LOHAS 日誌

LOHASで生こう!なマ〜シャ♪のコラム

コロナ日誌(2) (診療所に感動!感謝♪)

2022-07-29 19:17:00 | 体験日誌
前回までのお話はコロナ日誌 その1 (マ〜シャ♪コロナにかかる!?通院までの奮闘記) - LOHAS 日誌を、ご覧ください♪

■診療所行ってみた。すごかった!
連日37.5度を超える発熱があったばかり。
体力は消耗してるものの、歩いて20分の距離だったので、なんとか足を引き摺るように診療所へいってみた。

見かけはこぢんまりとした普通の診療所
しかし、そこは発熱に対応する診療所

ということで最初の応対から少し違った。
(ただ、今回行った診療所がたまたまそうだっただけかもしれないので、他も同じかどうかは分かりません。あしからず。。)

まず、
発熱が続いているので念のため、受付前で電話して到着の連絡をしました。
この時点で普通に入り口入れない、という違和感。。

それから程なく、受付のドアを開けてくれて待合の個室に通されました。しかし入ってみて、

なるほど

他者への感染を防ぐため、バイオセーフティレベル2を意識した間取りの診療所ということだったのです!

これはすごい

小さい間取りなのに、できる限りの感染防止配慮。最初から感染症対策を想定したつくりになってたんです。

◾️参考:バイオセーフティレベルとは
感染性のウイルスや細菌を扱う建物や施設の格付けに用いられる区分のことで、一般の診療所だと大抵、区分けがないので、レベル1なのだと思います。
この区分は、病原体の毒性の強弱や感染性の強弱、治療法の有無などで、施設の衛生環境を区分けするもので、レベルが上がるほど、危険な病原体を扱える施設ということになります。
ただ何処にでもあるわけでなく、研究機関や専門や総合の医療機関がほとんどです。
ここの診療所はこうしたセーフティレベルを意識して感染症患者さんとそうでない方を分けて、感染防止対策されてました。

■早速問診
待つこと5分。メディカルスタッフさんから色々質問受けました。
普段なら問診票の自筆を依頼されますが、今回は質問形式で手書きされてました。感染防止ですかね。
マスクとフェイスシールドしてますし、換気しながらの数分程度の会話なら、空気感染リスクは低いので、紙媒体からの接触感染を減らすという配慮かもしれません。

■またコロナ検査!?
今回はPCRは陰性だったのでコロナではない、と判断してました。そのため、他の感染症(いわゆる風邪か、インフルか)を、疑っており、通常のかぜ薬かタミフルを、処方されれば、良いのでは??と見込んでました。

が、、抗原検査どうしますか?と聞かれたのです。

あれ?一応、PCR陰性なんですけど。。
また検査するの??
うーん。。PCRで陰性だったのに、もう一回やるのかぁ。。
一抹のめんどくささがこころをよぎるマーシャ。。
(またまた、小市民的。。

そんな思いから不要です、といったんまずは断ってしまった。
すると、問診の段階では、それも含め医師にお伝えします。とのこと。

そして待つこと10分。
スタッフさんからの提案で、発熱中なので、念のため、抗原検査しましょう、と。
15分ほどで終わるので、とのことでした。
まぁ、そうまで説得されては。。
ということで受けてみることになりました。

■そして抗原検査。
PCRは遺伝子(RNA)の有無からウイルスの有無を検知する検査で、抗原検査はウイルスのスパイクタンパクの有無を見る検査です。
発熱や咳の症状は、RNAでなく、それによって作られたタンパクが引き起こすので、熱やせきが続くということは、何かしらのウイルスのタンパクが原因となっている可能性が高い。
そのため、原因タンパクがコロナ由来かそれ以外かを再確認する狙いがあった様で、一応見てもらうことにしました。

そして、鼻の穴に綿棒刺されました。。

そして、15分待ちました。

結果は。。
陽性です。。

マーカーにほんのりピンクっぽい赤線。。
やっぱそこにいたのか。。
コロちゃん。。
と、うなだれるマーシャでした。。

■お薬もらいました。。
コロナに罹ると、治すお薬はありません。
熱や咳を抑える薬がもらえますが、これは症状を緩和するのが目的の対処療法で、治療薬ではありません。
結局のところお家に帰って寝ん子ちゃんしか、治す薬はありません。。

しかし、お薬の渡し方も良かった。
随分前に医薬分業となり、薬は薬局へ、、が当たり前になってきましたが、感染症対策ということで、待合の個室で薬の受け渡し、会計も小窓から、ということで、できるだけ接触回避する工夫がされていました。
他の患者さんに感染させない工夫が良くされてました。

帰りしな、
何か症状に異変があったらいつでもご連絡くださいね〜。
というスタッフさんの労いの言葉。
その一言が身に染みるわぁ。。
ホントにかけるつもりはないけど、優しい一言に感謝
と思い、病院を後にしたマーシャでした。

こんな町医者さんが増えたらえ〜のになぁ

その3へつづく。

コロナ日誌(1) (マ〜シャ♪コロナにかかる!?通院までの奮闘記)

2022-07-28 20:51:00 | 体験日誌
コロナ禍と言われて既に何年か経ちました
そして、ついに
私も罹患してしまいました。。

ちなみにワクチンは…
3回接種したのですが。。
(ザンネン!

