岸の大会(ボストン、フィラデルフィア、ワシントンDC等々)であれば観光よりもレース中心になるのだが、それより遠方の地域になると訪れる機会も少なくなるので、当然のことながら観光の占める比重が大きくなってくる。これが欧州ともなると、再び訪れる機会はまずないので、完全に観光がメインという形になるのである。

初の欧州遠征で出場したベルリンマラソンがまさにそうだったように、2度目の欧州遠征となったエディンバラマラソンは、完全にスコットランド観光の枠内で計画された大会だった。

音楽史上に残る傑作、メンデルスゾーンの交響曲第3番のタイトルにもなっているスコットランドは、一度は訪問したいと思っていた憧れの地だったが、なかなかチャンスが巡ってこなかった。独身であれば、ある程度の貯金があって会社の休みが取れるならそこでゴーサインを出せばいいが、家族を抱えている場合はタイミングが難しい。単に観光に行くというだけでは、なかなか了解を取れないのが現実である。

ところが「マラソン遠征」という大義名分があれば、だいぶ話が違ってくる。観光ではなく仕事絡みの出張であれば文句が出ないのと同じく、遊びでなく真剣勝負であることを強調すると、突破口を開くことが可能になるのである。

そのようにして壁をクリアし、ついに長年の夢が実現することになった。

旅行に出発したのは2009年5月26日(火曜日)。午後7時50分発のコンティネンタル航空でニューアーク空港を飛び立ち、英国グリニッジ標準時の27日(水曜日)午前7時30分、エディンバラ空港に到着。エアリンクのシャトルバスを利用し、30分ほどでエディンバラ市内中心部のウェイバリー駅に降り立った。

この時の旅のルートは、まずここからネス湖観光の拠点インヴァネスに行って2泊し、その後エディンバラに戻って3泊するというもの。まずは11時35分発インヴァネス行きの電車に乗り、美しい田園地帯の景色を楽しみながら、3時間40分ほどでインヴァネスに到着する。すでに午後3時を回っていたので、この日は市内を散策し、翌朝のバスでネス湖に向かった。

5月28日(木曜日)、その日は生まれて始めて、あの有名なネス湖を拝む日となった。インヴァネスのバス・ターミナルを9時30分に出発するフォート・オーガスタ行きに乗ると、市街地を抜けて5分もたたないうちに、左手に緑の森と濃紺色の湖が見えてくる。そして10分ほどで、最初の目的地アーカート城のバス亭に到着し、まずはヴィジターセンターを訪問。

地下への階段を降りて行くと、アーカート城にまつわる展示物とショップがあり、奥のミニシアターではイントロダクションのビデオを上映している。このヴィジターセンターを抜けると、1230年に構築され、その後度重なる戦争によって廃墟となったアーカート城と、ネッシー伝説ですっかり観光名所となったネス湖の絶景が眼前に広がる。

どんよりとした曇り空。いかにも不気味で神秘的な雰囲気に満ちていたので、あるいは伝説のネッシーが姿を現わすのではないかと思い、城内の見晴台から目を凝らして湖面を観察した。何かが動いたような気がしたが、どうやらふつうの魚のようだった。最新のハイテク器具を備えたネッシー・ハンターらしき船も湖上に出ていたが、怪物は最後まで姿を現わさなかった。やはり、簡単には尻尾を出さないものである。

アーカート城でたっぷりとネス湖の神秘を味わった後は、そこから歩いて40分ほどに位置するドロムナドロケット村に向かった。ここには紀元6世紀から昨今に至るまでのネッシーの目撃写真や研究資料などを展示しているネス湖モンスター・ヴィジターセンターと、最新のテクノロジーを駆使した5つのシアターで、ネッシーの謎に迫るドキュメンタリー映像を見ることができるネス湖エキシビジョン・センターという2つのアトラクションがある。

翌29日(金曜日)は、インヴァネスを朝7時50分発の電車で出発し、11時過ぎにエディンバラ到着。インヴァネス滞在時は、どちらかといえば曇りモードの涼しい気候だったが、エディンバラに着いてからは、ほぼ快晴。最高気温も22℃を越え、絶好の観光日和が続いた。

最初に訪れたのは、生きているうちに一度は見ておきたいと思っていたエディンバラ城。スコットランドを代表するランドマークであるばかりでなく、世界でも指折りの名所。このエディンバラ城を含め、中世以来の歴史を誇るエディンバラの旧市街全域、そして19世紀の都市計画によって建設された新市街全域がユネスコの世界遺産に指定されている。まさに街全体が文化遺産そのもの、という究極の観光地である。

エディンバラ城から東に向かって伸びる石畳の道は、ロイヤル・マイルと呼ばれる。その名の通り長さ1マイルの目抜き通りで、世界中からの観光客で賑わっている。

翌5月30日(土曜日)は、午前中に所定の場所でマラソンのゼッケンを受け取る(EXPOと呼べるほどの大規模なイベントはない)。そのあとは、新市街の東側にある小高い丘、カールトン・ヒルの頂上で、エディンバラ市街から遠く北海に至るまでの絶景を楽しみ、お昼過ぎからは、何の予告もなく始まったロイヤル・マイルのパレードを見物したり、「ハリー・ポッター・シリーズ」で知られる作家J.K.ローリングスの通っていたエレファント・カフェなど、英国文学ゆかりの地を訪問しながら充実した時間を過ごした。

そしていよいよ5月31日(日曜日)、英国スコットランドの首都を舞台に開催される世紀の大レース、エディンバラマラソンの幕が切って落とされるのである。



新たなるネッシー伝説の始まり

天気は抜けるような快晴。スコットランドといえば不順で変わりやすい気候を連想されるが、その常識を覆すかのように、この週末はあまりにもよく晴れ渡った。観光には最高だが、マラソンにはちょっと暑すぎるほど。予想最高気温の22℃を明らかに上回る体感温度の中、給水所が来るたびに水で体をアイシングして走り続けなければならなかった。

午前9時、見晴らしの良い眺望で知られるカールトン・ヒルの南側に沿った道路をスタートする。ここからロイヤル・マイルの東端に位置するホリルード公園をぐるっと周回するコースになり、スコットランド訪問時にはエリザベス女王も滞在するホリルードハウス宮殿の正門前が1マイル地点となる。欧州本土とは違い、英国はアメリカと同じくマイル表示が基本なので、アメリカを主戦場とするランナーにとっては好都合だ。

エディンバラは起伏の多い街であり、昔ながらの石畳の道も多いので、マラソンで街中を走るには適さない。エディンバラマラソンのコースでエディンバラ市内を走るのは最初の4マイルのみで、その後は北海のフォース湾沿岸に舞台を移すことになる。

Mile 01: 7分57秒(07分57秒)
Mile 02: 8分18秒(16分15秒)
Mile 03: 8分18秒(24分33秒)
Mile 04: 8分35秒(33分08秒)
Mile 05: 8分40秒(41分48秒)
Mile 06: 8分37秒(50分25秒)

最初の3マイルは下り基調の影響もあり、やや速すぎるくらいの滑り出し。序盤戦はできるだけ抑えるつもりでいたのだが、思った以上にエキサイトしていたのかもしれない。左手にフォース湾沿岸の風光明媚な景色を臨む4マイル以降は、勾配もなくほとんど平坦なコースとなり、マイル8分30秒前後を目安にペースを刻んでいく。

Mile 07: 8分35秒(59分00秒)
Mile 08: 8分39秒(1時間07分39秒)
Mile 09: 8分40秒(1時間16分19秒)
Mile 10: 8分56秒(1時間25分15秒)
Mile 11: 8分51秒(1時間34分06秒)
Mile 12: 8分04秒(1時間42分09秒)
Mile 13: 8分39秒(1時間50分48秒)
中間地点通過 1時間51分49秒

9マイル目で、エディンバラの隣り町マセルバラにあるマセルバラ競馬場の前を通過。ここからは海岸沿いの道路を18マイル地点まで走り、ほぼ同じ道を折り返すコースとなるのだが、これが想像以上に長い旅路となった。

ところどころに日陰はあるものの、ほとんどが直射日光を浴びながら走ることになるので、体力の消耗が予想以上に早い。汗の吹き出るような暑さは半端ではなく、じりじりと日焼けが進んでいくのがわかる。どうにかマイル8分40秒以下のペースを刻むことができたのは9マイルまで。ここからあとは8分50秒台に落ちてしまった。

それでも12~13マイル目でいったん挽回し、中間地点を通過する時点では1時間51分台を維持。4週間前にはオハイオ州の飛ぶ豚マラソンで自己ベストを更新していたこともあり、決して調子は悪くなかったし、ある程度の暑さなら乗り切れるのではないかという甘い期待があったのは確かである。

Mile 14: 8分40秒(1時間59分28秒)
Mile 15: 8分53秒(2時間08分21秒)
Mile 16: 9分05秒(2時間17分26秒) 
Mile 17: 8分54秒(2時間26分20秒)
Mile 18: 9分59秒(2時間36分19秒)
Mile 19: 8分58秒(2時間45分17秒)
Mile 20: 9分08秒(2時間54分26秒)

しかし、15マイル以降になると、それまでのペースを維持するのはかなり厳しくなってきた。この時点での体感温度は摂氏20度台後半。とてもじゃないが、マラソンでベスト・パフォーマンスを望める状況ではない。やむなく当初の目標をやや下方修正し、マイル9分前後を許容範囲に、エネルギーの温存を最優先するという戦法に切り替えた。

