このブログを書いている時間はもう24日になっていますが・・。
昨日は申し込み受付開始日で様々なハプニングが続出し、何の日か忘れていました。
2年前の中越の地震の日です。
このサイトに画像で出ているオジサン5人組(一人だけ若い!)このアンサンブルは新潟県長岡市の長岡リリックホールによって作られたアンサンブルなのです。
もう結成し5年になります。その間昨年まで24校の小中学校を訪ね楽しく話や、じゃれあって、そして演奏をしたり、子ども達と合奏もしていす。
今回のシンポジウムの総合パンフレットの表紙の写真は、地震の1週間前に行った出前コンサートです。
アウトリーチ活動、それは地域を草の根の活動のように訪ねて行きます。
毎回、同じ地域に行けば、当然愛着が生まれてきます。
もう長岡地域の地理は熟知し、馴染みの居酒屋も或いはメンバーによってはパチンコ屋も・・・たくさん良いところを知っています。
2年前、夕刻に東京で揺れを感じ、テレビで中越のことを知ったとき、
茫然としました・・。
電話もつながらない・・。何が出来るだろう・・。明日、ガスボンベを
持って行こうか・・。でも刻々と新潟県内への道路が通行止めの知らせを
聞き、無力感を感じました。
行動を起こせない自分を責めました。
翌日、テレビ中継が避難場所の学校を映し出します。
一つ一つの学校の名前、どれも行ったことのある学校・・・。
いつホールに電話をしよう?でも繋がらないだろう、忙しいだろう・・。
地震後の3日目、やっと新潟市の第四銀行に電話をしました。
実は地震の10日前にその年の8月から第四銀行と話し合っていた、7月にあった水害の被害へのチャリティーをどうしようかと協議していたのです。
音楽活動や音楽の授業でダメージのあった部分に何か支援したい・・。
そう考え、確か見附市か三条市の幼稚園で、水に浸かり使えなくなったピアノがあるという情報を第四銀行の支店網からの情報を得、支援をすると
決断したところでした。
ところが地震です・・・
電話の翌日、第四銀行は地震への支援に方針を変えました。
3日が経過し、つまり地震の1週間後、ニュースで長岡市内の小学校が再開された情報が流れました。
ニュースで浦瀬小学校が映ったとき、少年が映りました。
地震の1週間前に浦瀬小を訪問したおり、元気な声で質問をしてきた小太りの少年、多分6年生。
生きていた、よかった・・・。
その後、リリックホールにも連絡が取れました。
みなさん生きていました。でも大変な方もいるようでした。
立派なホールがあっても、そこを動かす人がいなければ・・・。
そしてその人たちの力が続かなければ・・・。
毎晩、NHKは長岡市内の夜の様子を一晩中映していました。
それを毎晩見ながら私は空虚になっていました・・・。
昨日は申し込み受付開始日で様々なハプニングが続出し、何の日か忘れていました。
2年前の中越の地震の日です。
このサイトに画像で出ているオジサン5人組(一人だけ若い!)このアンサンブルは新潟県長岡市の長岡リリックホールによって作られたアンサンブルなのです。
もう結成し5年になります。その間昨年まで24校の小中学校を訪ね楽しく話や、じゃれあって、そして演奏をしたり、子ども達と合奏もしていす。
今回のシンポジウムの総合パンフレットの表紙の写真は、地震の1週間前に行った出前コンサートです。
アウトリーチ活動、それは地域を草の根の活動のように訪ねて行きます。
毎回、同じ地域に行けば、当然愛着が生まれてきます。
もう長岡地域の地理は熟知し、馴染みの居酒屋も或いはメンバーによってはパチンコ屋も・・・たくさん良いところを知っています。
2年前、夕刻に東京で揺れを感じ、テレビで中越のことを知ったとき、
茫然としました・・。
電話もつながらない・・。何が出来るだろう・・。明日、ガスボンベを
持って行こうか・・。でも刻々と新潟県内への道路が通行止めの知らせを
聞き、無力感を感じました。
行動を起こせない自分を責めました。
翌日、テレビ中継が避難場所の学校を映し出します。
一つ一つの学校の名前、どれも行ったことのある学校・・・。
いつホールに電話をしよう?でも繋がらないだろう、忙しいだろう・・。
地震後の3日目、やっと新潟市の第四銀行に電話をしました。
実は地震の10日前にその年の8月から第四銀行と話し合っていた、7月にあった水害の被害へのチャリティーをどうしようかと協議していたのです。
音楽活動や音楽の授業でダメージのあった部分に何か支援したい・・。
そう考え、確か見附市か三条市の幼稚園で、水に浸かり使えなくなったピアノがあるという情報を第四銀行の支店網からの情報を得、支援をすると
決断したところでした。
ところが地震です・・・

電話の翌日、第四銀行は地震への支援に方針を変えました。
3日が経過し、つまり地震の1週間後、ニュースで長岡市内の小学校が再開された情報が流れました。
ニュースで浦瀬小学校が映ったとき、少年が映りました。
地震の1週間前に浦瀬小を訪問したおり、元気な声で質問をしてきた小太りの少年、多分6年生。
生きていた、よかった・・・。
その後、リリックホールにも連絡が取れました。
みなさん生きていました。でも大変な方もいるようでした。
立派なホールがあっても、そこを動かす人がいなければ・・・。
そしてその人たちの力が続かなければ・・・。
毎晩、NHKは長岡市内の夜の様子を一晩中映していました。
それを毎晩見ながら私は空虚になっていました・・・。