昨日の続き。
もう何年も前になるけど私が大学の実習で日本画を習っていた時のこと。担当のM先生の指導のもと、私は初めて日本画という表現と出会い、膠や水干、岩絵の具などの画材、箔などいろんな実習に夢中になっていった。その矢先、年度途中でM先生は、若くして急逝され、クラスは閉じざるを得なくなってしまった。
後で先生の作品を絵はがきにしたものが、御遺族から日本画のクラスをとっていた学生たちに配られた。そこには、初めて見る先生の世界があった。いつも酔っ払っているような(←これ本当)普段のM先生からは想像できない、やわらかな世界だった。
その年の単位はもらえてしまったけれど、もう一度あの夢中になっていった気持ちを取り戻したくて、次の年も日本画のクラスをとった。新しい先生は立派な方で素敵な絵も描かれたが、私は、M先生がいなくなってしまったことが自分の中でうまく整理ができていなかったのかもしれない。途中で日本画のクラスをリタイヤしてしまった。
結局、手元に残ったこの一枚が、私の唯一の日本画作品になってしまった。
その後、何故か日本画で食べていく人との縁が多く、何度も日本画の世界にに近づいた事はあったけれど、自分がその世界に足を踏み出すには至らなかった。
でももう何年もたった今、また想うということは、やはり多少なりとも心残りなのだろうか・・・。
もう何年も前になるけど私が大学の実習で日本画を習っていた時のこと。担当のM先生の指導のもと、私は初めて日本画という表現と出会い、膠や水干、岩絵の具などの画材、箔などいろんな実習に夢中になっていった。その矢先、年度途中でM先生は、若くして急逝され、クラスは閉じざるを得なくなってしまった。
後で先生の作品を絵はがきにしたものが、御遺族から日本画のクラスをとっていた学生たちに配られた。そこには、初めて見る先生の世界があった。いつも酔っ払っているような(←これ本当)普段のM先生からは想像できない、やわらかな世界だった。
その年の単位はもらえてしまったけれど、もう一度あの夢中になっていった気持ちを取り戻したくて、次の年も日本画のクラスをとった。新しい先生は立派な方で素敵な絵も描かれたが、私は、M先生がいなくなってしまったことが自分の中でうまく整理ができていなかったのかもしれない。途中で日本画のクラスをリタイヤしてしまった。
結局、手元に残ったこの一枚が、私の唯一の日本画作品になってしまった。
その後、何故か日本画で食べていく人との縁が多く、何度も日本画の世界にに近づいた事はあったけれど、自分がその世界に足を踏み出すには至らなかった。
でももう何年もたった今、また想うということは、やはり多少なりとも心残りなのだろうか・・・。