体力がさらに落ちてきたのは、17マイルを過ぎてから。ここから18マイルの表示が見えてくるまでが異様に長かった。実際、距離表示がずれているようにも感じるほど。ちょうどこのあたりは、応援する人もほとんどなく、樹木の生い茂ったトレイルにさしかかる区域。日陰が多いこともあって、あえて疲労回復に重点を置いたせいもあるかもしれない。

18マイルで折り返しとなり、ここからは北海沿岸を右手に臨むコースとなる。すでにまともなタイムを狙えるような余力はなかったので、せめて4時間以内で完走することを目標に、沿岸の景色や応援風景を楽しむことに専念した。コース沿いに倒れている人や脚を攣っている人もちらほら見かけたので、無理は禁物と判断したのである。

脚が攣るといえば、それを防ぐには適度な塩分補給が不可欠なのだが、この大会はその点にやや問題があったかもしれない。給水所に置いてあるのはゲータレードなどのスポーツドリンクではなく、なんとオレンジジュースだったのである。それも紙コップではなくペットボトルに入れてあるので、いつものように飲み捨てができず、手に持って走らなければならない。現在はどうなっているのかわからないが、その点は大会運営上の不可思議な部分だった。

Mile 21: 9分55秒(3時間04分21秒)
Mile 22: 9分55秒(3時間14分16秒)
Mile 23: 9分31秒(3時間23分47秒)
Mile 24: 10分30秒(3時間34分17秒) 
Mile 25: 10分16秒(3時間44分33秒)
Mile 26: 9分08秒(3時間53分41秒)

残り6マイルのラスト・クウォーターになると、体力レベルはさらに低下し、マイル10分前後のペースを維持するのが精一杯となった。気温も一段とヒートアップしてきたせいか、時おり眩暈が襲うようになる。おそらくこの時は、軽い熱中症になりかけていたかもしれない。風光明媚なはずの北海沿岸の景色も、まるで霧で覆われたように白一色だった。

すると、21マイルの表示を過ぎたあたりだろうか…
長い折り返しコースの遥か彼方に、何やら得体の知れない物体が見え隠れしたような気がした。

人の形とは違う。それよりもずっと大きい。最初は蜃気楼かと思ったが、近づいてくるにつれて、まごうかたなき現実のオブジェであると悟った。その姿は、途方もなく巨大な怪物のようだ。

怪物? まさか…

打ち捨てられた中世の古城の見晴台から、神秘的なネス湖の湖面を見下ろしていたのは、わずか3日前。あの時、ついに最後まで姿を現わすことはなかった伝説の怪物と、こんなところで遭遇するとは誰が想像し得たであろうか。しかし「まさか」は現実に起きていた。今、怪物は恐るべき全貌を現わし、目にも止まらぬスピードで自分の左側をすれ違ったのである!

「ネッシーだ!」
あまりの衝撃に、われ知らず叫び声を発した。
何の予告もなく、突然、歴史の舞台裏から飛び出してきた伝説の主役。

しかし、その登場時間は短かかった。怪物は一瞬のうちに後方へ去り、やがて白昼夢の中へ姿を消す。
あとには何ごともなかったかのように、黙々と走り続けるランナーたちの姿が残るのみ。

あまりの暑さで幻を見たのだろうか?
いや、決してそうではない。極度の疲労で朦朧としていたかもしれないが、視覚そのものは正常だったはず。間違いはない。おそらくマラソン史上初めて、レース中に伝説の怪物ネッシーを目撃するという大事件に遭遇したのである。

ここで自分が考えたことは一つ。目撃談だけで終わらせてはいけない。やはり証拠として写真を残しておく必要がある。写真撮影に成功してこそ、後世に語り継ぐ伝説が、より信憑性のある出来事として確固たる評価を得るのである。

24マイルから25マイルまでは疲労の極致に達していたが、オレンジジュースをがぶ飲みした効果もあって、最後の1マイルは少しだけ回復。いよいよクライマックスのマセルバラ競馬場に突入する。いつもは競走馬が走る芝生の上に敷かれた、人間用の仮設コースを走るのだが、足を踏み出すごとに奇妙な上下動があり、なんとなくふわふわした感じがする。場内アナウンスとスタンドの大観衆の声援がものすごく、ゴールの瞬間は思わず胸が熱くなるような感動に満たされた。

Finish Time 3時間55分44秒(8:59/mile)。

夏場を思わせる命からがらの耐久レースとなったが、後半のペースダウンにもかかわらず、どうにか3時間台を確保。通算16回目のフルマラソンで10度目のサブ4を達成した。

ゴール後は、水とオレンジジュースとバナナのリフレッシュメント。給水所で見かけなかったスポーツドリンクは、ゴール後も出てこなかった。おそらくゲータレードがポピュラーなのはアメリカだけの話なのだろう。その代わり、フィニッシュ会場には気の効いたカフェやバーもあり、有料ではあるが、いろいろな種類のビールを飲むこともできた。

さて、ひと休みした後は、スタンドの観客にまじって、続々とゴールに向かってくるランナーたちを応援。最大の目的は言うまでもなく、ネッシーの写真撮影である。

ネッシーとすれ違ったのは折り返し後の21マイルを過ぎたあたり。スタートから3時間を経過していた。この時点でネッシーは15マイル付近に位置していたことになるので、おそらく5時間20分くらいでゴールに姿を現わすだろうと計算できる。そして、ほとんどその通りのタイミングで伝説の怪物が姿を見せた!

周囲のランナーたちはネッシーの存在にまるで気づいていないか、あるいは気づいていても無関心な様子だった。一方、スタンドの大観衆の興奮は極度に高まる。まさに怒涛のような大歓声。カメラを持つ手も緊張に震える。おそらく一生のうちに二度とないであろう絶好のシャッター・チャンスを逃すことなく1枚。そしてもう1枚…
こうして、ついに歴史的瞬間をものにしたのである。

2009年5月31日。
新たなるネッシー伝説の始まり。
この日の出来事は、市民ランナー史上に残る奇跡的な事件として、子孫代々語り継がれることになるだろう。

■MEMO■

総合順位 2209位/8247人中
男女別順位 1878位/5567人中
年代別順位 118位/357人中(AGE 50-54)


★スタート地点では青と白のペイントを塗った女子スタッフが、巨大なスコットランド国旗をはためかせていた。

 
★眺望のいいカールトン・ヒルのスタート会場にて。ピンク色のゼッケンは目標タイム「3時間15分~3時間44分」を表わしていた。


★マセルバラ競馬場のスタンドから、ゴールに向かうランナーを応援。5時間20分過ぎのタイミングで、あのネッシーも姿を現わす。


★ついに姿を現わした伝説の怪物ネッシー。どうやら4人一組のグループのようだった。


★ゴールに向かって最後の追い込みをかけるネッシー。デジタル時計は5時間25分28分を表示。


★ゴール近くで応援のダンスを演じるお姉様たち。後方には大会スポンサー、アシックスの巨大なシューズとネッシーの姿も見える。


★スコットランドのランドマーク、エディンバラ城がデザインされた完走メダル。


★キャッスル・ロックの頂上に建つ、エディンバラ城の全景。このキャッスル・ロックは古代から「ディン・エイデン(丘の上の要塞)」と呼ばれ、それが「エディンバラ」の語源となった。


★エディンバラ城の入口、堀に架けられた橋を背景にして記念撮影。おそらく今後二度とできないであろう記念碑的な旅となった。

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皇帝3連覇の舞台裏にて -2008年ベルリンマラソン-

2014年06月29日 | 【番外編】欧州の大会



世界を代表する5大ワールドメジャー(当時)のひとつ、ベルリンマラソンはマラソンを始めた当初からいつかは出たいと夢見ていた大会だったが、チャンスは意外に早く巡ってきた。そのきっかけは2008年4月頃に届いた一通のメール。送り主は以前同じ職場で仕事をしたことのある旧友・きぬよ姫だった。その文面は今となっては詳しく憶えていないが「ちょうど語学留学でベルリンに来ているので、もし来られるならお待ちしてます」という内容だったと思う。

「ベルリンといえば…」とすぐにオフィシャルサイトで確認すると、まだエントリーに間に合いそうである。その当時は、ワールドメジャーの大会の中でシカゴとベルリンは先着順で申し込めた時代であり、それも募集開始から定員に達するまで数ヶ月間の余裕があった。

この時「今年がチャンスだ」と直感し、早速エントリーを完了する。費用は55ユーロ。ベルリンまでの往復航空券も比較的安い価格で購入できたので、意外なほどスムーズに参加を決めることができた。その後、現地のきぬよ姫と何度か連絡を取り合い、観光案内まで引き受けてくれることになったのである。

ベルリン到着は9月26日(金曜日)の朝。ニューアーク空港発のコンティネンタル航空直行便で6時間、生まれて初めてドイツの土を踏む。宿泊先は旧東ベルリンのアレキサンダー広場に面したホテル。その日は地下鉄Uバーンの路線図を頼りにEXPO会場に出かけ、ゼッケンをピックアップ。翌27日(土曜日)の丸1日をかけて、きぬよ姫の案内でベルリン観光を楽しんだ。そして28日(日曜日)の早朝、激動の大都市ベルリンの中央公園として知られるティーアガルテンのスタート会場に到着する。

ニューヨークシティマラソンに続く、ワールドメジャーの2レース目、ベルリンマラソン。夢にまで見た欧州のレース。走暦5年目で通算11本目のフルマラソンとなった。

スタート時の気候は、摂氏10度で快晴という絶好のコンディション。時差6時間の影響と極度の興奮からか、前夜はほとんど眠れなかったものの、体調に問題があるほどではなく、レース会場に到着してからは、気分はますます高揚し、歴史的な舞台に立てる喜びに浸っていた。