しかしウイルスってすごいですね。
どんどん変化して対応してくる。
スルスルっと、ブレイクスルーしてきます。

こんな変化の速さが人にもあれば、環境問題への適応や課題解決も迅速なのになぁ。。
コロナさんの変わり身の速さに感心しながら、ひとり、熱と咳にうなされるマーシャです。。

そんな忌み嫌われるウイルスさんですが、変化するうちに感染力は強くなるけど、致死性は低くなるという傾向があるそうです。

(毎年猛威を振るうインフルはどうなんじゃ?と思うとこもありますが、例外もあるのでしょう)

コロナに関しては、色んな立場の人が、色んな意見や思いを持ってると思います。
そこで私のコロナ日誌をつけてみようかと、思いました。

■発症〜診察前まで
私の場合はというと、
①朝起きたとき、鼻の奥の方で息をするたびにちょっとした痛みというか、違和感を感じる
②午後にかけて、喉に違和感が広がり、夜になって気だるさと悪寒が始まる。
③夜、コロナと風邪の半々の疑いを感じつつ、風邪のひき始めなら、かぜ薬と一晩寝たら治るかなと楽観的にまずは考え、寝て様子見をした。
④しかし翌日から熱が続き、これはいつもと違う、と感じ、PCR検査(コロナ遺伝子の有無確認。あれば陽性、罹患)を受ける。
⑤翌日結果が出る。PCRは陰性。
 陰性なら他の感染症か?と言うことで、夏風邪か季節外れのインフルか?と言う選択肢が、残った。

⑥で、お医者さんに行ってみた。という感じでした。しかしその後が大変でした

■病院探すのタイヘン!
わたしが田舎にいた時は、地元の市民病院に普通に行けていたのですが、今は診療所からの紹介状か急患でないと行けない時代。

そこで、診療所を探したのですが、どこも
対応してない
予約でいっぱい
そして、
発熱外来へ行ってくれ

なんかしょっぱい塩対応。。
こちとら患者なんじゃい!
もちっと、優しく接しておくれよぉ〜。。

と、つい、小市民的感情が巻き起こるマーシャ。
(まだまだ人間ができてませんな。。

巷では、病院が受け入れてくれず、大揉めになってるなんてニュースもありましたが、確かに、怒れてしまう気持ちも少しわかりました。
でも、こんな我ら患者さんに何年も忍耐強く接してくれてる医療従者の方を思うと、しょっぱい対応も、今できるギリギリの良心対応なのでしょう。
ホントありがとうございます。
今はインターネット時代。医療情報や医療体制を知るサイトはたくさんあるので、こちらももうちょっとお医者さん任せにせず、自分で勉強が必要かな。。と感じました。

■ところで…。。発熱外来??
そんな塩対応に打ちひしがれ涙するマーシャ。。
しかし、電話や診断の受け方を調べるうちに何やら耳慣れないワードがいくつかあることに気付きました。
発熱外来??発熱相談センター??

発熱相談センターは、どうやら2009年の新型インフルエンザのときに急患が増えたことで、臨時に設置したことがある、ウイルス性呼吸器感染症のための臨時電話窓口だそうで、コロナ禍の今回も設置され、地域の体制や呼称が異なりますが、受診可能な医療機関を案内してくれるセンターのようです。

そこで、折れそうなココロを奮い立たせ、改めてTELしてみた。すると。。

あら、大変でしたね
体調いかがですか
咳されてつらそうですね
無理しないでくださいね
と、応対の合間の気遣い。
そしていくつか病院を紹介してくれました。


そう!それ!コロナで弱って、折れそうなココロに塩塗るんじゃなく、ねぎらいの一言
これ大事なんよぉ〜!
いや、これだけでなんか救われました。
おかげでもう一件電話しようという気持ちになりました。
(病気になると甘えさせて欲しくなる。。の法則ですね(^^)

そして、ようやく病院見つけました!
そこもとても親切な対応、
症状をお伝えし、すぐできるか聞いたら、すぐきてください、とのこと。

なんか塩対応の後の神対応、泣けてきます。。

さてもう一つの発熱外来。
相談センターで聞いたところ、PCRで陰性だけれども、発熱があるので、コロナ以外の感染症もあるということで、発熱外来(ウイルス性の感染症に対応した診療所)か、発熱に対応する医療機関しか紹介できないないとのこと。
発熱外来なんて分野があるなんて知りませんでした。。

でも、そんなに数もない。。
うーん、こんなんで大丈夫か!?
日本の医療。。

それでも、なんとか一件見つかったのは幸いでした。でも行ってみて、これはたしかに少ないかもと思いました。

その2へつづく。
あ、レッサーパンダ。可愛いですよね
癒されます

良い行いってなんだろう?(後編)

2022-07-25 20:40:00 | ゴスペル日誌
さて後半は兄のお話です。

◾️兄の罪とは?

