高崎北ライオンズクラブログ

メンバーのエッセイやクラブの活動や連絡などを掲載していきます。

「ライオンズクラブと私」  L.蜂須賀

2005-08-23 18:06:57 | リレーエッセイ
「ライオンズクラブと私」 L.蜂巣賀辰夫  (会報 No.76掲載)

一九七三年、群馬=箕郷ライオンズクラブの発足時に入会を誘われました。

しかしながら私はゴルフ練習場の開業が目前でありましたので

仕事の見透しを立ててからと、大山町長の折角の薦めにも応じられず、

一九七六年町議会議員に当選させて頂きましたので、未熟でありますが、

入会させて頂きました。

以来、木曜日のライオンズでーとして、例会に出席することとして、

ほぼ三十年間皆出席を果し、一九七六年、茨城県に行政視察の機会を得て、

郷土出身の歌人、山村暮鳥の終焉の地、大洗のライオンズクラブを通して

姉妹有効と至の締結を遂げ、榛東=吉岡ライオンズクラブ・エクステンションを行い、

ついに結成されました。

日本ライオンズクラブから初めて村上国澄会長が就任し、

ニューオータニホテルで三〇〇〇人の祝賀会に参列しました。

東南アジアからフォーラムは吾が郷土の福田総理誕生の日にソウルで行われました。

一九八六年、十三代会長を務めさせて頂きました。

二〇〇一年ZCを務めさせて頂き、メンバー数も七〇名に達し、蓄財も出来、

家庭のマイホームのような自クラブの事務所を建設出来ました。

九R一Zの中では一番充実したクラブだと確信しております。

経済は不透明ですが、異業異種の私達はさらに切磋琢磨しようではありませんか。

今や世界一の長寿国です。健康で頑張りましょう。

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