荷物を預け、鬱蒼とした森の迷路を抜けてスタート・コラルに到着すると、すでにスタート10分前。ちょうど招待選手を紹介するアナウンスが聞こえてきたところだった。地元ドイツ期待のイリーナ・ミキテンコ選手、前年打ち立てた世界記録の更新を狙うハイレ・ゲブレセラシエ選手の名前が呼び上げられると、ひときわ大きな歓声が巻き起こった。

そしてスタートの号砲。選手たちが手にしていた黄色い風船がいっせいに放たれると、群衆の列がゆっくりと前のほうに移動していく。フルマラソンの参加者3万5千人以上。すごい人数だ。数分後、ようやくスタートラインを越え、まずは6月17日通りを西に向かって走り出す。青空を突き抜けるようにそびえる戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)を過ぎたところが1㎞地点。エルンスト・ルーター広場に突き当たったところで左に折れ、アルト・モアビット通りに出てからは市街の北側を東に向かう進路となる。

路上で小旗を振るおびただしい応援団。隣国デンマークの国旗が目立つ。周囲にも、赤と白のデンマーク国旗をモチーフにしたウェアのランナーがたくさん走っており、かなりの数の選手団を送り込んでいることが容易にうかがえる。

ベルリン中央駅近くで5㎞の表示を通過。ここまで、27分ちょうど。

アメリカ国内の大会の場合はマイル表示なので、当然いつものペース感覚は1マイルごとの走行時間が基本になっている。ところが欧州ではkm表示になるので、その感覚を1kmごとの走行時間に換算し直さなければならないのだが、これがどうもピンと来ない。1マイルごとであれば26マイルまでカウントすれば済むが、1kmごとの場合は42kmまであるので、どうしても細かくなりすぎてしまう。当時はそこまで緻密なペース配分を考えていなかったので、この大会ではざっくりと、5kmごとのラップで走ってみることにしたのである。

スタート直後はやや脚が重く感じられ、調子も出ないように思われたが、まだほんの序盤戦。ここから体を温めながら、少しづつペースを上げていけばいい。

やがてコースは旧東ベルリンのミッテ地区に入り、宿泊ホテルのあるアレキサンダー広場の北方付近にさしかかる。このあたりが10㎞地点で、5㎞からのラップタイムは26分32秒に上昇。いい感じになってきた。

11㎞から17㎞くらいまでは、ベルリン市街地の南東部に向かうコース。途中でシュプレー川の橋越えもあるが、ほとんど気づかない程度のアップダウンで、ペースには影響がない。17㎞以降は東に折れ、ポツダム通り近くの中間地点に向かう。

このあたりの区間で、ようやく脚が軽くなり、待望のランナーズ・ハイに突入。
5㎞ごとのラップが26分を切れるようになってきた。

00km-05km 27分00秒(27分00秒)
05km-10km 26分32秒(53分32秒)
10km-15km 25分53秒(1時間19分25秒)
15km-20km 25分51秒(1時間45分16秒)

前半ハーフの通過タイムは1時間50分57秒。自己ベストを出した5月のニュージャージーマラソンでは、ハーフを1時間49分台で通過しているので、それよりは遅いが、とりあえず想定内のペース。このまま順調に行けば、悪くとも3時間40分台が確保できる見通しが立ってきた。

中間地点から30㎞まではヴィルマーズドルフ地区を南西から西の方向に進むコースとなる。沿道からの声援は相変わらず鳴りやまない。ベルリンの街自体が途方もなく大きいので、フルマラソンの周回コースが、まるごと収まってしまう。なにしろ東京23区の1.5倍の面積があるというのだから、驚きだ。

ベルリンマラソンは高速コースとして知られるが、なるほど記録の出やすい条件はそろっている。ペースを乱されるような起伏もなく、直射日光を遮る建物が多いので、体力を消耗することも少ない。木陰に入ると涼しい風が吹き、適度な体温を保つコンディションに恵まれている。

それに、街をあげての大応援。記録を狙うシリアスランナーばかりではなく、お祭りランの名物、仮装ランナーも多い。すぐ左手を、裸同然のフラダンス・ランナー(たぶん男性)が追い抜いて行くと、ひときわ大きな歓声が盛り上がった。

さらに、22kmから23kmの中間あたりを走っている頃だろうか、視界から見えないブランデンブルグ門の近くで、とんでもないドラマが実現していた。なんと、この大会で3連覇を狙っていた全盛時代の皇帝ハイレ・ゲブレセラシエが、前年打ち立てたばかりの世界新記録(2時間04分26秒)をさらに上回る2時間03分59秒の驚異的なタイムでゴールしたのである。

皇帝に限らず、世界のトップ選手はあまりにも速い。当然ながら、一般の市民ランナーが猛練習をすれば追いつけるようなレベルではなく、生まれながらのDNAそのものに「神の恩寵」と呼ばれるべき要素が刻み込まれているのは明白だ。だからこそ、そのような特別な人間は国家の期待を背負い、命を削るような闘いを強いられる。まさに、選ばれた者のみが持つ宿命である。

ある意味、そんな宿命と無縁な立場にいられるのは、凡才ならではの特権かもしれない。どちらがいいかは、考え方次第だろう。

中間地点を過ぎると、ランナーズハイにはやや陰りが見えてきたが、それでも25㎞あたりまでは悪くないペースを維持していた。

20km-25km  26分37秒(2時間11分53秒)
25km-30km  27分16秒(2時間39分09秒)
30km-35km  28分11秒(3時間07分20秒)
35km-40km  29分06秒(3時間36分26秒)

27㎞地点にさしかかったあたりで、一度脚にきてペースが落ちる。走暦5年目くらいまでは、17マイルを過ぎて18マイル目になると失速するというのがお決まりのパターンだった。決して飛ばしすぎというのではなく、基礎体力がその程度なのである。現在でもその日のコンディションによっては18マイルあたりが大きな壁になることもある。この最初の試練は用意していたパワージェルを摂取することで、とりあえず乗り越えることができた。

30㎞以降は、北東の進路を取って市内中央部に戻ってくるコースとなり、レースも佳境を迎える。27㎞あたりから疲れの見えた脚はいったん回復したものの、33㎞あたりから2度目の試練を迎えた。それもどうにか乗り越えると、35㎞でカイザー・ヴィルヘルム教会のモニュメントを通過し、38㎞では、今でも「ベルリンの壁」の一部が保存されているポツダム広場を通過。40㎞地点を過ぎると、いよいよ最後のクライマックス、ウンターデン・リンデンの大通りを東に向かう直線コースに突入する。

現実の場面では、ずっしり重くなった脚を必死に進めていく闘いになっていたが、気持ちの上では猛烈なラスト・スパートをかけていた。大応援は最後まで鳴りやむことはなかったし、目にするチアガールがすべて美人揃いというのもドイツならではかもしれない。そして絶え間なく鳴り響くドラムの音。それらの相乗効果が精一杯の粘りを生み、途中で歩くこともなく、最小限のペースダウンに抑えていく。

そして最後の直線コース。名門フンボルト大学と啓蒙君主で知られるフリードリッヒ2世の銅像を右手に見て、巨大な統一ベルリンの象徴ブランデンブルク門を通過する。そして耳をつんざくような大歓声の中、ついに一度も立ち止まることなく感動のゴールに到達!

「Congratulation!」
思わず、隣りを走っていた男性ランナーと祝福の声をかけ合った。

Finish Time 3時間48分49秒

5月に走ったニュージャージーマラソンの自己ベストに33秒及ばなかったものの、3時間48分台を確保。
結果だけを見れば自己歴代2位だが、後半ハーフに関しては、ここまでの11回のフルマラソンの中で最も良いタイムで走っており(1時間57分52秒)、内容的にはベストレースと言ってもいい手ごたえだった。

街の中心部をスタートし、一度も郊外に出ることなく、再び街の中心部に戻ってくる周回コース。最後まで鳴りやまない大応援と、怒涛のように突き進むランナーたち。

さすがに世界5大メジャーのひとつになるだけのことはある、スケールの大きい大会だった。
おそらく一生に一度限りの思い出として封印しておくことになるだろうが、こういう素晴らしい体験ができるのは、まさにランナー冥利に尽きると言えるだろう。

■MEMO■

総合順位 12321位/35746人中
男女別順位 11240位/28340人中
年代別順位 1113位/3300人中(AGE 50-54)


★天下のアディダスが支配する大帝国「WORLD OF RUNNING」。ここがゼッケン受け取り会場になっている。


★留学中の旧友・きぬよ姫の案内で、千歳一隅のベルリン観光が実現。


★ベルリン市内の名所、ハッケシャー・ホーフにて。「ホーフ」とは、建物の中庭に面した1階部分に、ショップやカフェ、ギャラリーなどが集まっている施設のこと。このハッケシャー・ホーフは、ベルリンで最も有名なホーフで、いつも多くの観光客で賑わっている。


★夜はドイツ料理店で、翌日のマラソンに向けての前夜祭。たとえレース前でも、ここはドイツの慣例に従って、ビールで乾杯だ。


★余裕を持って早めに荷物を預けたつもりだったが、森の迷路を抜けるまで意外に時間がかかる。


★ようやくスタート・コラルにたどり着いた時には、すでにおびただしいランナーであふれていた。


★スタートの号砲が鳴ると、選手たちの持っていた黄色い風船がいっせいに空へ放たれる。


★ゴール後、最初のリフレッシュメントは、美人ボランティアたちがふるまうレッドブル。


★2つ目のリフレッシュメントは飲み放題のベルリンビール。現在はノン・アルコール(?)になっているという話も聞くが、自分の記憶では間違いなく本物の味だった。


★ドイツ連邦議会議事堂前の広場でくつろぐランナーたち。レース後ものんびりできるスペースがたくさんあるのも、この大会の魅力だ。


★2時間03分59秒の世界新記録で3連覇を達成したハイレ・ゲブレセラシエ選手(当時のテレビ画像より)。


★シンプルだが風格ある完走メダルと、フィニッシャーズTシャツ。

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果敢に砕け散ったロッキーの夢 -2009年フィラデルフィアマラソン-