兄はその間も父に真面目に尽くし、助け生活していました。

そのため、兄は弟の行いに身勝手さと、父の弟への振る舞いに、怒りや嫉妬を感じてしまいます。


自分は真面目に父に従い生きてきたのに、えこひいきだ、と。


しっかり者の兄と放蕩息子の弟。

どこか、よくある兄弟像ですね


しかし、ここに実は兄にも罪はあるのではないか?という問いを投げかけているように見えます。


弟の罪は分かり易いものでした。

自分勝手に財産を譲り受け使い果たし、困った挙句、親に泣いて謝り、許してもらった。


しかし兄はどうでしょう。

弟は父に財産がほしいと明に言ったのに対し、兄は財産がほしいと明にはいわなかったが、もらう目的のため、父に尽くしたのではないか、エコ贔屓だとの怒りからは、そうとも取れます。

ほしいと欲を見せたのか、見せなかったのか、その違いがあるだけで、欲しいという動機は同じように見えもします。


兄のその行い自体は、真面目で善のように見えます。

しかし、その行動の源泉たる動機が何に基づくか?そこにエゴが隠れています。

つまり、兄は、財産が欲しいがために愛や優しさ善意を使ったのではないか?ということです。


兄は、「自分は良い子で父に仕えたのに、一度も宴のようなことはしてくれなかった。。」とも憤り父に訴えます。


このことからも、欲しいものを我慢して尽くしてきたのに、弟にはその欲しいものを与えたことで、本当は父の寵愛や財産欲しさの献身であったということが伺えます。


善意ある行動を見た時、あるいはする時、その心、動機が不純か否か、ここにフォーカスするのはとても難しいかもしれません。


◾️善意の中の悪意

ここまで、善意に隠れたエゴの部分、悪意についても気をつけなさい、というお話でした。


自分が初めてボランティアをしたいと思ったのは、阪神淡路大震災の時ですが、あまりにも衝撃的で良し悪しなど考えず、とにかく助けにいくぞ!的な感じで突っ走ってました。

でも、そうした活動を続け、賞賛や感謝をもらううちに、奢りや自己正当心などが、ちらほら。。

そんな時、今の自分の行動が


その源泉たる動機からブレていないか

形だけになっていないか

賞賛や感謝欲しさにやってないか

ましてや、自分がやってるのに何故みんなはしないのか?

的な、他人を批判する気持ちが生まれていないか?


といった、続けていく中での問題に向き合う必要があると感じていました。


常にエゴなき心で善意を保つって難しく、気付くと善意がエゴという悪意に変わることがあるのだな、と感じます。 


ではどしたらよいか


おいらにも分かりませ〜ん

(マーシャ責任放棄か


ただ、自分の場合、善意は神様からの贈り物だと思っています。

善意は頭でするんでなくココロでする。


ココロの声に耳を澄まし、神様のチカラが働いたとき善意のある行動ができる。

そんときはかみさまからそれをせよ、とギフトが届けられる、そんな気がします。


なので善意をしなきゃ、いいことしなきゃ、と考えることはだいぶ無くなりました。

それよりまず、エゴのないココロの良心とつながっていくこと、それが一歩かな、と感じています。


参考文献

「放蕩」する神―キリスト教信仰の回復をめざして | ティモシー ケラー, Keller,Timothy, 麻子, 廣橋 |本 | 通販 | Amazon


良い行いってなんだろう?(前編)

2022-07-25 20:27:00 | ゴスペル日誌
なんか小難しいことを考えるやっちゃな、マーシャ。。
そんな声が聞こえそうですが
よかったらお付き合いください。

以前ボランティアをしてみて、振り返った時、
『自分は善意と思ってやってはみたが果たして本当にそうだったのか?』
と自答したことがあります。
特に考えたのは、

・相手に伝えた善意に偽りはなかったか?
・ボランティアを始めた動機にいつわりはなかっか?

です。
前者はボランティアで関わった方々に対する自分自身の判断行いが、その人、その時、その場に置いて、ベターであっても、その後に悪い影響を与えないか?
と言った、相手への善意の渡し方。

後者は自信の問題、善意の行動の動機が、自己満足やエゴでなく、他者への奉仕を純粋に考えたものだったか?