2014年06月23日 | 【PA】ペンシルバニア州

2009年は春のフル(シンシナティ・飛ぶ豚マラソン)と秋のフル(シカゴマラソン)で両方自己ベストを更新するという飛躍の年だった。
この「春・秋のフルでダブルPR」というのは、2004年に始まる長いマラソン暦の中で2008年(50歳)、2009年(51歳)、2012年(54歳)の3回しか経験していないので、自分にとっては目覚しい成長期のひとつだったということになる。そして2009年に関しては、シカゴの翌月に参加したフィラデルフィアでも、さらなる自己ベスト更新を狙っていたのだった。

通算20回目(米国8州目)のフルとなったフィラデルフィアマラソンは、現在のところ2009年が唯一の出場となっている。
フィラデルフィアといえば、毎年9月に開催されるフィラデルフィア・ディスタンス・ラン・ハーフマラソン(現在はロックンロール・シリーズの傘下)のほうが世界的にメジャーな大会で、あのQちゃんが2年連続で参加したこともあった。自分も2006年と2007年に参加してから、2年の空白を経て、ロックンロール・フィラデルフィア・ハーフマラソンと名称変更した2010年以降に関しては、毎年欠かせないハーフの本命レースとして出場を続けている。

それに比べると、11月のフルの大会は歴史も浅く、やや地味な雰囲気もあって、同じ11月に開催されるニューヨークシティマラソンの影に隠れがちだ。そういうわけで、なかなか積極的に参加する気持ちになれなかったのだが、2009年に限っては、飛ぶ豚マラソンに参加した5月の時点でラン友のトモコ姫がフィラデルフィア参戦の意思を表明していたので、自分も出てみようと思ったのである。

日程は11月22日(日曜日)。その3週間前がニューヨークシティマラソンだったので、この時はニューヨークを調整レースに位置づけ、フィラデルフィアマラソンを10月のシカゴマラソンに続く本命レースとして勝負を挑むことになった。そして狙い通り、この時期としては温暖な好天気に恵まれ、快適なマラソン日和のコンディションになったのである。

ニューヨークからバスに乗り、フィラデルフィアに到着したのは前日の午後。EXPO会場でアームウォーマーを新調してから、宿泊先のマリオットホテルのロビーで今回初めて同じレースを走ることになるミホ姫と待ち合わせ、一緒に夕食会場のレストランに向かった。そこには遠征仲間も含め、総勢12名ものマラソン中毒患者たちが集まっていた。主な顔ぶれとしては、お馴染みのトモコ姫とその友人の「ま」姫、地元フィラデルフィア在住のじょうちゃん姫、そしてこの時が初対面だったMSMC王子、どららの相方王子である(どうしても12名全員は思い出せないのだが・・・)。

さて、こうして迎えた当日のレース。この時はシカゴで味をしめた積極果敢な攻めのレース展開をさらに発展させようと意識していたので、最初からハイペースで飛ばしていった。

Mile 01: 8分16秒(08分16秒)
Mile 02: 8分08秒(16分24秒)
Mile 03: 7分58秒(24分22秒)
Mile 04: 8分21秒(32分43秒)
Mile 05: 8分19秒(41分02秒)
Mile 06: 8分19秒(49分21秒)

ここまでの序盤戦は、シカゴマラソンに比べて1分30秒も速い。フィラデルフィア美術館前を市街地に向かってスタート後、デラウェア川にたどり着く手前から何度か左折右折を繰り返し、自由の鐘で有名な独立記念館の近くを通過するまでが5マイル。ここからチェスナット通りの商店街をまっすぐ西へ向かうコースとなり、7マイルまでは比較的平坦な道が続いた。

Mile 07: 8分09秒(57分30秒)
Mile 08: 8分33秒(1時間06分03秒)
Mile 09: 7分52秒(1時間13分55秒)
Mile 10: 8分21秒(1時間22分16秒)
Mile 11: 8分10秒(1時間30分26秒)
Mile 12: 8分11秒(1時間38分37秒)
Mile 13: 8分25秒(1時間47分02秒)

7マイルの表示を過ぎると、ペンシルバニア大学の近くを通過。学生たちの盛大な声援の中を走る。スタート直後から「ま」姫が執拗なストーカー走法でぴったり後ろについてきているのがわかったので、追いかけやすいように、なるべくイーブンペースを維持するように努めた。

8マイル近くで大きな上り坂が現われる。フィラデルフィアのコースは「Fast & Flat」の宣伝文句とは裏腹に、決して平坦ではないと聞いていたので、いよいよ来たかという感じ。多少スピードをゆるめて上りきった後、9マイル目はかなり大きな下り坂。ここは思い切ってダッシュしたので、さしもの「ま」姫の姿も遠ざかっていった。

「ま」姫を振り切ったあとは、しばらく一人旅が続いたが、やがて、途中トイレ休憩を入れたミホ姫が追いついてきて、しばしのあいだ話をしながら並走する。やがて10マイル地点を通過。この時点で、予想以上のハイペースを刻んでいることに気づく。ハーフの通過タイムは、手元の時計では先月のシカゴを2分上回る1時間47分台。このままイーブンで行けば、ボストン・クォリファイも夢ではないような、恐ろしいタイムを狙える展開となってきた。

Mile 14: 8分12秒 (1時間55分14秒)
Mile 15: 8分06秒 (2時間03分20秒)
Mile 16: 8分27秒 (2時間11分47秒) 
Mile 17: 8分21秒 (2時間20分08秒)
Mile 18: 8分25秒 (2時間28分33秒)
Mile 19: 8分40秒 (2時間37分13秒)
Mile 20: 8分51秒 (2時間46分04秒)

序盤からのロングスパートとしては、ややスピード超過気味なのは百も承知だったが、シカゴで成功した先行逃げ切り作戦が記憶に新しかった影響もあり、早いラウンドでのノックアウト勝ちを狙っていた面もあった。これこそ映画『ロッキー』の舞台になった街フィラデルフィアにふさわしい戦法だと思われたのである。

しかし、中間地点を過ぎてからの区域に待ち受けていたのは、郊外の長~い折り返しコース。応援がないわけではないが、市街地に比べるとだいぶまばらになり、しかも川沿いのやや単調な一本道が延々と続くので、精神的にキツい面もあった。

それに加えて案の定、18マイルを過ぎると飛ばしすぎの影響が出てきた。ゆるやかではあるが断続的な起伏がボディ・ブローとなり、ちょっと脚に来てしまった。1マイルあたりのペースも8分40~50秒台に落ちてくる。ここからはGU(エナジー・ジェル)を補給しながら必死にエネルギーの回復を図る闘いとなった。

Mile 21: 8分42秒 (2時間54分46秒)
Mile 22: 8分49秒 (3時間03分35秒)
Mile 23: 9分11秒 (3時間12分46秒)
Mile 24: 9分10秒 (3時間21分56秒) 
Mile 25: 9分13秒 (3時間31分09秒)
Mile 26: 表示なし  (3時間40分20秒くらい?)

22マイルを過ぎると、さらに一段階ペースが落ち、マイル9分をオーバーする。一時はシカゴマラソンのタイムを2分以上引き離していたのに、24マイルで追いつかれてしまった。こうなると、ほぼ自己ベスト更新の望みはなくなってくる。それでも、できるだけ失速を最小限に抑えるべく、気持ちを切らさないように懸命に走った。

そして、残り1マイルを切ったところで、不可思議な出来事に遭遇した。突然、何者かが自分のすぐ右側を通り過ぎたのである。それはよく見ると、昔テレビでやっていた人気アニメ『ハクション大魔王』に登場する人気キャラクター、あくび姫によく似ていた。

もちろん、アニメのあくび姫がそのまま出てきたわけではない。あくび姫にあまりにも瓜二つなので、そういうニックネームで呼んでいたラン友だったのである。しかし、いつもは3時間20分以内で走る俊足ランナーだったので、自分より後ろにいたのが信じられなかった。もしかしたら、この時は故障あがりだったのかもしれない。

そのあくび姫が自分を追い抜きながら、振り向きざまに「あと少しだから頑張って~!」と激励し、軽快に走り去って行った。きっと後ろから見ると、よほど苦しそうに見えたに違いない。

ほどなくロッキーが階段を駆け上りながらトレーニングをしていたことで知られるフィラデルフィア美術館の横を通過。右手の木陰にたたずむ巨大なロッキー像を見ながら、最後の追い込みをかけてゴールに飛び込んでいった。

Finish Time 3時間42分02秒(8:28/mile)。

シカゴマラソンから26秒落ちのセカンドベスト。
前半ハーフ1時間47分台に対し、後半ハーフ1時間54分台で、ほぼ7分の落差。

積極果敢にノックアウトを狙い、先行逃げ切りの作戦に出たものの、やはり終盤では息切れしてしまった。自分で「やはり」と言うくらいだから、ある程度予測がついていたのであろう。無欲だったシカゴマラソンに比べると、明らかに狙いすぎだったのである。