と言ったことです。

今回お話しするのは、後者、自身のエゴと善意のお話。

2018年、ゴスペル好きが興じて、教会やクリスチャンの方々と色々聖書について語りあった時のお題から紹介します。

聖書 ルカ15章 11-32のお話

ん?いきなり聖書!?

いや、構えないでください(^^)


聖書自体は、世界中で最も読まれてる本ってだけなので。。

もちろん信仰の原点でもありますが、当時を生きた人々のエピソードや出来事も書いてあって、今にも通じるような話題もあったりするので、本屋さんで手にとって見てくださいね


で、ルカの福音書15章 11説から始まるお話です。

とある父、兄、弟の話です。


ある日、弟は自分に分け与えられる予定の財産を先に欲しい、とせがみます。

(いきなりですね。。


そして、その財産をもらい出て行ってしまいます。

(激しいっすね〜。。

が、程なく、全部使い果たし、落ちぶれてしまいます。

(うーんなんか想像つくね〜。。


また飢饉もあって、食べ物もなく、与えてくれる人もなく、生きる気力もなくなるほど消沈した時、心から自分の行なった過ちに気づき、家族の縁を切って、雇人としてでも良いから、父の元に置かせてほしい、と心からの謝罪のため、自分の過ちを許してもらえないかも。。と思いながらも父の元に帰ります。

(そんな罰当たりしたら許されるわけないやろ〜。そんなん人生甘ないでぇ


しかしそんな弟を父は喜んで宴までして迎え入れるのです。

(え〜ちょっとは叱るとか、うちの敷居跨ぐなとか、エグい方に行かへんの〜!?とーちゃんえ〜人すぎやん!


と、(心の中)は小市民なオイラの心のつぶやき。。


と、なんかベタな呟きでした


ここまでの下りを読むと、この父は、弟の罪を赦し、迎え入れるかみさまのような存在。

弟はかみさまから離れたぼくたち。その関係を描いているように見えます。


しかしこのあとちょっと続きがあります。

兄はどうであったか?です。


後編へ続く。

良い行いってなんだろう?(後編) - LOHAS 日誌



生活の中のゴスペル。

2022-07-24 08:27:00 | ゴスペル日誌
マ〜シャ♪です(^o^)
今回はシャリマがゴスペルに出会った時の話から、暮らしの中にあるゴスペルについてお話します。

2002年。

短期の語学留学でNZを訪問した時、ホストに連れられて訪れた教会の礼拝でゴスペルに触れました。
それまで、キリスト教というと、聖書のルカ書やノアの箱船など、有名なエピソードを見聞きしたくらいで教会に足を運んだことはなく、聖歌や賛美歌、祈り、礼拝などは、どこか崇高なものと思い、敷居の高いイメージがありました。

反面、NZで見た礼拝は、とてもカジュアル。そして、生活に根ざしていていたことに驚きました。
ゴスペルの伴奏はドラムやコントラバス、ギターにピアノといったバンドスタイル。そこにポップやロック、ジャズの曲調のゴスペルの伴奏が流れます。
歌もいわゆるクワイアのような、コーラスといったものでなく、歌詞を口にして祈るだけのお年寄りもいれば、バンドに合わせて楽しそうに歌う子供と親御さん、ハモる人もいれば、ふつうに歌う人もいる、そんな祈りと歌が混ざったゴスペルでした。
そんな信徒さんの姿に、教会や礼拝を少し遠い存在に思っていた自分には、こんなにも生活感のある礼拝に、ちょっとしたカルチャーショックでした。


かたや日本では、1992年の映画、天使にラブソングでゴスペル音楽が注目されて以来、音楽教室で講座が持たれ、習い事として一般に広く紹介されるようになっていました。
ある牧師さんが、
『これまで、信仰を述べ伝えることで聖書のみことばを伝えてきたが、なかなか伝わらなかった。でも、ゴスペルがきっかけでカミさまを知りたい、と教会を訪れる方が増え始めた。これはとても嬉しい反面、他の国の広まり方と違った、興味深い伝道。かみさまのなさることは不思議であり、必要な形で伝えてくださるという、一つの事例なのかもしれません。』
と仰っていました。

私もゴスペルを歌ってみよう!と思った時、選んだのは音楽教室でした。
なんか、信仰心があったわけでもなく、ただ歌を習ってみようと思った時、テクニカルなことより楽しく歌いたいと思って、見つけたのがゴスペルでした。

教会の音楽が習い事になる、クリスチャンの方から見たら、また普通に考えても、ちょっと違和感があると思うのですが、
見方を変えると、信仰や宗教への関心が薄いと言われる日本で、このようにして広まったというのは、ある意味NZのように、日本ならではの形で生活の一部に入ってきた、とも言えるかもしれませんね。