それより、自己ベスト更新はならなかったものの、このレースを迎える数ヶ月前に比べれば、少なからぬ進歩の跡が見えたのは収穫だった。「セカンドベストこそ実力」と言われることもあるように、自己歴代2位のタイムを引き上げたことに意義がある。好条件のシカゴに比べれば、フィラデルフィアのほうがタフな部分の多いコースだったことを考えれば、これでも十分健闘したと言ってもいいのではなかろうか。

■MEMO■

総合順位 1964位/7475人中
男女別順位 1543位/4365人中
年代別順位 94位/326人中(AGE 50-54)

 
★滞在中行動を共にしていた「ま」姫、シャカリキ王子、トモコ姫の3ショット。

 
★トモコ姫との2ショット。2009年は飛ぶ豚、シカゴ、フィラデルフィアの3レースでの共演となった。

 
★ゴールの手前、フィラデルフィア美術館横の最後のコーナーを回るランナーたち。

 
★フィラデルフィアマラソンのゴールゲイト。

 
★巨大なロッキー像の前で、ゴール後の記念撮影。

 
★フィラデルフィア美術館の階段にあるロッキーの足型。

 
★完走メダルと、背中側にコースマップの入った参加記念Tシャツ。

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突然訪れた「ザ・パーフェクト」 -2009年シカゴマラソン-

2014年06月19日 | 【IL】イリノイ州



2009年当時、ワールドメジャーに所属していた5つの大会のうち、ニューヨークシティマラソンは旅行会社のツアー枠とNYRR会員枠で毎年参加していたものの、ボストンマラソンは厳しい参加基準タイムがあり、当時の走力では出場不可能。ロンドンマラソンの抽選枠も倍率的に可能性が低く、シカゴマラソンとベルリンマラソンだけが先着順のエントリーで出場できる大会だった(その後、どちらも抽選になってしまったが)。

ベルリンマラソンは前年の2008年秋に、当時語学留学でベルリンに滞在していた旧友に会う目的もあり、参加が実現していた。
というわけで、2009年秋はいよいよもうひとつの砦、世界記録の出やすい高速コースで知られるイリノイ州のシカゴマラソンに参加することになった。初マラソンから数えて18回目、米国7州目のフルマラソンとなる。

開催日は10月11日(日曜日)。本来この時期は秋本番の涼しい気候になるはずなのだが、どういうわけか前年、前々年と30℃を超える異常気象が2年続いたせいもあって、この年はスタート時間が30分早くなった。しかし蓋をあけてみれば、猛暑どころか、あわや氷点下になりそうな寒さ。暑いのだけは勘弁してほしいと祈っていたのだが、いささか祈りすぎてしまったようなコンディションとなった。

そして自分の体調はというと、どこが悪いというわけではないのだが、本番前の1~2ヶ月間、どうも体の切れが今一つだった。9月のモントリオールマラソンは前半からスピードが出ず、サブ4にも届かなかったし、2週間前のニューポート・リバティ・ハーフマラソンも、全力で走ったにもかかわらず1時間50分を切れなかった。そういう状況だったので、シカゴがいくら平坦コースとはいえ、どの程度のタイムを狙えるか、実際走ってみないことには見当がつかなかった。正直言って、サブ4を死守できれば御の字なのでは、とさえ思うほど弱気だったのである。

さて、この時はさすがにワールドメジャーな大会だけあって、多くのラン友が参加していた。お隣りのミシガン州からは、5ヶ月前の飛ぶ豚マラソンでも一緒だったコスメル王子、あざらし王子に加えて、いっちい王子、あこち姫が参戦。スタート会場に近いコングレス・ホテルのロビーで待ち合わせ、ともに初の顔合わせとなった。トモコ姫も友人の「ま」姫と参加していたし、当時の北米コミュの代表的選手はあらかた顔を揃えていたのではなかろうか。自分は同じコラルCのあざらし王子とともに、スタートまでの時間を待つことになった。

午前7時30分、スタートの号砲が鳴る。北京五輪の金メダリスト、今は亡きサミュエル・ワンジルをはじめとするエリートランナー、コラルABC、オープンの順にスタート。世紀の大レースの開幕となった。

Mile 01: 8分36秒(08分36秒)
Mile 02: 8分31秒(17分07秒)
Mile 03: 8分23秒(25分30秒)
Mile 04: 8分23秒(33分53秒)
Mile 05: 8分29秒(42分22秒)
Mile 06: 8分34秒(50分56秒)

まずは序盤の6マイルで様子見。マラソンを走る時はいつもそうなのだが、あらかじめ頭に入れておいたコースマップを思い出しながら、具体的な位置関係をイメージする。グラント・パークを出発し、コロンバス・ドライヴを北上、グランド・アヴェニューを左に折れてしばらくすると1マイル地点。ステイト・ストリートを南下、ジャクソン・ブルバードを右折すると2マイル地点。ラサール・ストリートを北上、ループ地区を抜けたところが3マイル地点。ここまで、ほとんど途切れることのない盛大な応援を浴びながら、摩天楼の大都会シカゴの真っただ中を走る。ある意味、ニューヨークシティマラソンを遥かに上回る贅沢な序盤戦と言えるかもしれない(ニューヨークの場合、16マイルでようやくマンハッタンに入る)。

さらにリバーノース地区、オールドタウンを経て、ミシガン湖畔のリンカーン・パークを抜けたあたりで10kmの表示。ここまで、ほぼマイル8分30秒平均。直近1~2ヶ月の不調を考えれば、上出来のペースだ。疲れもなく、なんとなく春先の調子が戻ってきたことを実感する。

Mile 07: 8分22秒(59分18秒)
Mile 08: 8分21秒(1時間07分39秒)
Mile 09: 8分20秒(1時間15分59秒)
Mile 10: 8分20秒(1時間24分19秒)
Mile 11: 8分14秒(1時間32分33秒)
Mile 12: 8分20秒(1時間40分53秒)
Mile 13: 8分14秒(1時間49分07秒)
中間地点通過 1時間49分57秒

下町的な賑わいが楽しめるリグレーヴィルに入ると、ここで7マイル地点。人気球団シカゴ・カブスの本拠地として有名なリグレー・フィールドが数ブロック離れたところにあるはずだが、視界には入ってこなかった。このあたりの区間で、久しぶりにランナーズ・ハイを体感。気持ちが高揚し、走るのが俄然楽しくなってくる。それなら行けるところまで行ってしまえ、というわけで、調子が良ければやろうと思っていた「逃げ馬作戦」を強行することにした。

「逃げ馬作戦」とは、オーバーペースにならないギリギリの速度で一気にハーフ過ぎ、あわよくば20マイルまでロング・スパートをかけて行くというもの。競馬の「逃げ馬」をイメージして、先行逃げ切りのアドヴァンテージを勝ち取る戦法である。

フルマラソンはどうしても終盤までのエネルギー温存を意識しなければならないので、前半戦は8割程度の力にとどめておくのがいつものパターンである。しかし、それはあくまでフルに限った話で、ハーフマラソンの場合は100パーセント先行逃げ切りの戦法を取っていく。実はそれが自分本来のスタイルであり、性格的にも合っている。そういう意味ではハーフマラソンのほうが好きな種目で、実際、フィニッシュタイムの年代別偏差値もハーフのほうが高い。一歩間違えば玉砕のリスクもあるかもしれないという覚悟の上で、ハーフマラソン的な戦法をフルマラソンで試してみたいという気持ちもあったのである。

コースは最北端のリグレーヴィルからほぼ一直線に南下。オールドタウンを経て、リバーノース地区に戻ると、はるか遠くに漆黒のシアーズ・タワーが見えてくる。12マイル地点を過ぎて、再びループ地区に突入。今度はアダムス・ストリートを西に進み、ギリシャ人街を経て、ウェストループへ抜けていく。このあたりのコース・レイアウトも、実にポイントをよく押さえている。

ハーフの通過タイム、1時間49分57秒。
なんと、本気で走ったはずの2週間前のハーフマラソンより速い。
前半に関しては100点満点の出来だ。

Mile 14: 8分05秒(1時間57分12秒)
Mile 15: 8分13秒(2時間05分25秒)
Mile 16: 8分20秒(2時間13分45秒) 
Mile 17: 8分27秒(2時間22分12秒)
Mile 18: 8分33秒(2時間30分45秒)
Mile 19: 8分29秒(2時間39分14秒)
Mile 20: 8分31秒(2時間47分45秒)

ハーフを過ぎてからの第3クウォーター。たいてい20マイル地点までの走り具合で、レースの大勢は決定すると言っても過言ではない。いつも課題になるのは17~18マイルの区間。自分ばかりではなく、ほかのランナーにとっても、このあたりが一段階エネルギーが落ちてくる正念場で、実際ほとんどの大会では、ここでパワージェルが配られる。ここでの失速を最小限に抑えれば、あとは22マイルくらいまではどうにかなるというのが経験上での実感だ。

その点、今回は理想的なペース。20マイルを2時間47分台で通過するのは、今までのマラソンで最速だ。この時点で、最終的に少なくとも3時間45分以内でのゴールは間違いない、と計算できる。5月の飛ぶ豚マラソンを上回る自己ベスト更新の可能性が大きく膨らんできた。

Mile 21: 8分25秒(2時間56分10秒)
Mile 22: 8分27秒(3時間04分37秒)
Mile 23: 8分37秒(3時間13分14秒)
Mile 24: 8分40秒(3時間21分55秒) 
Mile 25: 8分57秒(3時間30分52秒)
Mile 26: 8分58秒(3時間39分50秒)

20マイル過ぎのラスト・クウォーター。終盤に入っても、とにかく逃げられるところまで逃げるという積極果敢な戦法で、ギリギリまで突き進む。21マイル地点からはチャイナタウンに突入。ここもすごい応援だ。23マイル地点を過ぎたところがコース最南端。ここからは、ミシガン・アヴェニューを北上する最後の直線コースになる。

24マイルくらいまでは3時間40分の表示をつけたペーサー軍団と追いつ追われつの死闘を繰り広げるが、さすがに最後の2マイルは疲労が表面に出てきた。脚の運びが重くなり、ややペースが落ちてきたものの、どうにかマイル8分台で踏みとどまる。途切れることのない大応援にも後押しされ、全力を振り絞っての激走。あと少しだ!

やがてグラント・パークの南端にたどり着き、右に折れると、26マイルの表示。ここだけが上り勾配。その後すぐ左に折れ、最後の力を振り絞ってゴールゲイトに飛び込んだ。

Finish time 3時間41分36秒(8:27/mile)。

な・なんと、飛ぶ豚マラソンの自己ベストを3分07秒短縮!
スタート前には全く予期していなかった好結果に、しばし呆然としながら、こみあげてくる感動に酔いしれた。

決して最初から狙っていたわけではなかった。レース前の状況を考えれば、むしろ悲観材料のほうが大きかったとも言える。しかし、突然訪れた時ならぬ寒冷な気候は、体力の消耗をほとんど感じさせないほどの効果をもたらした。

そして何よりも素晴らしいと思えたのが、スピードが出しやすいように極限まで工夫されたコース・レイアウトと、ほとんど途切れることのない熱狂的な応援。中盤からの驚異的なロング・スパートを可能にしたのは、それらの要素がすべてプラスのベクトルに作用したおかげだろう。

まさに、熱く萌えたシカゴ! 
ワールドメジャーの舞台にふさわしい「ザ・パーフェクト」なレースとして、鮮烈な記憶を脳裏に刻み込むものとなった。
そして、この時の自己ベストは、2年後のデトロイトマラソンまで破られることがなかったのである。

■MEMO■ 
総合順位 6329位/33696人中 
男女別順位 5016位/19074人中
年代別順位 307位/1479人中(AGE 50-54)


★マラソン前日、ネイビー・ピアを散歩するエリート・ランナーとおぼしき2人組。


★マコーミック・コンヴェンション・センター内の広々としたEXPO会場。


★当日朝、ホテルロビーでお目見えしたミシガン・ランナーズのあこち姫、いっちい王子、コスメル王子。


★スタート前のコラルにて、あざらし王子と記念撮影。


★夜明けの摩天楼を仰ぎ見るスタート会場。世紀の大レース開幕にふさわしい光景だ。


★26.2マイルの闘いを終え、ゴールに帰ってきたランナーたち。


★フィニッシュ会場から臨む黒い摩天楼、シアーズ・タワー。


★当時「通りすがりの女の子」と紹介されていたが、実は某社シカゴ支店に所属していた女子スタッフ。


★BANK OF AMERICAがタイトル・スポンサーとなった初年度の記念すべき完走メダルとハイテクTシャツ。

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豚はオハイオの空を飛ぶ -2009年シンシナティ・飛ぶ豚マラソン-

2014年06月13日 | 【OH】オハイオ州



あちこちのマラソン大会に参加していると、何度でも走りたい大会に出会うこともあれば、一度きりの想い出として封印しておきたい大会に出会うこともある。2009年5月に参加したオハイオ州のシンシナティ・飛ぶ豚マラソンは典型的な後者の大会。あの「飛ぶ豚マジック」と呼ばれたラスト・クウォーターでの逆転劇は、まさに成長途上の時期にしかできない奇蹟だった、と間違いなく断言できる。年齢を重ねてしまった現在、あんな厳しいコースで自己ベストが出ることなど、もう二度とないはずだから。

毎年5月上旬、オハイオ州シンシナティで開催される人気大会「飛ぶ豚マラソン(Flying Pig Marathon)」は2009年で第11回目を迎えていた。NYC方面からのアクセスは、安く済まそうと思えばグレイハウンド・バスでも可能だが、この時は珍しくデルタ航空を利用した。シンシナティ空港(実際はケンタッキー州北部に位置する)はデルタ航空のハブなので発着便が多く、いつも利用するコンティネンタル航空(現在はユナイテッドに統合)よりも、こちらのほうが便利だったのである。

空港からダウンタウンまでは1ドル75セント(当時)でバスが出ており、これも手頃なアクセス。約40分ほどで、宿泊先のミレニアム・ホテルに到着した。そして、ホテルのすぐ隣りに、EXPO会場のコンヴェンション・センターが位置していた。

大会名となっている「飛ぶ豚」はシンシナティの象徴。かつてこの街は養豚と豚肉の生産で知られ、街中が豚であふれていた。霧のかかったオハイオ川を、豚をたくさん乗せた船が運航すると、まるで豚が空を飛んでいるように見えたという。この「飛ぶ豚」のイメージが伝説として後孫に受け継がれ、いつしか街のシンボルになったというわけだ。

EXPO会場でも、まず最初に目にするのは飛ぶ豚のオブジェ。販売会場ではオフィシャルグッズの可愛い豚のデザインをあしらったものが大人気で、まさに「飛ぶような」売れ行き。自分が訪れたのはEXPO初日にあたる5月1日(金曜日)だったが、翌日になると特定のサイズしかなくなってしまったらしい。

大会のメイン・イべントは、日曜日に行なわれるフルマラソン、ハーフマラソン、マラソン・リレー(4人でフルマラソンの距離をリレーする)の3種目だが、前日の土曜日にも10km、5km、キッズマラソン(1マイル)などの家族向けプログラムが用意されており、すべてのイベントの参加者を合計すると、2万人を優に超える数となる。まさにシンシナティの街をあげてのお祭りだ。しかも、それだけ大きな大会でありながら、どこかのんびりしていて、アットホームな温かさにあふれているのが好ましい。都会の数万人規模の大会では味わえない手作りの雰囲気。それを体験できるのも、地方遠征の大きな楽しみの一つである。

さて、この大会では自分のほかに3人のラン友が顔を揃えた。ランニング・コミュニティサイトでつながりのあるケンタッキー州在住(当時)のトモコ姫、ミシガン州在住のコスメル王子、あざらし王子である。トモコ姫とは前年6月にニューヨークのイベントで会っていたが、あの時はお互いに仮装をしていたので、まともな姿で対面するのは初めてとなる。コスメル王子とは、前年5月のニュージャージー・マラソンが初対面。その後7月のNYCハーフマラソン、年末のミッドナイトランとご一緒しているので、通算4回目。そしてこの大会がフルマラソン・デビューのあざらし王子とは正真正銘の初顔合わせとなった。

だが、こうしてみると天の配剤というか、この当時ならではの絶妙なキャラが揃ったと思う。さしずめ「飛ぶ豚四銃士」とでも呼びたくなるような、人知を超えた不思議な力を発揮できそうな雰囲気。しかも、その予感通り、本番レースでは4人揃って見事な結果を叩き出すことになるのである。

いつにも増して前置きが長くなってしまったが、5月3日(日曜日)、いよいよ通算15回目(米国6州目)のフルマラソン当日を迎えた。起伏が多いコースで、攻略はかなり難しいとの評判はあったものの、前月の練習では自己最高の300kmを走り込んでいたので、ただでは転ぶつもりはなかった。ラン友たちとの前夜祭で気持ちも盛り上がっていたし、心身ともにコンディションは上々だった。

当日の朝は小雨模様。だが、傘を必要とするほどでもない。同じホテルに泊まっていたあざらし王子とロビーで待ち合わせ、およそ15分ほど歩き、NFLシンシナティ・ベンガルズの本拠地ポールブラウン・スタジアムの南側に位置するスタートエリアに到着。当初の打ちあわせ通り、前方のエリートコラルで、トモコ姫、コスメル王子と落ち合い、写真を撮ったりしてスタートまでのひとときを楽しんだ。

エリートコラルと言っても、2時間10分を切るようなケニアの招待選手がいるわけではないので、ちょっと速ければ誰でもエリートという雰囲気。それでも少なからず身分不相応な場所を陣取ってしまったせいか、スタートの合図が鳴ってしばらくの間は、周囲のランナーたちに思いっきり抜かれ続けた。

以下、マイルごとのラップ。

Mile 01: 8分56秒(08分56秒)
Mile 02: 8分56秒(17分48秒)
Mile 03: 8分53秒(26分31秒)
Mile 04: 8分42秒(35分23秒)
Mile 05: 8分29秒(43分52秒)
Mile 06: 8分32秒(52分24秒)

朝6時半スタートという異例に早い時間だったので、まだ体が目覚めておらず、序盤戦はぎりぎりでマイル9分を切るスローな展開。1マイル地点でオハイオ川にかかる橋を渡り、いったんケンタッキー州に侵入する。隠れた観光地として知られるコヴィントンの街並みを通過し、3マイル地点で再びオハイオ州に戻る橋越え。ここから6マイル地点までがシンシナティのダウンタウン地区で、比較的平坦なコースになり、ペースもようやくマイル8分30秒前後まで上がってきて、このままランナーズ・ハイに突入するかに見えた。ところが…

Mile 07:  9分29秒(1時間01分53秒)・・・上り区間
Mile 08:  9分04秒(1時間10分57秒)・・・上り区間
Mile 09:  8分33秒(1時間19分30秒)
Mile 10:  8分37秒(1時間28分07秒)
Mile 11:  7分42秒(1時間35分49秒)・・・たぶん距離表示がずれてる。
Mile 12:  8分23秒(1時間44分12秒)
Mile 13:  8分37秒(1時間52分49秒)
中間地点通過 1時間53分39秒。

噂に聞いていたとおり、6マイル地点に始まる上り坂はキツかった。いったいどこまで続くのかと言いたくなるような勾配がいつ果てるともなく続く。7マイルを過ぎ、8マイルを少し越えたところで、ようやく道が平らになり、これで終わったかと思いきや、コースを曲がるとまた上り坂、という感じで精神的にもなかなかタフな攻撃が続いた。

マイルペースは一気に9分台に落ち、「とてもじゃないが、これでは記録更新どころではない」という気持ちになった。そうなると、かえって肩の力も抜け、上りでは無理をせず、下りでは快適に飛ばすという自然なリズムにまかせる走りができるようになる。結果的にはこれが後半へのエネルギー保存につながったのかもしれない。

中間地点の通過タイムは1時間53分39秒。自己ベストを出した前年のニューヨークシティマラソンや歴代2位のロックンロール・アリゾナ・マラソンより3分くらい遅く、この時点ではとても好タイムを期待できる雰囲気ではなかったのである。

Mile 14:  8分27秒(2時間01分16秒)
Mile 15:  8分25秒(2時間09分41秒)
Mile 16:  8分31秒(2時間18分12秒) 
Mile 17:  8分37秒(2時間26分49秒)
Mile 18:  8分42秒(2時間35分31秒)
Mile 19:  8分43秒(2時間44分14秒)
Mile 20:  8分39秒(2時間52分53秒)

前半のヤマ場は越えたものの、後半に入ってもコースは相変わらず細かなアップダウンが続く。それでもマイル8分30秒前後のペースを維持できたのは、小雨まじりで気温が涼しく、比較的体力の消耗が少なかったのと、行く先々で、豚の被り物や着ぐるみなどに身を包んだ応援風景に出会えるのが面白かった、というのもあるかもしれない。

そうこうするうちに、これまでずっと遥か前方に遠のいていた3時間45分のペーサーの持つプラカードが視界に入ってきて、頑張れば追いつけそうになってきた。決して無理にペースを上げているわけではなかったが、徐々に息を吹き返してきた感じがする。そして15マイルあたりで、ついにペーサーと肩を並べた。

彼(デイヴという男性のペーサー)はGPSを見ながらペースを調整し、周囲のランナーとコミュニケーションを取りながら余裕のある走りをしていたので、このまま一緒についていけば大丈夫だろう、という安心感があった。これまでのフルマラソンでは18マイルから20マイルあたりで決まって脚が重くなっていたものだが(いわゆる30kmの壁)、この時はペーサーのデイヴを追いかけることに集中し、壁を感じることもなく乗り切ることができた。

優秀なペーサーとの出会いが自分の走りを変える… 
それはその後のフルマラソンで幾度となく体験している事実なのだが、その最初の体験こそ2009年5月の飛ぶ豚マラソンだったのである。

20マイルの通過タイム、2時間52分53秒。
この時点でも、自己ベスト達成時より2分ほど遅いので、特別速度が上がっているわけではない。ただ、体力の消耗は少なかったので、うまくいけば3時間50分を切るのは可能かもしれないと思い始めていた。

しかし実際は、予想を遥かに超えた驚異的なフィニッシュ・タイムが待ち受けていたのである。

Mile 21:  8分28秒(3時間01分21秒)
Mile 22:  8分14秒(3時間09分35秒)
Mile 23:  8分13秒(3時間17分48秒)
Mile 24:  8分59秒(3時間26分47秒) 
Mile 25:  8分30秒(3時間35分17秒)
Mile 26:  8分47秒(3時間44分04秒)

20マイル地点を過ぎてからのラスト・クウォーター。4楽章の交響曲に例えれば最終楽章にあたるこの区間は、これまでのフルなら息も絶え絶えになってペースダウンするというのが定石となっていた。さしずめチャイコフスキーの「悲愴」のような終わり方をするのが常だったのだが、この時は一味違うドラマティックな展開が用意されていた。

21マイルのラップを8分28秒で乗り切ると、なんとここから22マイル、さらには23マイル地点にかけて8分10秒台にペースアップする。これもペーサーのデイヴが率いる集団に遅れまいと頑張った結果なのだが、これこそマラソン生活で初めて体験する、30kmを越えてからのランナーズ・ハイとも言うべきものだった。さすがに24マイルあたりになると、少なからず疲労を感じ始めてきたが、いつものマラソンほど深刻ではない。デイヴも後ろを振り向いて「先に行っていいぞ!」と檄を飛ばしてくれた。

そして満を持した25マイル地点。ここでデイヴに別れを告げ、最後の1マイルを全力疾走。
のちに「炎の光速ダッシュ」として切り札のフィニッシュ・ホールドとなる、起死回生の大暴走を開始する。

行く手に見えるのは、MLBシンシナティ・レッズの本拠地グレート・アメリカン・ボールパーク。かつて1970年代にビッグ・レッド・マシンと呼ばれ、黄金時代を築いたチームの栄光を甦らせるような奇跡のメイクドラマ。

「FINISH LINE」ならぬ「FINISH SWINE(豚の群れという意味)」と書かれたゲイトが前方に現われる。沿道の大歓声がひときわ高まり、今まで足を踏み入れることのなかった未知の世界が近づいてくる。そしてこの日まで何度も何度も挑戦し、ようやく壁を乗り越える瞬間が到来したという確かな手ごたえを噛みしめながら、万感のゴールに到達した。

Finish Time 3時間44分43秒 (8:34/mile)。

な・なんと、前年11月のニューヨークシティ・マラソンで記録したタイム(3時間47分22秒)を2分39秒上回る自己ベストを達成!
しかも、ここ数年目標としていた3時間45分を初めて切る、歴史的な一歩!

さらには、前半ハーフ(1時間53分39秒)よりも後半ハーフ(1時間51分04秒)のほうが速いというネガティブスプリットも、このレースが初体験だった。フルマラソンは後半必ず落ちるものと思っていた常識が一気に覆された。通算15回目のフルマラソンにして、いきなり別次元の領域に飛躍したかのようである。

これこそ「飛ぶ豚マジック」と呼ばれた奇跡の逆転劇!
数多く体験したマラソンゴールの中でも、最も印象に残るもののひとつとなった。

それにもかかわらず、「この大会をもう一度走るか?」と聞かれたら、「もういい」と答えたくなるような難コースだった。二匹目のどじょうを狙ったら、間違いなく平凡なタイムに終わることは目に見えている。

これまでの人生で最高とも言えるゴールの余韻に浸りながら、ゆっくりとイベント会場に行くと、先にゴールしたトモコ姫とコスメル王子が待っていた。トモコ姫は年代別3位入賞で表彰され、コスメル王子は初のBQ(ボストン・クオリファイ)を達成していた。そして、初マラソンのあざらし王子もいきなりサブ4達成の快挙。まさしく、人知を超えた不思議な力に導かれたような「飛ぶ豚四銃士」の活躍だった。

■MEMO■ 
総合順位 713位/4071人中 
男女別順位 580位/2417人中
年代別順位 49位/254人中(AGE 50-54)


★EXPO会場では飛ぶ豚カラー(黒とピンク)をテーマにしたミニ・ファッション・ショーも行なわれていた。


★ゼッケン受け取りのコーナー。飛ぶ豚のオブジェがここにも。


★かわいいデザインの飛ぶ豚グッズが飛ぶように売れていた。


★フル前日の土曜日に行なわれた10Kレース。MLBシンシナティ・レッズの本拠地グレート・アメリカン・ボールパークの前を通過する。


★前日のお茶会に集まった「飛ぶ豚四銃士」の面々。


★飛ぶ豚ファッションで決めたトモコ姫との2ショット。


★トモコ姫は年代別3位で入賞。


★BQを達成したコスメル王子は、2009年当時が全盛時代だったかもしれない(?)


★飛ぶ豚のデザインが人気を呼ぶ完走メダルとお土産のTシャツ。


★幸運を呼ぶといわれる豚の貯金箱。シンシナティ空港の売店にも豚グッズが多数用意されていた。

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不死鳥伝説のプロローグ -2009年ロックンロール・アリゾナ・マラソン-

2014年06月08日 | 【AZ】アリゾナ州

 

フルマラソンのアメリカ50州制覇を意識したのは、いつ頃からだろうか?

それは多分、2009年1月にアリゾナ州フェニックス都市圏で開催されたロックンロール・アリゾナ・マラソンに参加した頃ではないか、と思う。

2004年に初めてフルマラソンを完走して6年目。それなりにマラソンを走れる体力も備わり、この大会が通算13回目のフルマラソンだった。とは言え、アメリカ国内レースに関しては、この時点でまだ4州目。50州制覇などまだまだ遠い話だったのだが、なぜか「志」自体は持ち始めていたのは確かである。それは今にして思えば、その前年に夫婦でアメリカ50州制覇を達成していた先輩ランナー、お雪さんと内之助さんの快挙による影響が大きかったかもしれない。アメリカ50州制覇はアメリカ在住ランナーにとってはボストンマラソン出場と並ぶ大きな目標であるし、これこそ生涯をかけて目指す価値のあるライフワークだと思えたのである。

もともと旅好きであるし、本職の仕事自体がそれに携わるものなので、旅のプラニングは心得ている。極寒のニューヨークから避暑地アリゾナへの旅。マラソンの開催されるフェニックス周辺の見どころを含め3泊4日あれば十分であろうという計画で、アメリカ4州目のフルマラソンの旅に出発した。

開催日は1月18日(日曜日)。最低気温-10℃のアメリカ東海岸から、最高気温26℃のフェニックスへ。大陸横断直行便5時間の飛行時間で、一気に灼熱の別世界へ飛び込んでいく。同じ機内にも多くのアメリカ人ランナーが乗り合わせていたが、フェニックス空港に到着したとたん、あまりの環境の激変に一同驚きを隠せないでいた。

ロックンロール・アリゾナ・マラソンは、この年で第6回を迎えるElite Racing主催のロックンロール・マラソン・シリーズのひとつ(その後、Competitor Group主催に移行)。このシリーズは名前の通り、マイルごとに設置されたステージでのロックバンドのパフォーマンスと、レース後に行なわれる「ヘッドライナー・コンサート」を売り物にしており、マラソンと音楽を絡めたイヴェントとしての楽しさを追及している点で人気がある。いわゆるウォーカー・フレンドリーの大会なので、特にハーフの部は全く走らず最初から最後まで歩いている参加者も多い。

フルマラソンの部は7時40分スタート。会場に着いたのは6時半頃なので、まだ暗く肌寒い中、同じ大会にエントリーしていたニューヨークからのラン仲間、ニャーママ姫(のちに空手家に転向)、けに~王子(50州制覇を志す先輩)と一緒に準備体操などをして待機した。スタート時間が近づくと、ようやく空が薄明るくなってくる。この時点では、まだ10℃以下で肌寒い。気温が上昇するのは、あくまで太陽が顔を見せてからなのだ。

名前は忘れてしまったが、女性カントリー歌手によるアメリカ国歌の斉唱が終わると、いよいよレース開始。フェニックス州議事堂の近く、ワシントン・ストリートをスタートし、7番街の通りで左に折れると、そのまま5マイル地点まで一度も曲がることなく、ひたすらずーーーーーっと真っ直ぐな直線道路を走り続ける。ミズーリ・アベニューという通りでようやく右折し、そこから8マイル地点までずーーーーっと真っ直ぐな直線道路、ここで隣りのキャメルバック・ロードに平行移動して、さらに11マイル地点まで、ずーーーーっと曲がることのない一直線の道が続いた。

さすがに面積の広さではアメリカ国内で他の追従を許さない、砂漠の大都市フェニックス。こんなコース設定は、他の街では考えられない。

これだけ直線ばかりで、風景もほとんど変化のない状況が続くと、普通は退屈してしまうものだが、そこは主催者の触れ込み通り、マイルごとのステージで熱演を繰り広げるロックバンドの演奏と、華やかなチアガールたちの応援が随所に花を添え、気分を盛り上げることができた。

以下、マイルごとのラップタイム。

Mile 01: 8分28秒(08分28秒)
Mile 02: 8分43秒(17分11秒)
Mile 03: 8分38秒(25分49秒)
Mile 04: 8分27秒(34分16秒)
Mile 05: 8分27秒(42分43秒)
Mile 06: 8分27秒(51分10秒)
Mile 07: 8分23秒(59分33秒)
Mile 08: 8分27秒(1時間08分00秒)
Mile 09: 8分22秒(1時間16分22秒)
Mile 10: 8分36秒(1時間24分58秒)
Mile 11: 8分36秒(1時間33分34秒)
Mile 12: 8分08秒(1時間41分42秒)
Mile 13: 8分16秒(1時間49分58秒)
中間地点通過 1時間50分57秒

このレースを迎える時点での自己ベストは、前年11月にニューヨークシティ・マラソンで出した3時間47分22秒。それ以前の大会で、すでに3時間48分台を2度記録していたので、そろそろ3時間45分切りを達成したいという目標があった。それに向けてマイル8分20~30分前後のペース設定を考えていたが、最初の9マイルまでは勾配がほとんどなかったこともあり、十分過ぎるほど順調。10マイルから11マイルにかけては緩やかな上り坂になり、ややペースが落ちかけたものの、12マイルから13マイルにかけての下り基調の区間で挽回し、少し貯金を増やすことに成功した。

中間地点までは自己ベストを出したニューヨークシティ・マラソンとほぼ同じペース。ここまでは自己ベスト更新はもちろん、3時間45分切りも十分可能な手ごたえがあった。

Mile 14: 8分15秒(1時間58分13秒)
Mile 15: 8分24秒(2時間06分37秒)
Mile 16: 8分46秒(2時間15分23秒)
Mile 17: 8分57秒(2時間24分20秒)
Mile 18: 8分50秒(2時間33分10秒)
Mile 19: 8分47秒(2時間41分57秒)
Mile 20: 8分48秒(2時間50分45秒)

14マイル地点の近く、オーク通りで左に折れ、ここからはフェニックスに隣接する有名な観光地オールドタウン・スコッツデールの界隈に入っていく。コースも直線一辺倒ではなく多少変化が出てきて、カーブや緩い上り坂にも遭遇した。走るペースのほうは、15マイルまでは順調だったのが、それ以降はやや脚が重くなり、手持ちのパワージェルでエネルギーを補給していく展開となった。

16マイルでペースが落ちるパターンというのは、このレースばかりではなく、2009年春ぐらいまでのフルマラソンでは普通に体験することだった。要するに、自分の基礎体力レベルが15マイルでほぼ燃え尽きてしまう程度のものだったのである。このレベルを越える持久力を獲得するには、5月の飛ぶ豚マラソンまで待たなければならなかった。

スタートから2時間30分経過。時刻にして午前10時10分。
夜が明ける前は肌寒いくらいの気候だったのに、太陽が顔を出してからは急速に体感温度が上がり、ギラギラした日差しが強くなってきた。疲れかけた体に、別名「太陽の谷(Valley of the Sun)」と呼ばれる砂漠地域特有の灼熱攻撃が容赦なく襲いかかってくる。

19マイル地点で、コースはスコッツデール・ロードを南下。ほどなく今回宿泊しているホテル(コートヤード・マリオット)の前を通過し、もうひとつの大きな通りを越えたところで20マイルの表示。ここからのラスト・クウォーターが、このレース最大の正念場となった。

Mile 21: 8分58秒(2時間59分43秒)
Mile 22: 9分26秒(3時間09分09秒)
Mile 23: 9分05秒(3時間18分14秒)
Mile 24: 9分18秒(3時間27分32秒)
Mile 25: 9分35秒(3時間37分07秒)
Mile 26: 8分57秒(3時間46分04秒)

21マイルまでは苦しくとも8分台のマイルペースを守り続けてきたが、22マイルで、ついに9分を越えてしまう。体力がさらに一段階落ちていく最終ステージ。それと同時に、これまで余裕でリードを保っていたはずの3時間45分のペースメーカーに追いつかれてしまう。いっときの間は意地を見せて粘ったものの、やがて徐々に引き離されていった。

24マイル地点の手前で橋越えがあり、スコッツデールからさらに南隣りの街テンピに突入。アリゾナ州立大学周辺に広がる学生街として有名な地域だ。ここまで来ると太陽光線も尋常ではない強さになってくる。それに加えて「今回も3時間45分の壁を越えられなかったか・・・」という無念な思いが支配的となり、メンタル面でやや下降気味になったかもしれない。25マイルのラップタイムは9分35秒もかかってしまった。それでも最後の1マイルは残りわずかなエネルギーを燃焼させて8分台に復活。開催地フェニックスの名のごとく不死鳥の粘りを発揮し、地元の大観衆が待つゴールへ飛び込んでいった。

Finish Time 3時間47分58秒(8:42/Mile)。

自己ベストに36秒及ばず、セカンドベストでゴール。
最後は過去の自分とデッドヒートする形になったが、わずかに届かなかった。
が、これがその時点での実力と割り切れたのだろう。自己ベストを更新できなかった悔しさよりも、暑さに負けず力を出し尽くしたという満足感のほうが不思議と勝っていたように思える。

さらに、後になってわかったことだが、実はこのレースで特筆すべき出来事があった。
なんと5年後の2014年に運命的な出会いを果たすことになるラン友、ビズちゃんことビズラ姫が初マラソンで参加していたのである。

しかもフィニッシュ・タイムは2分と違わない。自分がゴールしたのと同じくらいの時間に、彼女も完走メダルを首にかけて近くを歩いていたことになる。世の中、案外狭いものだと思わずにはいられないニアミスの実例となった。

極寒のアメリカ東海岸をしばし離れてのリゾートマラソン。日中の太陽は厳しかったが、周辺地域の観光も含め、想い出に残る楽しい体験となった。冬の時期はやはりこういう大会のほうがいい。

■MEMO■

総合順位 1331位/6444人中
男女別順位 953位/3462人中
年代別順位 89位/368人中(AGE 50-54)


★EXPO会場には美女のふるまうビールを試飲できるコーナーもあり。 


★夜明け前からロックバンドの演奏で盛り上がるスタート会場。背後の暗がりにはアリゾナ州議事堂がうっすらと見える。


★3時間20分のペーサーのすぐ背後からスタートするという身の程知らず。


★灼熱の闘いを終え、次々とゴールするランナーたち。


★ゴール後、メディカル・テントの近くでアイシングをするランナーも多く見られた。


★アリゾナ州立大学のフットボール・スタジアムをバックに記念撮影。当時は3人とも50州制覇を目指していたが・・・


★アリゾナ名物、巨大なサワロ・サボテンをデザインした完走メダル。


★レースの翌日はフェニックスの観光名所、砂漠植物園(Desert Botanical Garden)を訪れる。


★ネイティブ・アメリカンの文化や芸術を展示しているハード・ミュージアム(Heard Museum)の入口にて。

 
★昔の西部劇のような街並みが残る観光地、オールドタウン・スコッツデール。 ウェスタン・ウェアを豊富に揃えている店もあり、アメリカ西部ならではのショッピングを楽しむことできる。

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